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再会

作者: 一文

 もし、運命があるなら、忘れていても同じ言葉で伝えられるだろうか。感情や愛が、きっと脳に生じた微弱な電気信号だったとしても、それを疑いようもなく愛おしく思うことはできるだろうか。


 初めて会った日のことは覚えてない。でも、初めて見たあの横顔は覚えている。少し癖っ気のあるつややかな髪、宝石を思わせる吸い込まれてしまいそうなほどきれいな瞳、きめ細やかな白い肌に、ほんの少しの幼さの残る口元。「天使のようだ」なんて言葉はきっとこの人のためにあるんだと確信した。

 あれからもう長く経つ。

 かつてはあれほどつややかだった髪も今では色褪せてしまっている。荒れた肌にやせこけた頬、うつろな目、乾いた唇、病に侵された彼女は僕の隣で微睡んでいる。


 彼女が病に侵されていると知ったのは彼女と付き合ってしばらく経った頃だった。

 いつも待ち合わせをしていた公園の前で彼女は力なく崩れていった。のちに彼女が目覚めたとき、自分は不治の病を患っており、もう長くはないこと、そして自分は死んでしまうと自分が一番愛する人の記憶からいなくなってしまうことが告げられた。

 僕にはどうしていいのかわからなかった。急にこんなことを告げられても実感がわかなかった。昨日まであんなに元気だったのにもう死が近い?頭の悪い僕には到底受け入れられる話ではなかった。

 それから間もなく彼女は本格的に入院した。僕は毎日のようにお見舞いに行った。見る見るうちに弱っていく彼女をただそばで見ることしかできない自分を責めた。僕はただひたすらに自分にできることを探した。彼女の笑顔が見たくて必死に笑わせた。彼女の声が聞きたくて必死に声をかけた。彼女に悲しんでほしくなくて必死に涙を堪えた。

 僕はただ彼女を救いたかった。明るく照らされた道をまた二人で手をつないで歩きたかった。なんの気なしに空を見上げて二人で笑いたかった。


 ある日病院から久しぶりの外出許可が下りた。どうしても最後に思い出を作りたいという彼女のわがままだった。病院のほうも様々な条件付きでしぶしぶ許可してくれた。

 いつぶりのデートだったろう。彼女はできる限りのおしゃれをしていた。久しぶりに日の光に照らされた彼女は、あんなに弱っていたのがウソのようにきれいだった。このころにはもう満足に歩くこともできなくなっていたので車椅子でのデートだった。人の多いところは病院に禁止されていたので、人道りの少ない海辺の道を二人で訪れた。あんなに楽しかったのはいつぶりだろう。車椅子を押す僕を労いながら彼女は少し申し訳なさそうに微笑んだ。

「ごめんなさい」

彼女は言った。その目には涙が浮かんでいた。

僕は彼女が流した涙をそっと手で拭った。

僕は謝らないでほしいこと、こうして一緒にいられるだけでとても幸せだということを伝えると

「愛してる」

と、か細い声で伝えられた。

僕もだと答えると彼女は大粒の涙を流しながら泣いてしまった。

 しばらくして日が落ちると僕らは思い出の場所に向かった。

 あまり人気のない公園。真ん中に簡素な噴水があり、それを囲むように古いベンチが点々と配置されている。ここは僕らが付き合った場所だ。

 あまり人気がない場所を選んだのは僕が恥ずかしがりだったからだ。彼女と2人で出かけた帰りにここに寄って、ベンチに座りながら付き合ってほしいと噛みながら途切れに伝えたことは付き合ってしばらくしても彼女にいじられていたことを思い出す。

 2人で告白したベンチに腰掛ける。夜空が綺麗だった。

 彼女の方を見る。

 彼女と目が合う。

 僕たちはきっと、今世界で1番幸せだと感じた。

 夜風が彼女の体に障りそうだったので、そろそろ病院に戻ろうと彼女に伝えた。彼女をベンチから車椅子に移す。車椅子の彼女に声をかけ歩き出す。車椅子を押す僕の手に、彼女は自分の手を重ねる。愛おしそうに僕の手を撫でる彼女の手はひどく儚げに見えた。


