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マジョルカ断章 第一話


 遠くの町で多くの人々がそう願ったせいもあって、今夜、森は静かだった。風が落ち着いていた。キリキリという虫たちの声は、何か事情があって帰ってこれなくなった仲間たちをしきりに案じていた。夕食に飽きた野鳥とりたちは、再び空を見上げ、闇夜の中へと飛び去っていった。今宵は月が出ていないので、人の目には彼らの姿を捕らえることはできず、そのバサバサという羽音だけが森林の中に響き渡った。私はその音を聞いて、ようやく家の外の生き物たちの存在に気がついたり、それに安心したりした。鳥たちは自分たちだけが空を飛べるのだと、はしゃいでいるが、実は鳥は飛んでいない。鳥は飛べるのではないかという人間たちの勝手な憶測や理屈だけが空を飛びまわっているのだ。この森に長く住み、深く考えているうちに私はそのことに気がついた。そして、この森にいるのは自分独りだということも知った。だから、世の人々はこの森がこんなに静かな理由や鳥が飛べないわけを誰も知らない。


 しかし、独りで住んでいても困ることはある。さしあたり、必要なのは食べものだが、明日の分はどうしよう。弓を使ってみようか、そうだ、弓がいいだろう。弓を使えば何とかなる。森には動物がいるのだ。私はそう思い至り、再び安心して、胸をなでおろした。


 しばらくすると、静かだった森から風に乗ってピュー、ピューという風変わりな音が聞こえてきた。自分の目で確かめてみるまではわからなかったのだが、あの音は野馬の泣き声だった。首のない凶暴な悪魔たちに斧で耳をそがれた、かわいそうな野馬たちが今夜も泣いているのだ。私は彼らが哀れだと思う。森の入り口の辺りに、たしか警備兵が住んでいたから、そこで相談してみるのがいいかもしれない。しかし、警備兵は森の動物を守っているわけでなく、森だけを守っているわけだから、もしかすると、うまくいかないかもしれない。


 しかし、それからしばらく時間が経っても、一向に野馬たちが鳴きやむ気配はなかった。悪魔たちがよほど恐ろしいのだろう。私はそれを聞いているうちに、いても立ってもいられなくなり、やはり警備兵に相談してみることにした。結局のところ、それが一番良い考えなのだと、そう思えたからだ。だが、あまり長くここを空にすると、誰かが入ってきてしまうかもしれない。そのことが気になったので、少しドアを開けていくことにした。こうしておけば部屋の中の光が外へ漏れて、中に誰かいるように見えるからだ。


 支度をして家の外へ出てみると、野馬たちの声は自分が思っていたより、ずっと遠くの方から響いてきていた。森の中を歩くときは、下でなく上に気をつけなければならない。私はそれを知っていたから、少し身体を前かがみにして、斜め上の方をにらみながら、しばらく歩き続けた。今夜はいつもより虫や鳥の鳴き声が少ない。やはり悪魔たちが暗黒の巣穴から出てきたのかもしれない。三年前に死んだ父が、悪魔たちも実は人間と同じように動物を狩って食べたり、焚火の火を囲んで歌って踊ったりするのだと教えてくれたことがあった。私は革の靴を履いていたし、身をかがめ静かに歩いていたから、見つかることはないだろうとは思っていたが、それでも、辺りに気を使いながら、慎重に森の中を進んだ。


 ようやく森の入り口近くまで来たとき、向こうの方から何者かが歩んでくる音が聞こえた。その足音は独りのものではなかった。鎧が擦れる音や人にしては重い足音が聞こえてきたので、悪魔でないことはわかっていたが、私は一応用心していた。やがて、闇の中から幾人かの兵士たちが姿を現すと、私は自分の予想が正しかったことに安堵し、少し脇に逸れて、彼らに道を譲ってやった。


 ざっざっと重そうな足音を立てながら、兵士たちは私の前を次々と通り過ぎていく。彼らは人間ではない。昔、この国で戦争があったときに、彼らは何度となくこの森の中を抜け、勇ましく出陣していったものだ。しかし、あまりにも国を守るという、その意志が強すぎたために、正義感だけが今もこうして森林の中を徘徊しているのだ。そういう意味では悪魔たちとよく似ているが、彼らには悪意はなく、そっとしておけば人間に危害を加えることもない。彼らの行進の中には、すでに骸骨ほねになってしまっている者も混じっていた。時間の流れとともに、兵士たちの強固な意志も次第に氷解して、やがて大地に帰っていくのである。子供のころ、初めて彼らを見た時よりも、ずいぶんとその数は少なくなってしまっていた。


