19 幸せな時間はあっという間に過ぎていく
起きた。何事もなく起きることができた。
それにしてもなんだ? この美味しそうな匂いは。
「おっ、やっと起きたか。ぐっすり眠れたようで良かったよ」
「リナ先輩。お、おはようございます」
リナ先輩の顔見たらめっちゃ恥ずかしくなってきた。
そうだよな。そうだよな。だって同じベットで一夜を共にしたんだから。
何事もなかったけど……いや、何事もなかったわけじゃなかった。
右腕に残る柔らかい感覚。そして左足に残る掴まれたかのような感覚。
何事もなかったわけじゃなかった。
「朝ごはん作ったから食べていきなよ」
「あ、朝ごはんですか!?」
ソファーに座る先輩は笑顔でテーブルの上に並んだ朝食を僕に見せた。
食力をそそる美味しそうな香りの正体は『こんがり焼けたトースト』『スクランブルエッグ』『ソーセージ』『洋風スープ』『サラダ』だった。
完璧なモーニング定食だ。
「すごく美味しそうです。でもいいんですか? 朝食まで用意してもらうだなんて……」
「これぐらいは、もてなさなきゃね! 一応あたしは女子なんだしさ」
「あ、ありがとうございます。そ、それじゃ顔洗ってからいただきますね……」
「それじゃ、このタオル使って」
リナ先輩が渡したタオルはウサギのイラストが入ったタオルだ。
そのタオルを持ちながら風呂場の横にある洗面所へと向かった。
なんだろう。すごく彼氏感ある!
洗面台に真っ直ぐに行けた僕、すごく彼氏感がある!
やばいまた胸がドキドキし始めてきたぞ。
早く顔を洗おう。
顔を洗った後、タオルで濡れた顔を拭いた。
先輩の匂いがするタオル。
いつまでも嗅いでいたい。
って! 変態か僕は!
でも最後に思いっきり一吸いしてから部屋に戻ろう。
◆◇◆◇◆◇◆◇
昨夜食べたごはん同様にリナ先輩が作る料理はなんでも美味しい。
さすが女子! さすが清楚系ギャル!
リナ先輩と付き合える男は本当に羨ましい。
リナ先輩の手料理を食べれば絶対イチコロだよ。
食器や調理器具を洗うために僕は台所へと向かった。
昨夜の夜食と朝食のお礼として、これくらいは僕がやろう。というか申し訳ない気持ちでいっぱいだからやらせてください。
「洗い物は僕がやります! バイトで磨き上げた洗い物のテクを屈指して完璧に洗いあげますね!」
「すごい自信だな。それじゃ、お願いしちゃうね」
「はい!」
ピンク色のスウェットの袖を限界までまくった。
そして食器と睨み合う。そのまま洗い物を始めた。
居酒屋のバイトの定休日は毎週月曜日だ。
今日は日曜日だけど僕のバイトが休みの日。
リナ先輩はバイトがあると言っていたので洗い物を終えたらすぐに帰ろう。
長居したら迷惑だからな。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「それじゃ僕は帰ります。何やら何まで本当にありがとうございました。今日のバイト頑張ってくださいね」
「うん。こっちこそいきなり誘ってごめんね。それと相談に乗ってくれてありがとう。またバイトで会おうね」
「はい! では……」
扉を開けた。その瞬間、寂しさが心を支配する。
けれど、家を出た。家を出るしかないからだ。
僕はリナ先輩の彼氏ではない。ただの先輩と後輩の関係。もっとよく言えば友達の関係だ。
だから家を出て帰らなければいけない。
扉を閉める直前、リナ先輩の顔が見たくなって振り向いてしまった。
振り向いたらダメだとわかってるのに体が勝手に振り向いてしまう。
リナ先輩は八重歯をチラッと見せながら笑顔で手を振ってくれた。
もっと一緒にいたいと思ってしまった。今日も明日も泊まりたいと思ってしまった。
けど、そんな気持ちを押し殺して、静かに頭を下げてから扉を閉めた。
「……はぁ〜」
情けないため息が溢れる。
けれどゆっくりと気持ちが回復して行った。
だってこんな経験は二度と起きないから。
だからため息も出てしまったのだ。
鼻歌を歌いながら帰ろうかな?
苦手なスキップをしながら帰ろうかな?
そう思うくらい僕はリナ先輩に癒されていた。楽しい思い出ができたのだ。
リナ先輩の手料理はすごく美味しかった。また食べたい。
同じベットで一緒に寝た。めちゃくちゃドキドキした。
童貞のままだけどいい経験したな。一生忘れません。
でも本来の目的である恋バナの方はどうだっただろうか?
