王子の裏切り、皇子の愛 ~婚約破棄された元妖精姫、東方の神秘に出会う~
今夜は社交シーズンの始まりを告げる王家主催の舞踏会。
国王と王妃によるファーストダンスが終わり、それぞれが歓談やダンス、食事を楽しむ時間が始まるはずでした。
「ローラ・レッドアロー!!今日をもって貴様との婚約を破棄する!!」
不躾にも私を指で差し、名前を呼びつけたのは我がエライオン王国の王子であるヘリオス殿下です。
「どういうことでしょうか?」
堪らず返事をすると忌々しげに睨みつけられ、舌打ちされました。とても婚約者に対するものとは思えない態度です。けれども、今日という日がいつかやって来るかもしれないとは心のどこかで思っておりました。
私達の婚約は、殿下の希望によるものでした。
白百合の精と讃えられた母譲りの容姿を見初められ、ぜひにと婚約者に迎えられたのです。
東側の国境警備を一手に引き受ける辺境伯の娘というのも、国防の引き締めに繋がると思われたのでしょう。
それが三年前のこと。けれど一晩で全ては覆ってしまいました。
「貴様のような豚と添い遂げるなど、死んでも御免だ」
豚――殿下の言葉が聞こえた者達から、小さな笑い声が聞こえてきます。
一年ほど前、体調を崩したのをきっかけに、私の体は変わってしまいました。
体が重だるく、頭が痛い。天気が悪い日は耳鳴りがする。そして一番は体型の変化。
不調が少し回復すると、次に体がブクブクと太り始めました。もちろん顔も。手も足もお腹も膨らんで、これまで着ていた服は着れなくなりました。そして瞼の肉の重みで目が細くなり、頬の膨らみで鼻の高さも分からなくなりました。
私の容姿を気に入っていた殿下は、今の私を大層嫌がりました。
「そのパンパンに腫れて首との境のない顔も、流行りのドレスも似合わない太ましい体も目障りだ!!」
眩いものでも見るように私を見ていた殿下の瞳は、今では腐った汚物でも見るように冷淡なものに変わりました。
「みっともない姿を晒して恥ずかしくはないのか?民からの血税で贅沢をして浅ましい。そのような女を王室に迎えるなど言語道断だ!」
一言言わせてもらえるのであれば、私の食事量は不調の前に比べて随分と減りました。食事をすると体がだるくなり、気分が悪くなるからです。食は細くなる一方で、決して贅沢など致してはおりません。
殿下の言葉に乗るようにして、私を嗤う声が聞こえてきます。
「本当にみっともないわね。メイドのマッサージの腕が悪いのかしら?」
「コックの腕も知れてるわね」
「ご両親もお可哀想に」
「あら。娘の躾も出来ない、使用人も無能なのは、当主の器量が足りないからでしょう」
侍女やコック達も、私が元の姿に戻れるように努力してくれました。評判の痩身マッサージやお茶を探して、一緒に頑張ってきたのです。
ですが、残念ながら私が元の体型に戻ることはありませんでした。両親が呼んでくれたお医者様達も原因不明も首を傾げるばかりでした。
大切な両親と使用人達を貶され、涙が零れそうになるのをグッと堪えました。
結局、求められるのは結果なのです。確かに過程は重要ですが、人々の上に立つ者として模範になろうとするなら、やはり目に見えるものを示す必要があります。
国王陛下の御前で行われた婚約破棄。咎める者どころか止める者もいない。きっと私との婚約破棄は王家が認めたものなのです。
一緒に会場に来た両親は陛下に呼び出されたはずなのに、開会されても戻ってくる様子もありません。
恐らくこの余興の為に足止めを食らっているのでしょう。
「婚約破棄について、確かに承りました」
頭を下げて、私は大広間を退出しました。早く馬車に戻り、タウンハウスに戻りたかった。
久しぶりに着飾ったのと衆目を集めたせいか、体がいつも以上に重くて辛いです。頭痛と吐き気を抑えながら、足を動かしました。
私の後ろでは、再び優雅な音楽が聞こえ始めます。惨めな娘を甚振る余興は終わり、また日常に戻っていくのでしょう。
我慢していた涙が、今度こそ頬を伝って落ちてきました。
何故、このようなことになったのでしょう。
『妖精姫』と持て囃されて、いつの間にか調子に乗っていたのでしょうか?