 そのとき、父は素早く彼らに道を譲り、深々と頭を下げて、「お疲れ様です、お疲れ様です」と声をかけていたものだ。私もあのときの父と同じように彼らに頭を下げた。すると、私の姿に気づいた一人の兵士が声をかけてきた。


「おお、森の見回りの方ですか? ご苦労なことです」


 彼らと話をするときにはなるべく否定をしない方がいい。


「ええ、そうなんです。今夜はなにか少し森の様子が気になったものですから……」私はその兵士の機嫌を損ねないように丁寧な態度でそう言ってやった。 


「そうですか、我々はこれからマヒパに行くんです。なんでも、大きな戦いがあるらしいのです。」彼は身振り手振りを付け加えながら、そう説明してくれた。


「マヒパですか……。あそこは寒いところですから、どうか、お身体に気をつけてくださいね。」知らない地名だったが、私は彼の話に合わせるためにそう言った。


「そうなんです。マヒパは非常に寒いし、どうやら病気が流行っているらしいのです。恐ろしいところです。我々もがんばりますから、その間、森の見張りをお願いしますよ。」彼は最後にそう言って、再び兵士の列に戻っていった。 


 こういう出来事に遭遇するたびに、人間の精神力の強さには驚かされる。しかし、彼らはそういった素晴らしい力を全く生かそうとはしないのだ。戦いなどに使わず、もっと有意義なことにその力を使えていれば。私はいつもそんなことを思う。戦いなどにその力を使わず、もっと有意義なことに使えていれば……。私はいつもそんなことを思う。それは真実だが、人間にも尊敬に値する者はいる。例えば、画家のフィロだ。彼は死んだあとも、その強い影響をこの国中に与え続けている。


 私はそこでいったん思考を止め、再び歩き始めた。すると、それからすぐに木の枝ばかり集めて作られた粗末な小屋が見えてきた。あれが森の警備兵の住処だ。ドアを軽く何度か叩いてみると、しばらくして「どなたですか?」と、中からか細い声が聞こえてきた。すぐにドアを開くつもりはないらしい。「森の者です。森に住む者です。」そう言ってやると、ようやくドアがギイと鳴って開いた。「ああ、あなたでしたか。最初は何事かと思いましたよ。恐ろしかったんです。なにしろ、今夜はたくさんの悪魔が森に入ってきていますので。」警備兵はそんな弱気な言葉からはじめた。彼の顔は青白く、前に会ったときより、ずいぶん痩せてしまっていた。


「あなたは人間なのに、悪魔が怖いんですか?」


 私は不思議に思い、そう尋ねてみたが、警備兵にとって嫌な質問だったらしく、彼は何も答えなかった。おそらく、人間は独りでは何もできないということを言いたくないのだろう。しばらくの沈黙の後、警備兵は再び口を開いた。


「悪魔たちに出会いませんでしたか? ああ、そうでしたね。その革の靴があったんですね。それはお父さんが作ってくれたんですか? たしかそうでしたよね。それにしても、使い込んでいらっしゃる。ずいぶん長くもつんですね。たいしたものです。」


 饒舌な警備兵は私が話したかったことを全て話してしまい、しかも、それに満足げだった。


「私は大丈夫なのですが、遠くの方から野馬たちの鳴き声が聞こえてきました。どうやら、悪魔から逃げ回っているらしいのです。かわいそうなどと言うつもりはありませんが、あの泣き声が聞こえていると、どうも落ち着かないのです。どうにかなりませんか?」


 私がそう尋ねると、警備兵はすぐに顔を曇らせてしまった。


「そうですか、いや、そうですねえ、たしかに野馬たちはかわいそうです。哀れです。わかりますよ、それは…。」


 警備兵はそう言って同意してくれたが、そこから先はなかなか言いたがらなかった。埒があかないので、私から切り出すことにした。


「どうにかして、悪魔たちが森に入ってこないようにしていただきたいのですが……。」


 その言葉を聞くと、警備兵はすぐにうつむき、腕組みをしてしまった。その様子から、否定的な言葉が返ってくることは想像できた。


「悪魔たちをですか……、彼らは外見がほぼ人間ですから見分けるのがとても難しいのです。困ったことです。」


 警備兵は顔をしかめてそう答えた。うまく言いつくろったものだが、彼が悪魔退治をできない理由は別のところにある。それでも、私は「そうですか……。」と弱い声で相槌を打つにとどめた。すると、警備兵はブルブルと身体を震わせながら、「いや、たしかに悪魔たちは怖いですよ。恐ろしいです。私にはどうにもならないのです。」と言葉を継ぎ足した。               