恋バナらしい恋バナはできなかったけどこれでよかったのかな?
もう少し僕に人生経験や恋愛経験があればよかったんだけど……。
でも、少しでも力になれたかもしれない。
実際はわからないけど、そう思うしかない。
リナ先輩と過ごした幸せな時間を思い出すだけでニヤニヤが止まらない。
何もかもが新鮮で楽しすぎた。本当に、本当に楽しかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
家に到着した途端、夢から現実に戻った気分を味わった。
緊張から解放され、やっと心を落ち着かせられる。それと同時に孤独の時間が戻ってきた。
一人が寂しいだなんて……ウサギみたいだな……僕は。
でも寂しいのは本当だ。一人は寂しい。一人は嫌だ。
こんな感情は初めてだ。
一人じゃない幸せを感じてしまったから。
ずっと緊張やら興奮やらで変な『疲労』が溜まっていたと思うけど、朝になったらそれも全部なくなってたな。
レイナちゃんが僕の『疲労』を吸ってくれたおかげだ。
でもそのせいで、今日の分の『疲労』が全然ないぞ!
いや、レイナちゃんのせいじゃない。バイトが休みな僕のせいだ!
でもあの時はいきなり現れて驚いたな。大変なことにならなくて本当によかった。
でも今夜からが大変かもしれない。
リナ先輩の家にいた時はずっと膨れっ面で不機嫌そうだったし……。
今夜、僕はレイナちゃんに何をされるんだろうか……。
最近は、金縛り大歓迎! カナちゃん大歓迎! レイナちゃん大歓迎! って感じだったけど、純粋に金縛りに怯えてるわ。
なんか懐かしい気持ちでもあるな。
それと同時に複雑な気持ちでもあるけど……。
カナちゃん……は、来てくれるかな?
別の人に金縛りをかけてるらしいけど……もう会えないのかな?
ちょっと寂しいな。いや、すごく寂しい。
金縛りの幽霊のカナちゃんが好きだ。もちろんレイナちゃんも好きだ。そしてリナ先輩のことも好きになってしまった。
でも僕はリナ先輩を選ぶことができない。
リナ先輩には好きな人がいる。僕なんかが入る余地ないんだ。
それに僕とリナ先輩はバイト先の先輩と後輩の関係。職場恋愛なんて無理だ。
だからその気持ちがブレーキをかけているんだ。
それだけじゃない。リナ先輩のことが好きって気持ちは本物なのに、どうしてもカナちゃんの顔が脳裏に浮かんでしまう。
普通なら幽霊よりも人間を選ぶはずなのに……それなのに……僕はカナちゃんを一番に考えてしまう。
僕っておかしいのかな?
僕はカナちゃんに一目惚れをした。この気持ちは嘘じゃない。本物だ。
同じようにレイナちゃんにも一目惚れしたかもしれない。
でも気持ちはカナちゃんの方に向いてる気がする。
だから僕が一番好きなのはカナちゃんだ。
リナ先輩の事を好きという気持ちが本物でも諦めるしかない。
リナ先輩の恋を一生懸命応援してあげる。そう決めたんだ。
色々と悩んだけど自分なりに答えが出せた気がする。
何だろう。恋って難しくて複雑なんだなって思い知らされたよ……。
こんなに難しい道を通って恋人同士になるのか。本当にすごいな。
さて、少しすっきりしたところでせっかくの休みを楽しもうじゃないか。
まあ、だけどだらだらと過ごすだけなんだけど。
これも金縛りの幽霊にとっては『栄養』になるんだよな。
そのためならだらだらと過ごしても苦じゃない。カナちゃんとレイナちゃんに『栄養』を献上するって考えれば苦じゃない。
だからたくさんの『疲労』を……身体的疲労を、精神的ストレスを溜めて、不摂生な食事をとるぞ!
それに先輩の家で熟睡できなかったから普通に眠い。
疲れは取れていても眠いことには変わりないんだよな。色々と深い。
まあ、昼から寝ても全然いいだろう。
だって休みなんだから。だらだらとした生活を送るんだから。
この時間に寝ても金縛りってかかるのかな?
それも検証したい。
よしっ! 今すぐに寝よう!
リナ先輩からもらったスウェットを抱きしめて寝よう!
リナ先輩の残り香を嗅ぎながら寝よう!
リナ先輩の温もり……はないな。冷たい。
なんでだろう。スウェットを抱きしめてるだけなのに、リナ先輩を抱きしめているかのように錯覚できる。
気持ちがいい。心が癒される。
ああ、僕はなんて変態なんだ。
でも変態最高。
誰にも迷惑かけてないんだからいいよね。
スウェットをリナ先輩だと思って抱きしめてもいいよね。