太っている方を心のどこかで、嘲笑っていたのでしょうか?
だから神様は私に罰を与えたのでしょうか?
私の心が醜いというのなら悔い改めます。ですからどうか、私の大切な人達が悲しまないようにしてください。
心の中で神へ祈りを捧げる間も、頭痛は止まず、ついには耳鳴りまでしてきて立っていられなくなりました。
私の思い通りにならない私の体が恨めしい。このまま死んでしまうのだろうと思いながら、私は目を閉じました。
次に気がつくと自室の寝台の上にいました。
「あぁ!目が覚めたのね!痛いところや辛いところはない?」
少しくたびれた様子の母が、勢いよく私の手を取り、矢継ぎ早に問いかけてきます。
「ローラは二日も目覚めなかったんだよ」
驚いて目を丸くしていると、父が補足してくれました。
「ご心配をおかけしました」
「そんなことは構わないわ!ローラは私達の大切な娘だもの」
優しく微笑んで抱きしめてくれる母。私のような娘がいるのに、少女めいて可愛らしい。大好きだけれど、今の浅ましい私の中には、妬ましい気持ちが湧き上がってきてしまうのです。
醜い考えを振り払って、私は倒れてからの話を尋ねました。
話を聞くと、父達が解放されたのは私が退出してしばらく経ってからだったそうです。
応接の間に呼び出されたのに、陛下は一向に現れず、伝達ミスだったと言われて会場に行けば、事の顛末を聞かされた上に私の姿が無くて泡を食ったようです。
きっと私が困り果てて泣くのを嗤う気でいたのでしょう。でも、私はこうして無事に帰ってこれました。
「親切な方が送ってくださったんだ」
「親切な方……」
この国の王子に婚約破棄された女を助けようと思う人などいるのでしょうか?
「女性の方、ですか?」
「いや、男性だ」
頭が痛い。体調云々の話ではなく、この状況に頭痛がします。
身内でもない殿方に送ってきていただくなんて、破廉恥なことです。
まして婚約破棄されたばかりだというのに、更なる悪評が待っていると思うと胃がシクシクと痛むのです。
「うぅッ」
「大丈夫か!!ローラ!」
心配そうに体を擦ってくれる両親。このままいつものように痛みをやり過ごすのだと思ったその時です。バタンと少々乱暴に部屋の扉が開きました。
「失礼します」
見知らぬ男性の入室に驚き、悲鳴を上げそうになりました。しかし、それより早く男性に『温かい何か』を抱えさせられ、別の驚きで悲鳴を飲み込みました。
「『湯たんぽ』というものです。部屋の外で待っていましたが、緊急事態だと思いましたので」
『湯たんぽ』はとても温かく、抱えている腹部を中心にポカポカしてきました。
少し安心して顔を上げると、先程の男性が優しく微笑みかけてくださいました。
黒髪と黒い瞳の、異国の衣装を身に纏った方です。切れ長の瞳や薄い唇は冷たい印象を与えるけれど、柔和な表情が彼の人となりを教えてくれるようです。
「こちらの方がお前を連れてきてくれたのだ」
「玄曜と申します」
「……この度は大変お世話になりました」
名前もまた異国の風情があります。
「気になさらないでください。私は医学の心得がありますので。お嬢様は御病気のようですが、お加減はあまり宜しいようではありませんね」
思わず私は両親と顔を見合わせました。
この国のお医者様達は、私は健康だと言っていました。気鬱か何かのせいで、体が弱っているのだろうと。
「少し診てもよろしいですか?」
「勿論です!どうかお願い致します」
父は藁にも縋るような様子でお願いしました。
玄曜様は私の腕を取り、手首を握りました。しばらく集中するように目を瞑り、次にお腹に触りました。もちろん私にも父にも確認してくれます。
「舌を出してください」
「それは……」
口の中を見せるなんて恥ずかしい。ですがこれ以上、両親に心配を掛けたくもないのも事実です。
決死の覚悟で舌を出しました。勇気を振り絞ったというのに、相対する玄曜様は無反応というか、お医者様のお仕事を全うされています。何だか女性として認められなかったみたいで、少し傷つきます。
「いかがでしょうか?」