「いいんですよ、悪魔たちは実のところ、私でも恐ろしいのですから……。」見かねた私はそう言い、彼を励ました。すると、警備兵は少し落ち着いたようだった。「三年前にあなたのお父さんが亡くなるまでは、森はもっと静かだったんですよねえ……。」


 少し間をおいて、警備兵はそんな言葉を口にしたが、私はそれには返答しなかった。父が死んでから、森に悪魔が侵入し始めたという事実を、認めたくなかったからかもしれない。しかし、そのとき、少しだけ父のことを思い出した。父は生前、私を連れてよく狩りに出た。ある日、狩をしている途中、池のほとりで私は一匹の悪魔を見つけた。どこから迷い込んだか知らないが、森にとって決して良いことではないので、私はそれを捕まえて、消滅させてしまおうとしたのだが、父はそんな私を呼び止め、「そんなことをする必要はない。我々や人間から見れば、悪魔は恐ろしいものだが、彼らの気持ちも汲んでやらなければならない。本当は人間などより、悪魔のほうがよほどかわいそうな生物なのだ。」と、話してくれたことがあった。私は今になっても、父のその言葉の真意を掴みかねている。昔のことを思い出し、考え込んでしまった私に向けて、警備兵は突然問いをかけた。


「悪魔たちのことは城の方へ相談に行ってみてはいかがですか? もしかすると、良い解決法が見つかるかもしれませんよ。」


 不意を突かれたので、しばらくは返す言葉が見つからなかった。彼は正気でそんなことを言っているのだろうか。それとも、人間たちはこの時代になっても悪魔の正体を全く理解できないでいるということなのだろうか。


「城の貴族たちが我々に協力してくれるとは思えませんが……。」


 彼がどうとでもとれる様に私はそういう言葉で返した。皮肉を込めて言ったつもりだったが、警備兵は割と落ち着いた様子で、「いや、そんなことはないでしょう。城の人間はずいぶんあなた方の能力を高く買っていますからねえ……。」などと言ってきた。そんなことを言っているのではない。悪魔を大量に発生させた原因は概ね城の貴族たちにあると言っているのだ。だが、そんな説明を目の前の一兵士にしても無駄なので、私は黙っていた。そのあたりの会話をしているうちに、警備兵はなにか思い出したらしく、再び話題を振ってきた。


「そうだ、最近、城の方でも問題が起きたらしく、ひどくざわざわしているんですよ。貴族たちもかなり困っている様子だったから、そのうち、あなたのところへ相談があるかもしれませんよ。」


 何かと思えば、くだらない話題だった。「城の人間への協力なんてごめんですよ。」私はそれだけ答えてやった。


「まあ、そうですよねえ……。あなたはあまり城の人たちがお好きでないから……。しかしねえ……。」


 警備兵は未練たっぷりにそう言った。どうやら、この話をもっと続けたいらしい。


 私としても、城でなにが起きたのか多少の興味はあるので、「いったい、何があったんですか?」とこちらから尋ねてやった。


「バビです。どうやら、バビのことらしいのです。」

警備兵は真剣な声でそう言った。バビとは王の一人娘だ。


「バビがどうしました?」

 私がそう促すと、警備兵は困ったような顔をしだした。


「それが……、どうも、バビが夜になると怯えて、泣き出したりするのだそうです。


 まあ、これは人伝に聞いた話なので、どんな状況か、詳しくはわからないのですが・・・。」彼は腕組みをしながら、そこまで話してくれた。


「そうなんですか……。ところで、バビは幾つになりましたか?」


「たしか、十です、十歳になりました。しかし、困ったもんです……。」


 私は次第に彼の話に興味を失っていった。家を長く空けていることが気になっていたのも事実だが、

あまり長い時間、城の人間たちの話をしているというのも、おもしろくないからだ。しかし、警備兵はそんな私の様子には気づかず、話を続けた。


「まあ、私も貴族たちに愛想をつかせて城を出た人間ですから、城の住人がどうなろうと知ったことではないんですが、バビはなかなか素直でいい子です。何とか助けてやりたいもんです・・・。」彼は言葉尻に力を込めてそう言った。しかし、私にとっては貴族もバビも同じ人間だ。どちらにも思い入れは無い。


