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7 恋という名の呪いにかけられて

 金縛りだ。

 意識の覚醒と共に感じた金縛りにかかっているであろう感覚。

 いつの間にか寝ていたことにも驚いていたが、正直なところ金縛りにかかっている喜びに勝るものではなかった。


 きたきたきたきたきた! きたぞ! きたぞ!


 前回、前々回と同じく体の自由は効かない。

 目蓋のカーテンを閉じる事もできない。

 声を出す事も指を動かすことすらもできない。

 そして何より、視界の端から見える布団が膨らんでいる。

 布団の中に誰かがいて、その誰かが僕の足首を掴んでいる。


 掴まれているような感覚は徐々に徐々に上の方へと移動してくる。

 足首からふくらはぎ、膝、太もも、腰、腹、胸。

 前回、前々回と同じく、掴まれているような感覚は胸の辺りで止まる。


 間違いない。これは『金縛り』だ。

 三回目の『金縛り』。しかも二日連続の『金縛り』だ。


 鼓動は激しくビートを刻んでいる。

 心臓が今にも張り裂けそうなほど嬉しい。


 嬉しいんだけど落ち着け。一旦落ち着くんだ。


 胸の辺りで止まっていた掴まれているような感覚が動き出す。

 直後、布団からひょっこりと姿を現した。



 艶やかなストレートの黒髪。

 こぼれ落ちそうなほど大粒でキラキラと輝いたブラックダイヤのような瞳。

 ぷるぷると柔らかそうな透き通った桃色の唇。

 小さくて可愛らしい耳。

 筋の通った美人鼻。

 雪のように純白でシワ一つない肌。

 白いワンピースから溢れそうなほどに実ったたわわ。



 間違いない。『金縛りちゃん』だ。

 三度目の『金縛りちゃん』の登場だ


 何度見ても可愛い。そして美しい。

 超絶美少女とは『金縛りちゃん』を指す言葉だった。

 もしくは超絶美少女という言葉を具現化した存在こそが『金縛りちゃん』なのかもしれない。


 もっとじっくりと見ていたいが、今日の僕にはやることが――()()()()()()()()()()()()があるんだ。


 金縛りにかかっている状態でも体を動かせるようになること。


 そのためには、指先に意識を集中させるればいいのだとネットに記載してあった。

 諸説ありだが、そうすることによって徐々に体を動かせるようになるらしい。


 そして、大前提として平常心を保つこと。

 これが最も重要だ。

 平常心で挑まなければ何一つ良い結果は生まれない。


 実践開始だ!



 まずは深呼吸。

 ゆっくりと息を吸って………………え?

 息吸えてるのかこれ?

 いや、苦しさとか感じてないから息は吸えてるはずだ。息も吐いてるのがわかる。

 呼吸はしっかりできているのに、呼吸をしている感覚が全くない。

 例えるなら眠っているときに自然と呼吸をしている感じ。それが一番近い。


 呼吸が思い通りにいかなくても、今の僕はかなり平常心に近い。

 今ならいける。やれるぞ!


 まずは手が動かせるかどうかだ。

 手に意識を集中。集中っと。



 ダ、ダメだ。全く動かない。

 麻酔でも受けてるみたいに感覚が曖昧だ。


 改めて思うけど、金縛りやべぇー! 金縛り怖ぇー!


 って、ダメだ。ダメダメ。

 ここで恐怖心を持ってはダメだ。

 せっかく金縛りにかかったんだ。まだまだ試せることは――試したいことはたくさんある。


 平常心。平常心。平常心。

 冷静に。冷静に。冷静に。


 次は手の指だ。

 手が動かせなくても指の一本くらいは動かせるだろう。

 指に全神経を集中させよう。右手の人差し指だ。右手の人差し指に全集中だ。


 数秒間、指を動かそうと試みるが、麻酔を受けているような感覚のせいで、指が動いているかどうかが不明だった。


 動いてるのかどうか全くわからん。

 というかさっきから『金縛りちゃん』に見つめられている気がするんだけど。


 『金縛りちゃん』の大粒でキラキラと輝く黒瞳が僕の瞳と交差し続ける。

 興味津々な瞳というのだろうか。不思議そうな表情をしながら僕のことをじーっと見ている。

 そんな表情もまた可愛い。可愛すぎる。


 ま、まずいぞ。

 『金縛りちゃん』があまりにも可愛いせいで、緊張してきた。

 鼓動が早くなってる。体が熱くなってきている。

 せっかく保っていた平常心もここまでか。


 諦めかけている僕に追い討ちをかけるかのように『金縛りちゃん』が動き出す。


 うっ、ま、また!?


 『金縛りちゃん』は僕に覆いかぶさってきた。

 この行動は昨夜と全く同じだ。

 白いワンピースから溢れそうなほどに実ったたわわの感触もある。



「…………フヌーフヌー…………フヌーフヌー」



 同じだ。

 耳心地が良い銀鈴の寝息も昨夜と全く同じ。

 寝息が首にかかってくすぐったいのも同じ。

 全く同じ展開だ。


 さて、男性諸君に質問だ。

 この状況で平常心を保つことは可能だろうか?