「原因は定かではありませんが、臓腑の機能が落ちて、毒が体に留まっている状態のようです」
「毒、ですか?」
瞬時に思いついたのは毒殺です。
先日まで私はヘリオス殿下の婚約者でしたから、その座を狙う者は当然いたことでしょう。
「この場合の毒は、健康な人間であれば汗や尿と一緒に排出するものを指します。お嬢様の不調は体内の気や水の流れが停滞したことで生じたものでしょう」
内臓に問題があると聞いて、私はゾッとしました。毒が体を巡っているだなんて考えるだけで恐ろしい。
「外見の変化だけでなく、頭痛やめまいを始め、食欲の低下や胃炎などの症状があったのではありませんか?」
「どうしてそれを?」
「臓腑の機能が衰えた者に見られる症状ですから」
私の詳細な病状について家族や近しい使用人とお医者様以外には厳重に隠されてきました。王子妃、いずれは王妃になり得る者の不調を知らしめる必要はないからです。けれど玄曜様は気づかれた。
具体的に指摘されたことで見て見ぬふりをしていた不安がかき立てられてしまいました。
「原因も分からず、さぞご不安だったと思います」
けれど玄曜様の、私達家族に寄り添ってくださるお言葉に胸が温かくなります。
「しばらくこちらで滞在させていただく予定でしたから、お嬢様の様子を診させていただければと思うのですが……」
「それは心強い。よろしくお願い致します」
トントン拍子に話はまとまりました。
父と母も何故か絶大な信頼を向けているように思うのは気の所為でしょうか?
「1日も早くお元気になられるよう、手を尽くさせていただきます」
そうおっしゃって、玄曜様は部屋を退出されました。
「お父様、大丈夫なのでしょうか?」
「詳しくは明日話そう。一先ず今夜は休みなさい」
湯たんぽのことを思い出したのは、全員が部屋から出た後でした。
誰か呼ぼうかと思いましたが、湯たんぽの温かさはなかなか手放せるものではありません。気づかなかったフリをして、私は目を閉じました。
翌朝から玄曜様の指示で食事の内容が変わりました。朝は喉越しの良い果物を少量頂いていたのですが、野菜のポタージュが出されました。また痩身茶の代わりにお湯を飲むようにとのことです。
コックが玄曜様から受けた指示によると、毒素を排出させる為には体は温めなければいけないそうで、果物や瘦身茶は体を冷やす働きをするので避けるようにとのことでした。出来るだけ水分を取り、お小水の回数を増やすようにも言われたとか。
朝食を少量の果物で済ませたり、痩身茶を飲むのは王国の淑女のトレンドです。
貴族女性の悩みの一つに肥満があります。淑女というものは兎角動かぬものです。その上、美食とくれば体型が崩れるのは当たり前のこと。飲むだけで痩せると噂の痩身茶が爆発的な人気を博すのも必然なのです。
ですから私の体型が変わったとことに焦りを覚えた母やメイド達が、その噂に飛びついたのも仕方のない話です。玄曜様からの教えを受け、それが間違いだったとことに随分と肩を落としておりました。
朝食を終えて落ち着いた頃に父がいらっしゃって、昨晩はお話にならなかった舞踏会の夜の話をしてくださいました。
「玄曜殿は医者ではなく、翠蓮国からの大使なのだ」
「大使、ですか?」
確かに上等そうな装束でしたが、とてもお若く見えたので、まさか外国からの大使だとは思いませんでした。
「そうだ。我が国に滞在していたのだが、舞踏会の翌日にお国に帰られるところだったらしい」
「会場では玄曜様の姿をお見掛けしませんでしたわ」
外国の使節ならば舞踏会に参加しているはずです。
翠蓮国は我が国より東にある国です。地理的に遠い為に積極的な交流はありませんが、あちらからの商品が少しずつ流れてくるので知っています。舞踏会には近隣国の使節も招待されていました。けれど玄曜様はいらっしゃらなかった。
もし、玄曜様がいらしていたのなら、ちょっとした騒ぎになっていたことでしょう。
彼ほどの黒髪と深い黒い瞳を持つ者はこの国では中々いません。また異国風ながら端正で美しい顔立ちは女性達の関心を引いたに違いありません。