「まあ、時間が経てば、どうにかなるでしょう。」


 私のそんな素っ気ない言葉を聞き、警備兵はようやく私の気の無さに気づいたらしい。


「ああ、もちろんあなたとは直接関係のない問題なんですが……。」

 ようやくその言葉が出てきた。


 私はその話を打ち切れたことに安堵して、一度しゃがみ靴の紐を結びなおして帰る準備をした。


「じゃあ、今夜はこれで……。」

 一礼して、その場を離れようとした私に、警備兵が後ろから再び声をかけてきた。


「やはり……、絵なんですか? フィロの絵が原因なんですか?」


「もちろん、そうでしょうが、まあいいじゃないですか、もうその話は。」


 私は振り返ることもせずに彼の話を打ち切った。


「城には絵がわかる人がほとんどいないようなんです。なんとか助けていただけませんか?」

 後ろから警備兵が近づいてくる足音が聞こえてきた。


「実は数ヶ月前、私は風邪をこじらせて寝込んでしまったんですが、そのとき、バビが城から花を届けてくれたんです。こんなところまで来てくれたんですよ。わざわざ花を届けるために。」


 警備兵は次第に興奮してきたようで、声が上ずってきた。しかしおかしな男だ。人間の一時の気まぐれな優しさにそこまで心を動かされてしまうとは。私はすっかりあきれてしまったが、一言だけ返してやった。


「それなら、城にある絵を全て燃やしてしまうことです。」 


 そんな厳しい言葉を吐くことには抵抗はあったが、仕方がなかった。案の定、警備兵は相当なショックを受けたようだった。


「そ、そんなことできるわけがないでしょう! フィロの絵は偉大な財宝ですし、なによりこのマジョルカの象徴なんですよ。」


「でも、あなた方人間が持っていていいようなものではないのですよ。」


 私は厳しくそう言った。愚かな警備兵は言い返す言葉が見つからなかったようで、そのまますごすごと小屋の中へと引き下がっていった。私は彼などの口車に乗るつもりは全くないが、父は少なくとも一定の期間、貴族の城で働いていた。情に絆されたのだろうか、それとも、気まぐれからだろうか。それはわからないが、私は父と同じようにはいかない。これだけの数の悪魔を身勝手に発生させておいて、知らん顔をする彼らに怒りを感じているからだ。ここまで来た甲斐はほとんどなかったが、人間たちの話が少し聞けたことに、私は一応満足し、家に戻ることにした。


 しかし、帰り道を歩いてみて、私はすぐに異変に気がついた。森の様子が変わっていた。風に揺られる木々の枝の動きが先ほどより激しく、森も全体にざわめいていた。嫌な予感がして、すぐに地面を調べた。案の定、地表には私の足跡のほかにも幾つかの窪みが認められた。警備兵なぞとの話に夢中になっているうちに、何者かが少人数で、ここを通って私の家の方に向かったらしい。足跡は四つ足の生物のものだった。群れをなして動く野馬である可能性はないから、人間か悪魔かのどちらかだ。私はそこから走ることにした。自分の身の危険のことなど考えている余裕はなかった。家にはフィロの絵がある。もしかして、悪魔たちはそのことを知っていたのだろうか。私は気が弱いので、どうしても悪い方に考えてしまう。しかし、普通に考えてみれば、単独では行動できないはずの悪魔がここを通っていったとは、少しおかしい気もする。いくら警備兵との話に気をとられていたとはいえ、悪魔が後ろを通り過ぎていったのだったら、さすがに気づくだろう。それに、意外とまだ森が落ち着いているのだ。悪魔が歩いていった後とは思えなかった。見慣れぬ人間が通ったのかもしれない。そういう考えの方が正しく思われるが、確証がないため、全く安心できなかった。私はただ森の中を急いだ。しばらく、走りに走った結果、ようやく家が見えてきた。私は一目で目的の物を確認した。


「しめた、あれは貴族だ。よかった」


ここまで読んで頂きまして、誠にありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします

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