 否だ。断じて否だ。


 平常心なんて保てるはずがない。


 僕が童貞だから保てない?


 否だ。断じて否だ。


 童貞だろうがヤリ○ンだろうが、男という生き物として生を授かった以上、この状況で平常心を保てるはずがない。


 なんなのこの子?

 何がしたいの?

 というか金縛り霊ってこんなに可愛いものなの? 

 誰だよ、怖いとか出鱈目(でたらめ)流したやつは!


 ここで意識が失ってしまったら、昨日と何も変わらないぞ。

 せめて、せめて指先だけでも動かせるようになりたい。

 あわよくば腕を動かせるようになって『金縛りちゃん』を触りたい。


 決しておっぱいやお尻を触りたいと言っているのではない。

 非現実的な存在の『金縛りちゃん』に触れてみたいという好奇心だ。

 そうだ。好奇心だ。好奇心。


 でも手の位置的にもお尻を触ることになるかもしれない。

 触るというか当たるって感じだな。

 よしっ! それでいこう! お尻に手を当てよう!



 結局のところ欲求には勝てない。

 それが男の(さが)というものだ。



 いやいやいや。それはまずい。それはまずいぞ!


 お尻を触ろうと決意を固めた僅か三秒で冷静さを取り戻した。


 お尻をいきなり触ったら絶対に嫌われちゃう。

 『金縛りちゃん』に嫌われたらもう来てくれなくなるかもしれない。


 いや、でも触りたい。

 でも嫌われたくなり。


 触りたい。嫌われたくない。ちょっとなら触っても大丈夫か。

 でも女性ってそういうのに敏感っていうか、すぐに気付くというか。

 というか『金縛りちゃん』は幽霊だ。触れるのか?

 いや、今更か。


 掴まれてるような感覚だってあった。

 今だって銀鈴の鼻息が首に当たってくすぐったい。

 白いワンピースから溢れんばかりに実ったたわわだって当たってる。


 ……た、たわわ?

 たわわ……たわわ……。

 ああー!! おっぱい触りてぇー!!


 くそー!

 動け動け動け動け!

 おっぱいが、お尻が、すぐそこにあるのに!



 性欲というものは心を狂わせ判断力を鈍らせる。

 もはや思考停止。性欲のままに動くモンスターだ。


 しかし、指一本動かすことができない。

 どんなに願っても、どんなに気合いを入れても、どんなに力を込めても、動かせないものは動かせない。

 触りたいのに触れない。それもそれで興奮するシチュエーションだ。

 これはこれでいいのかもしれ……な、い?


 って! 違う違う違う違うぞ!

 心が乱れているぞ山中愛兎(まなと)

 とんでもない性癖が芽生えるところだった。

 一旦落ち着くんだ。平常心を忘れるな。



 平常心平常心。



「…………フヌーフヌー…………フヌーフヌー」



 平常心。平常心だ。



「…………フヌーフヌー…………フヌーフヌー」



 へいじょ、う……しん。



「…………フヌーフヌー…………フヌーフヌー」



 ダメだ。全っ然平常心保てねぇー!

 寝息が可愛すぎる。

 息が吐かれるたびに首にかかってくすぐったい。


 そもそも『金縛り』にかかってる状態で平常心を保てるほど僕の心は強くない。

 心が弱いから『金縛り』にかかってるんだ。


 ああ、もういいや。

 いくら頑張っても無理なものは無理。

 この状態でも十分に幸せじゃないか。

 動けなくても全然いい。

 『金縛りちゃん』がそばにいてくれるならこれで全然いい。


 小さな幸せに気付いた。

 それを受け入れた瞬間、視界の右端で何かが動いたのが見えた。


 え? 何?


 『金縛り』にかかっている状態では目蓋のカーテンを閉じられない。

 だから見てしまったのだ。

 ――黒い影を。



 怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。



 なんで黒い影が。



 怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。



 『金縛りちゃん』以外の別の何かが……別の幽霊がいるってことか?



 怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。



 『金縛り』にかかっている状態でも瞬きはできる。

 しかし、自らの意思で目蓋のカーテンを閉じることは不可能だ。

 視線を逸らすことすらもできない。



 怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。



 『金縛りちゃん』みたいに超絶美少女なら大歓迎なんだけど、絶対に違う。

 黒い影……黒い影だぞ。

 まだ視界に映ってるし、ずっと動かない。

 な、何がしたいんだ。

 僕に……()()()に何を……。



 怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。



 僕の瞳は黒い影に吸い込まれていくかのように動く。

 見たらダメなのに。わかっているのに、勝手に動く眼球を止められない。



 怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。



 瞳は黒い影にピントを合わせた瞬間止まった。

 同時に黒い影の正体に気付く。



 ん?