「招待されなかったそうだ。何の説明を受けぬ内に城で舞踏会が始まっていたそうだ」
「何てことを……」
友好国への対応を更に手厚したいと思うのは当然ですが、だからといって交流の少ない国を下に扱うのは間違っています。今回の一件は、翠蓮国への侮辱とし、宣戦布告ととらえられてもおかしくはありませんでした。
「翠蓮国は我が国と争うつもりはなく、今回は引き下がってくれたのだ」
遠いからこそすぐさま戦になるということもないけれど、もし今後情勢が変化すれば東に位置する我が辺境領が最も危険に晒される可能性があるのです。それさえも私への嫌がらせの一つなのかもしれません。
またしても胃がシクシク痛んできたところで、部屋の扉をノックする音が聞こえてきました。
「御客様から一刻後にお会いしたいと先触れがいらっしゃいました」
同じ邸内にいるのに、随分と時間を空けたように思いました。ですが、私は二日前に倒れて以来、寝たきりで過ごしていたこと思い出しました。顔は洗いましたが、髪も乱れたままです。清潔感がまるでありません。
父を追い出して、慌てて身支度を整える為に動き出します。
何を着ようかとクローゼットの中身を思い浮かべますが、今の私には着飾れるようなドレスなど持っていないことに気づきました。
先日の舞踏会の為に仕立てたものくらいでしょうか。
体型も変わり、体調不良のせいで外出も減ったので新しい服を仕立てることもしませんでした。おしゃれを楽しむ気持ちさえ、私は失っていました。
寝間着と大差ない普段着でお会いするのかと思うと、何となくため息が出てしまうのです。
「すっかり恋する乙女の顔をしていらっしゃいますね」
「え!?」
「お慕いする殿方に、一番の自分を見て欲しいと思うのは当然のことでございます」
侍女のノーラに指摘され、思いを巡らせます。
お慕いする殿方。初対面の、それも数分しか話していない方に私は恋をしたというのでしょうか?
分かりません。ヘリオス殿下からの熱烈な求愛を受けていた時も、私の心は高鳴ることはありませんでした。恋心も分からぬまま殿下と婚姻すると思っていましたから。
「お慕いしているかなんて分からないわ。でも、素敵な殿方にだらしない姿なんて見せたくないの」
「それもまた乙女心ですね」
ノーラは小さく笑ってから、箱を差し出しました。中には花を模した髪飾りが入っていました。
「こちらは?」
「御客様からの贈り物でございます」
こんなにも美しいものを私に?
呆然とする私を置き去りに、侍女はササッと髪を結い、髪飾りを挿してくれます。
「髪に挿すだけで、お嬢様の美しい金髪が映えますわね」
細い鎖同士がぶつかると、シャラシャラと涼やかな音が聞こえました。
約束通り、一刻後に玄曜様はいらっしゃいました。
そして身につけた髪飾りを見るなり微笑まれました。
「身につけてくださったのですね」
「お心遣いありがとうございます」
「貴女の美しい髪に映えると思ったのです」
嬉しかったです。
ヘリオス殿下に頂いた宝飾品は私に似合うものというよりは、殿下の髪や色味のものばかりでしたから。
今思うとあれは私を自分の所有物だと誇示するためだったのかもしれません。
それから、玄曜様は昨晩のように腕を取り、腹部を押して、舌を確認されました。やっぱり彼は無反応で、戸惑っている私の方が端ないことをしたような気持ちになってしまうから不思議。
一通り診察を終えると、これからの方針を玄曜様はお話になりました。
今のところは特別な薬を使うことなく、食事管理とお湯や薬草茶を飲んで毒素を出すそうです。
ゆっくり治していこうと言われ、思わず問い掛けました。
「玄曜様をお引き留めしてよろしいのでしょうか?」
外国の使節である玄曜様は私を助けなければ、既に帰国の為に出発しているはずだった。
「貴女の為にそうしたいのです」
「……」
軽薄な言葉だと思いました。一国の代表としていらしている方の発言とは思えません。
我ながら可愛げの無い考え方だと思いますが、やはり責任ある立場の方にはそれなりの言動を持っていただきたいのです。
不機嫌になってしまったでしょうか?