 彼女を病室に送り、今日のデートのことを振り返る。彼女は楽しかった、幸せだったと言ってくれた。それだけで僕は嬉しくて涙が出てしまった。泣いて喜ぶ僕を見て彼女はおかしそうに笑った。彼女が笑う顔を見て僕はもっと涙が出てしまった。


 デートの日からひと月程過ぎた頃、病院から連絡があった。容態が変わったので来てほしいとのことだった。最近は起きていることも難しくなってきていたので、そろそろなのだろうと心のどこかでは理解していた。ただ、理解と納得は別だった。

 病院に着くと、想像とは違う状態の彼女に驚いた。彼女はベットにもたれながら窓の外を眺めていた。

 体の具合はどうかと声をかけると彼女はゆっくりと振り向いて

「大丈夫」

と少し笑みを浮かべながら答えた。今日は何故か体が全く辛くないそうだ。容態はたしかに変わっているが、完治したのかと勘違いしたしまいそうな程に彼女は元気だった。しかし、彼女は悟ったような表情をしていた。

「私はもうすぐあなたに忘れられてしまう」

彼女が言う。僕は信じたくなくて首を振る。最近の弱った姿からは信じられないくらいに元気になったんだ。きっと奇跡が起きたんだ。治ったに決まってる。僕は泣きながらそう訴える。彼女は首を振る。

「わかるの。もう長くないわ。昨日までの体の重さが嘘みたい。きっと神様が最後にくれたチャンスなんだわ」

彼女は心底嬉しそうに話す。僕は信じたくなくて俯いたまま涙をこぼす。

 彼女が僕を抱きしめる。強く、強く僕を抱く。僕は唇を噛みながら彼女を抱きしめる。ずっとこうしたかった。彼女を両手で強く抱きたかった。彼女は泣きながら僕の耳元で「ありがとう」と「愛してる」と繰り返す。急に彼女の体から力が抜ける。膝から力なく崩れていく彼女を僕は優しく受け止め、そのままベッドへ横にする。ほんの少しの間でも彼女を以前のように抱きしめることができた。それだけで僕も彼女も満足だった。

 彼女が微笑む。僕も微笑み返す。手を握り、唇を重ねる。最後だと言うのにありきたりな言葉しか出てこないのが悔しい。「愛してる」や「大好き」では足りない。彼女もそれを理解したのか、僕の背中を撫でながら

「わかってる。私もよ。」

と声をかける。少しずつ背中を撫でる彼女の腕から力が抜けていく。彼女は掠れた声で「ありがとう」と繰り返している。

 嫌だ、忘れたくない。彼女の温もり、声、表情、記憶。どれも僕の大切な宝物だ。忘れたくない。忘れたくない。自分の気持ちを伝えなくてはいけないと言う衝動に駆られる。

「僕といてくれてありがとう。僕を選んでくれてありがとう。僕を好きでいてくれてありがとう。僕に思い出をくれてありがとう。僕に幸せをくれてありがとう。」

足りない。足りない。何をどれだけ言っても足りない。心の底からの愛をなんと伝えていいのかがわからない。伝えたい気持ちが濁流のように喉に詰まる。伝えたい愛が喉をつっかえて僕は苦しくなる。目の前の彼女はみるみるうちに弱っていく。弱りきった声で彼女が僕に聞く。

「私を忘れても、あなたは私を好きでいてくれる?」

僕は泣きながら当たり前だと答える。

「僕は忘れても君を愛してる」

そう伝えると彼女は今までで1番の美しい笑顔を見せてくれた。

 彼女が目をつむる。僕は一生懸命に愛を伝えた。彼女の息が細くなる。僕の涙が彼女の頬に落ちる。

「愛してる、大好きよ」


 僕は病室にいた。9月の夕焼けに照らされたベッドの上で女性が横になっている。

 なんてきれいな人だろう。「天使のようだ」なんて言葉はきっとこの人のためにあるんだろうな。

はじめての投稿です。優しい目で読んでいただけると幸いです。

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