 黒い影って……僕の……僕の、腕?


 黒い影の正体は、天井に向かってピーンと伸びている僕の腕だった。

 無意識だが、右腕を動かすことに成功していたのだった。


 やればできる子。

 昔からそう言われていた。

 本当に僕はやればできる子だった!

 よくやったぞ僕!

 よくやったぞ腕!

 成功だ。大成功だ。

 金縛りにかかっていても、腕を動かすことができるだ!


 せ、せっかくだ。せっかく動いたんだから『金縛りちゃん』を触ろう。

 自然に腕を下ろせば問題ないだろう。

 お尻とかおっぱいとかに当たっても恨まないでくれよ。

 呪わないでくれよ。

 これは不可抗力ってやつだから。


 天井に向かってピーンと伸びた腕を下ろそうと試みる。


 まずは普段通りに脳に命令を送る。

 ――動かない。


 右腕に力を入れてみる。

 ――動かない。


 逆に力を抜いてみる。

 ――動かない。


 腕は天井に向かってピーンと伸びたままだった。


 ダメか……。

 動かせたって言っても無意識だったからな。

 まあ、一歩前進したってことでこれはこれでいいか。


 安堵した瞬間、『金縛りちゃん』の銀鈴の寝息が()()()()に変わった。



「…………動いた?」



 僕の鼓膜は振動した。

 初めて『金縛りちゃん』の声をハッキリと聞くことができた。

 耳心地の良い銀鈴の声は僕の鼓動を激しく鳴らす。

 喜びからではない。緊張と恐怖心からだ。


 やばいやばいやばいやばいやばいやばい。

 もしかして動いたらダメな感じだった?

 金縛りにかかってるのに動くとか絶対タブーだよな。

 もしかしたらとんでもない禁忌を犯したんじゃないか?。


 やばいやばいやばいやばいやばいやばい。

 禁忌を犯した僕はどうなるんだ?

 殺される。殺されるぞ。



 怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。



 僕の心は恐怖に支配される。

 何度も味わっている恐怖心だが、全く慣れることはない。

 怖いものは怖い。


 そんな僕を畳み掛けるかのように『金縛りちゃん』は動き出した。


 天井に向かってピーンと伸びた僕の右腕を引っ張って下ろしていく。

 『金縛りちゃん』の手にかかれば、全く動かなかった右腕はいともたやすくに動いてしまう。


 呪いだ。

 動いてしまった右腕に、禁忌を犯した右腕に呪いをかけようとしているのだ。

 こんな状況でも想像力は豊かだ。否、こんな状況だからこそ想像力が豊かになったのかもしれない。


 『金縛りちゃん』は幽霊だ。『金縛り』の幽霊だ。

 呪いの一つや二つかけられるに違いない。


 こんなことなら動かなきゃよかった。

 おっぱいを触りたいだとか、お尻を触りたいだとか、性欲丸出しの僕にバチが当たったんだ。



 怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。



 その時、指に違和感を感じてしまった。


 指に! 指に! 呪いが! お、折られる!


 指と指の間に何かが入ってくる。

 掴まれているような、絡み付いているような感覚だ。



「…………フヌーフヌー…………フヌーフヌー」



 何かが指に絡み付いている感覚はそのままだ。

 何かをしようとしていた途中で『金縛りちゃん』は、再び銀鈴の寝息を立て始めたのだ。



 助かった、という安堵感が僕の恐怖心を少しだけ和らげた。

 でもまだ安心はできない。

 指に感じる違和感は残っている。


 僕の指は大丈夫なのか?

 何が絡み付いて……絡み付く?


 この状況で指に絡み付くものって()()しかないよな。

 気付いてしまった。


 僕の指に………………。


 気付いてしまった瞬間、睡魔に激しく襲われて意識が朦朧となる。

 飛びかけの意識の中、僕は右手に感じる感覚を忘れないようにと噛み締めるかのように集中した。





 ◆◇◆◇◆◇◆◇





 ピピピピッピピピピッ。


 目覚まし時計の鳴る音に気付き意識が覚醒した。

 その瞬間、無意識に右手で目覚まし時計を止めた。


「……あっ」


 無意識とはいえ、右手で目覚まし時計を止めたことに後悔した。

 後悔と同時に情けない声が静寂とした部屋に溢れた。


 グーパーグーパーと右手の無事を確かめる。


 呪いだ。

 僕は呪いをかけられた。


 恋の呪いに。


 細くて長い指、柔らかい手のひら、ひんやりと冷たい感覚。

 その全てを右手が覚えている。


 僕は『金縛りちゃん』に手を繋がれたんだ。

 指を絡めて手を繋がれた。

 所謂(いわゆる)恋人繋ぎというものだろう。


「金縛りちゃんと手を……」


 思わず右手に頬擦りをしてしまった。

 匂いを嗅ごうかと思ったが、理性がそれを抑えた。

 匂いを嗅ぐのはダメだ。



 また手繋ぎたいな。

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