窺うように玄曜様を見れば、微笑ましいものでも見るかのように、目を細めていらっしゃいました。
「この気持ちに偽りはありません。あの日の貴女の凛とした様子に心を奪われました。恥知らずな者達に貶められながらも、毅然と立ち向かう貴女は、あの場の誰よりも美しかった」
全く予想だにしない返答に驚きました。そしてジワジワと顔が熱くなっていくのが分かります。
「そ、その……あの……お恥ずかしい限りです」
彼の賛辞に心が躍り、同時に照れくささで身を震わせるしかありませんでした。
「それに、少し事情がありまして……」
玄曜様は微笑みから一転して神妙な顔つきをなさいました。
「既にお聞き及びでいらっしゃるでしょうが、私は翠蓮国の代表として参りました。その際に贈り物も持参したのですが、エライオンの皆様のお気に召さなかったようでして……」
浮かれた頭に冷水でも掛けられたかのように、一気に血の気が引きました。
「……一部の品を除いて、受け取りを拒否されました」
他国から贈られてきた品々を突き返すなんて有り得ないことです。
「申し訳ございません」
贈り物を拒否する。
使節を無碍に扱う。
戦争が起きてもおかしくはないほどの実態の数々。翠蓮国への対応はあまりに杜撰が過ぎます。
国王陛下のお指図なのでしょうか。
「対応してくださったのはヘリオス王子です」
「あぁ……」
思わず声が出てしまいました。
もし私がお側にいたのなら、そのようなことはさせませんでした。
交流が少ないからと陛下は外交の練習のつもりで任せたのかしら。外交は距離の遠い近いを問わず、相手と真摯に向き合うべきものなのに。
「恐らく私の出自を厭ったのでしょう」
「出自、ですか?」
「私は翠蓮国の第十五皇子です」
王族・皇族が外交に携わることはよくあることです。けれど突然目の前の方が高貴な方だと分かって、身の置き場がなく慌ててしまいます。
「我が国の皇帝には28人の皇子と49人の皇女がおりますので」
「ご、御兄弟が多いのですね」
「交流のある兄弟は片手で数えるほどですよ」
困ったように微笑んでいらっしゃる玄曜様。対する私は当たり障りの無い言葉を返すのが精一杯。
翠蓮国には後宮があると聞いています。皇后を筆頭に、皇家と結びつきを強める為に各氏族から差し出された女性達が、皇帝の愛を得て多くの御子を産むのです。
一夫一妻制のエライオン王国で育ったヘリオス殿下は、継承権の低い皇子だと切り捨てたのでしょう。
「我々はエライオン王国と事を構える気はありませんので」
「寛容なお心遣い、感謝致します」
私の頭くらいでは謝罪になるとは思いませんが、頭を下げることしかできません。
「そこで辺境伯殿の協力を得て、上手く荷物を捌くことになりました」
贈り物を抱えたままでは帰国も出来ませんからね。私を助けたことで、伝手が生まれたというわけです。
ふと、先程頂いた髪飾りに思わず手を伸ばしてしまいました。これもまた処分する不用品だったのだと思うと少し胸が苦しい。
「素晴らしい品だと思いませんか?」
「え、えぇ」
この国には無い意匠の髪飾りで、とても素晴らしいものだと思うのですが、ヘリオス殿下のお眼鏡には叶わなかったのかしら?だとしたらとんだ節穴ですね。
「私が隠したのです」
「えぇッ!?」
「物の価値の分からぬ者に渡して良いものではありませんので」
麗しい笑みを讃えていらっしゃいましたが、本心では相当腹に据えかねていらっしゃったのです。
「でしたら私のような者が持つべきではありませんね」
この美しい髪飾りは私のように醜い者には相応しくない。
「いいえ。貴女にこそ相応しい」
「そうでしょうか?」
「えぇ。私の国では珊瑚は厄除けの守りなのですよ」
「あぁ、そういう……」
玄曜様の言葉に一喜一憂して恥ずかしい。病気の私を慮ってくださっただけなのに。
「そして、私の国では結婚の時に女性に贈る装飾品なのです」
「えッ!?」
「これからは、それを身に付けた貴女の姿を毎日見ることが出来るなんて私は幸せです」
そう言って玄曜様は本当に嬉しそうに微笑みました。
すっかり退路が断たれてしまったような気もしますが、それが嫌ではない、むしろ嬉しいと思ってしまうのは、既に私が玄曜様に絆されているのでしょう。
治療が開始されて一月ほど経つと、私を苛んでいた頭痛や目眩が落ち着き始めました。相変わらず体は重かったけれど、このまま治療を続けていけば良くなるのではないかと気分が軽くなりました。
両親は私の回復をとても喜び、玄曜様に深い感謝を示しました。
「本当にありがとうございます。玄曜様のお陰で、すっかりローラは良くなりました」
「何を仰っているんですか。治療はまだ始まったばかりですよ」
感謝の言葉を受け取りながらも玄曜様は微かな苦笑を浮かべます。
「翠蓮国ではあれば、もっとお嬢様に最善の治療を提供できるでしょう。私の力が至らず、申し訳ありません」
「それほどまでに貴国の医療は進んでいるのですか?」
「我が国の技術が特に進んでいるとは思いませんが、お嬢様の症状には合っているのだと思います」
「では、翠蓮国に行けば、私の体は元に戻ると思いますか?」
思わず私は二人の会話に割って入ってしまいました。
彼の国での治療法が私に合っているというのなら、新たな可能性に心が逸ってしまうのです。そして玄曜様は一瞬考え込んだような表情を浮かべました。
「それは……確かに、可能性はあるかもしれません。但し、すぐに効果が表れるとは限りませんし、時間がかかることでしょう」
そして玄曜様は翠蓮国が遠く、大変な旅になることと簡単には帰って来れないことを説明してくれました。
「それでも、私は元の体に戻りたいのです。ご迷惑をお掛けすることは分かっていますが、我儘をお許しください」
私の懇願に、玄曜様は静かに頷きました。
「それほどまでに決意が固いのならば私から言うことはありません。けれど御父上が……」
言葉を濁してから玄曜様は父を見ます。
「ローラ。翠蓮国への道は遠く、多くの危険が潜んでいる。途中で嫌だと言っても逃げ帰ることはできない。その覚悟を持っているのか?」
父の声は厳格に聞こえはしましたが、同時に私への思いやりが滲み出ているようにも感じられました。私は父の目を見つめ、深く息を吐き出しました。
「お父様、私は本気です。本気で私の体を治したいのです。どんな困難があっても、逃げるつもりはありません」
父は私の言葉をじっと受け止め、しばらくの間、考え込んでいました。
「……それに、静かな場所で気持ちを整理したいのです」
婚約破棄をされてまだ一月。物見高い方々からのお節介な手紙が引っ切り無しに届けられていることを知っています。しばらくすると不本意な縁談が持ち込まれてくるかもしれません。
「玄曜殿。どうか娘を翠蓮国までお連れください。そして、必要な治療を与えてください」
その言葉に私はほっと胸を撫で下ろしました。
父は玄曜様に深く一礼し、玄曜様は深く頷かれました。重々しい表情からは真剣な決意と責任感が伝わってきます。
「命に代えても私がお守りします。決して貴女を危険に晒さないと誓います」
真摯な言葉の後、やがて玄曜様の口元が緩んで柔らかな笑みを浮かべました。彼の誠実さや情熱に胸が熱くなり、心が満たされるのを感じました。
こうして私の東方への旅は決まりました。初めて国外に出るということで不安はありましたが、隣には玄曜様がいらっしゃるので心強かったです。
三年後――。
翠蓮国での治療のお陰で、私の体はすっかり元に戻りました。
お薬やお茶、鍼やお灸などエライオン王国にはない治療は、玄曜様が仰ったように私には合っていたようです。
この三年間、翠蓮国の美しい文化に触れる度に、私の心は新たな驚きと感動に包まれました。
庭園の美しさや華やかな建築物、そして緻密な細工の施された陶磁器には目を見張るものがあります。その魅力に満ちた世界に身を置く度に、私は更に知りたい、学びたいと強く思うようになりました。
私が故郷や家族を思い慕う気持ちに押し潰されてしまわないかと心配されていた玄曜様でしたが、新しい生活を楽しんでいる私の姿を見て、喜んでいるようでした。
また、社交界のアレコレに悩まされることもなく、玄曜様を始め、翠蓮国の皆様の優しさが私の心を癒やしてくれたのでしょう。
こうして異国での生活を楽しんでいたわけですが、私は再び母国の地にいました。ヘリオス殿下の婚姻式に参加する為に帰国したのです。
「ヘリオス殿下ばんざーい!」
「カサンドラ妃殿下ばんざーい!」
あれからヘリオス殿下は侯爵家のカサンドラ様と婚約されました。彼女が殿下の婚約者候補の次点だったそうです。
教会での式典は王族と花嫁に近しい家の方々だけの参列となり、一般の貴族達は教会の外で祝福となりました。そしてお祝いの舞踏会が始まりました。
壁の花となって紛れたつもりでしたが、私だと気づく方ももちろんいます。
「あら、あれは……」
「レッドアロー辺境伯家のローラ様じゃ……」
こそこそと囁き合いながらも、直接話しかけてくることはありません。私は王家から嫌われた人間ですから、関わるのも外聞が悪いでしょう。
本当は参加する気などありませんでしたが、招待状が届いたせいで仕方なくといった感じです。
自分達が捨てた女を呼び寄せるなんて奇妙な話ですが、レッドアロー辺境伯家に叛意はありません。それを表明する為に参加することにしました。
その時、玄曜様が会場に現れました。
翠蓮国にも招待状が届き、私は彼と共に帰国したのです。そしてこちらの会場で合流する予定でした。
玄曜様は会場を見回し、私の姿を見つけると微笑みながら近づいてきます。彼の優雅な足取りは、まるで彼こそが今日の主役のように見えます。その風格と魅力に、誰もが圧倒され、彼を見つめずにはいられないようでした。
「お待たせしまして申し訳ありません」
「いいえ、大丈夫です。お仕事ですもの」
玄曜様は遊びで来ているのではないのですから、謝罪など必要無いのに。けれど、気遣いの心が嬉しいとも思ってしまうのです。
「素晴らしい。今宵の貴女の美しさは、あの月明かりよりも輝いています」
その言葉に、私は頬が熱くなるのを感じました。彼はいつもこうなのです。
玄曜様の言葉に心が踊り、私は彼と共に舞踏会を楽しむことにしました。会場は華やかな装飾で彩られ、貴族達が美しい装いを身に纏い、踊っています。
美しい旋律に身を任せ、私達はダンスフロアに足を踏み入れます。玄曜様の手を取り、音楽に合わせて軽やかに舞います。玄曜様と踊るのは初めてだというのに、驚くほど楽しく、そして息がぴったりと合っていました。彼に手を引かれると、まるで魔法に掛けられたように体が動くのです。
宴は佳境を越え、そろそろ帰ろうとかと思っていると、
「ローラ、なのか?」
挨拶回りをしていたヘリオス殿下とカサンドラ様に見つかってしまいました。つい楽しくなって羽目を外したせいか目立ち過ぎてしまったようです。
「お久しぶりにございます。この度は御成婚おめでとうございます」
己の失態を内心で嘆きながらも、私は頭を下げました。
「その姿は、元に戻れたのか?」
「はい。療養先の翠蓮国での治療の甲斐がありまして、無事快癒いたしました」
全ては玄曜様が私を助けてくださったから。公衆の面前で罵倒されたことに大変ショックを受けましたが、彼との出会いを与えてくれたヘリオス殿下には感謝しかありませんね。
微笑んで見せると、ヘリオス殿下はかつての私に向けていた夢見るような表情であることに気が付きました。
やはり殿下は私の外見だけがお気に召していたのでしょう。
「今のように美しいそなたなら……」
隣には婚姻の誓いを交わしたばかりの花嫁がいるというのに、その日の内に別の女性に声をかける節操の無さ。正直、苦笑を禁じえません。
さて何と返事をするべきか。けれど、私が返事をするより早く、私達の間に玄曜様が割って入られました。
「お久しぶりにございます。ヘリオス殿下。この度は御成婚おめでとうございます」
「……祝いの言葉、感謝する」
玄曜様の言葉を聞いて、カサンドラ様のことを思い出したヘリオス殿下は気まずそうな顔をしていらっしゃいます。
カサンドラ様は私を睨みつけるお顔があまりに凶悪で、私と同じ方に立っている方達は驚いて小さく悲鳴を上げています。本当に恐ろしいので早く止めてください。評判に関わりますよ。
私が動じないのは、カサンドラ様から睨まれることに慣れているからです。彼女には昔からよく睨まれていたので。殿下を本当に愛していらっしゃいますのね。私を殺したいほどに。
「元婚約者を心配されるなんて、その素晴らしい御心遣いに感銘を受けました」
「あ、あぁ……」
「しかし、間もなく周知されるでしょうが、彼女は輿入れ先が決まっています」
「何だとッ!?どこの誰だ!!」
「私です」
「は?」
そうなのです。私と玄曜様の縁談は整い、既に翠蓮国の皇帝陛下の許可を得ています。あとは我が国の国王陛下の許しを待つばかり。
「き、貴様など翠蓮国の十五番目の皇子なのだろう!!そのような些末な男にローラは相応しくない!!」
怒りに震えるヘリオス殿下の声が会場に響き渡ります。彼の目は玄曜様に向けられ、憎悪と軽蔑に満ちた視線を送ります。周囲は異国人の存在に気づいていても、遠国の皇族とは思っていなかったようで目を丸くしていらっしゃいます。中には蒼褪めていらっしゃる方もいるようです。
「ヘリオス殿下。貴方の御意見は承知いたしました。けれど全てはもう遅いのです」
「何だとッ!?」
「貴方が豚と蔑んだ彼女は、私にとっては女神に等しい存在なのです。そして彼女もまた私の気持ちに応えてくれたのですから」
全ての元凶はヘリオス殿下自身なのです。どのような方と私が縁を結ぼうとも私を『豚』と罵った方が口を挟んで良い話ではないでしょう。たとえ私が『妖精姫』と呼ばれていた頃と戻ったとしてもです。
「だ、だが!!」
「お止めください!ヘリオス殿下!」
更に言い募ろうとしたヘリオス殿下でしたが、騒ぎを聞きつけてやって来た宰相閣下が慌てて遮りました。
「こちらは翠蓮国第三代皇帝第十五皇子、郭玄曜殿下でございますよ!」
「だから何だと言うのだ!!十五番目などスペアにもなら――」
ヘリオス殿下は何と言おうとしたのでしょうか。けれど、言葉を続ける前に、近衛騎士がヘリオス殿下の口を塞ぎ、留められます。あまりにも乱暴な所業に誰もが驚いておりますが、これ以上の玄曜様への無礼はどんなことをしてでも止めるべきでしょう。
「ヘリオス殿下、翠蓮国は未開の国ではないと伝えたではありませんか!広大な国土を持ち、多くの民族を従える強大な国家なのです。その国力は我が国の数倍にも及ぶのですよ」
宰相閣下の言葉を聞いて、私は内心で頷きました。
広大な国土と多くの民族が暮らす翠蓮国を自分の目で見て来た者として、その実力の差を痛感しました。だからこそ彼の国が我が国にとって友好的な存在であるというのなら、手を取り合うことが賢明だと考えます。
「そして玄曜殿下の御生母は翠蓮国の皇后陛下であり、皇太子殿下とは同母の弟君でいらっしゃいます」
翠蓮国の皇太子殿下は弟である玄曜様をとても重宝なさっています。玄曜様が医学の知識があるのは、いざという時に皇太子殿下の御命を守る為に学んだものだそうです。母を同じくし、自分を慕ってくれる弟を可愛がらないはずがございません。仮に皇太子殿下に何かあったとしたら、その次に皇太子に指名されるのは玄曜様ではないでしょうか。
「翠蓮国との外交関係は極めて重要なものです。配慮を欠く態度は、両国間の信頼を損なう行為だとご理解ください」
既に一度ヘリオス殿下は失態を犯していらっしゃいます。その失態を上手く利用する為に玄曜様は御許しになったのですが、二度目を許すほど甘い方ではありません。
それでも尚、ヘリオス殿下は言い募りたいようでしたが、口を塞がれて叶いません。そして、そのまま引きずられるようにして退場なさいました。カサンドラ様を始め、玉座にいたはずの国王陛下や王妃殿下の姿もいつの間にか見えません。騒ぎを宰相閣下に押し付けて退場されたのでしょう。
既に王宮の者達が幕引きに向けて動き出しています。
「やはり貴女を連れて来るべきではなかった……」
騒ぎを大きくしてしまったのはヘリオス殿下です。玄曜様が悔しがる必要などどこにもありません。
「いいえ、大丈夫です。参加すると決めたのは私です」
私は首を横に振り、彼に向って言葉を続けます。
「もう過去に縛られたくありませんでしたから。新たな気持ちで貴方との未来へ足を踏み出したいのです」
「光栄です。ですが、いつでも頼ってください。貴女の為に出来ることがあれば、喜んでお助けします」
その言葉に、私は心から感謝します。
彼との出会いが私を強くし、再び未来に向かって歩む勇気を与えてくれたのです。そして、これから歩む彼との未来が幸せであることを私は信じています。
END
御覧いただきありがとうございました。