【4】天青高校
ある明朝。
清天神社に見慣れぬ姿の女性が居た。
しかし髪の色からそれが娘伯だと気付く者は、
「ぬははは!なんじゃその格好は!?」
社務所の屋根上から鬼娘の高笑いがする。
先週加わった新しい居候。椿鬼の声だ。
「……うるさい」
どこか不機嫌な様子。
これから始まる新しい任務に娘伯は不安しかなかった……。
天青高校。
地元ではそれなりの歴史を持つ学校であり青井と風花が通う高校である。
1年C組の教室で朝から青井は悩まされていた。
「妖怪なんてありえない…妖怪なんて」
チョウや椿鬼と出会いそして娘伯の本業を知り事実を受け入れられないでいる。
「あーおーいー?一週間もそんな事で悩んでたら顔に皺が出来ちゃうよー?」
朝のHR前から既に風花は元気である。
机に突っ伏した青井を横から覗き込む。
「ひゃう!?…なんだ風花ビックリさせないでよ」
驚かすつもりはなかったと風花は平謝り。
「妖怪の事は気になるけどさ…気にしなければいいじゃん?」
「でも風花…もし学校に妖怪が居たらどうする?」
現実に清天神社には妖怪が2人も棲んでいる。
ならばこの都会に…日本中に妖怪が潜んでいてもおかしい話ではない。
「娘伯さんに教える!今の私達にはそれしか出来ないかなぁ」
事情を知ったとは言えやはり風花も青井も一般人。
娘伯のようにその場で妖怪退治をするなど到底無理な話なのだ。
朝のチャイムが鳴り話は途切れ生徒が席につく。
しばらくして担任の先生が教室へ入ってきた。
「今日は点呼の前に新任の教師を紹介します」
入ってどうぞ、と担任が廊下へ声をかける。
そして生徒達はその姿にどよめく。
青井と風花は目を点にしてその現実を受け入れられないでいた。
「……娘伯です」
白く長い髪は2人にとって馴染み深いものだが巫女服でなくスーツ服に身を包んだ彼女に大きな違和感を覚える。
「「こ…娘伯さん!!」」
ほぼ同時に叫び他の生徒や担任は困惑する。
まさか知り合いが居るとは知らず娘伯も鞄で顔を隠してしまった。
HRが終わり一限目の直前に青井と風花は教室を後にする娘伯を追いかける。
明らかに早足であったが大声で呼び止めなんとか捕まえる事が出来た。
「な…なんで学校にいるんですか!?」
息切れする青井に代わり風花が問う。
知人にバレてしまった娘伯は顔を真っ赤にしてやはり顔を隠してしまう。
「もしかして…妖怪が絡んで?」
畳み掛ける風花に娘伯は声を漏らす。
「妖怪が居るかもしれないから…」
「それなら…私達も協力しますよ!」
「ぇ…私”たち”?」
風花の提案に青井も戸惑う。
「私も青井も清天神社の巫女ですから!バイトですけど」
「確かにそうだけど…その前に私達は妖怪と戦えないでしょ」
ただの人間である青井と風花ではいざ妖怪と対峙した時に対抗する術が無い。
「ま…まだ妖怪が潜んでるか解らないから…調査だけ」
いつもより弱々しい声で娘伯は二人を制する。
「なら聞き込みだけでも出来ますよね?」
「神社でお世話になってるから少しでも手助けしたいんです!」
青井と風花の決意は固く娘伯も不慣れな場所でこの調査を完了できるか不安だった。
「……解った…でも危険を感じたらすぐに逃げて」
「はい!」
「あ…もうすぐ授業始まっちゃうよ」
一限目の教師が教室へ入り二人も慌てて戻る。
「それじゃあね!娘伯先生!」
風花に手を振られやはり気恥ずかしくなる娘伯。
「はぁ…よし頑張ろ」
学校側の承諾を得て担当する教科が無い。
丸一日暇になる娘伯は地道に手がかりを探し始めた……。
「はぁ…娘伯さんの前で張り切ったものの…」
昼休みに教室で昼食を済ませた風花は杞憂に囚われていた。
まだ入学から1ヶ月程度の二人では天青高校の全てを把握出来てないからである。
「絶対居るって訳じゃないんだから…」
「いや!娘伯さんがわざわざ来るんだからこの学校に妖怪は居るはず!」
消極的な青井とは対照的に風花は本当に妖怪を見つける気でいる。
「えっと…次は体育だから着替えないとだよ」
「絶対妖怪見つける!」
非日常的な宣言をし二人は次の授業に備える。
「そういえばさ…」
体育の時間はサッカーになった。
男女入り乱れてコートは2つ。
青井と風花は同じチームとなって気楽に雑談している。
「どうしたの?」
「私達のクラスの体育って変じゃない?」
訳の解らない事を言われ風花は首を傾げる。
その理由が対戦してる自チームと相手チームにあった。
「陽石!ボールそっちに行ったぞ!」
名を呼ばれた男子に見える女子生徒が浮いたボールを取る。
「やらせるか!」
負けじと風花がディフェンスに向かう。
話半ばで青井は呆然と立ったままだ。
陽石の前方を遮り大きく腕を広げる風花。
しかし陽石は走る勢いを落とさずボールを上へ蹴りそのまま自分も大きく跳んだ。
「うぇ!?」
大人一人を超える高さの跳躍に風花はなす術が無い。
ボールを胸に受け風花を飛び越えた陽石は華麗に着地しゴールへ向かう。
その後も3人がかりで男子生徒が守りに入るがプロのような鋭いドリブルで切り抜けてしまう陽石。
ゴール前はキーパーと青井だけになった。
「今日こそは…行けぇ!」
ど真ん中へシュートを放つ。
「ひぃ!」
華奢な脚から繰り出したとは思えない力強いボールに青井はたまらず避けてしまう。
しかしキーパーの男子生徒は一つ深呼吸すると両手を前へ差し出す。
「春子!」
誰かが避けてと警告するよりボールは春子の掌へぶつかる。
手を動かしたかと思うとボールの回転は落ち綿菓子のように受け止めてしまった。
「春子…!」
悔しがる陽石だが春子は何事もなくボールをゆっくり蹴り飛ばす。
「もっと加減しなきゃ怒られちゃうよ?」
そう言うと様子を見てた女教師がおーいと二人に呼びかける。
「ひせ…き!はる…こ!少しは手加減しろー!」
二人は揃ってはーいと返事する。
「青井ー!だいじょうぶー?」
尻餅をついたままの青井は陽石と春子の凄技に唖然としている。
駆け寄った風花の声でやっと我に返った。
「やっぱり…私達のクラスの体育はおかしい…」
双子のような陽石と春子の顔立ちに青井はふと呟く。
結局その日のサッカー”も”0対0の引き分けで終わってしまった……。
天青高校の放課後。
HRも終わり部活や帰りの支度で終われる生徒達。
風花は卓球部に、青井はこのまま帰宅となり今日はここでお別れとなった。
そして娘伯は静かになった教室を巡り思い悩んでいる。
「妖怪の手がかり…見つからない…」
そもそもここまで青井と風花以外とは話をしていないから当然である。
人見知りの娘伯はやはり荷が重いとため息をこぼした。
「後は罠を仕掛けるしか…」
妖怪と対峙した時に備え鞄にはいつもの小刀と御札を忍ばせている。
一枚取り柱に貼り付ける。
妖怪が通れば電撃が放たれる御札だ。
しかし妖怪の周りに人間が居た時の被害まで考えていない。
「…よし下の階に行こ」
娘伯が仕掛ける場所を探していると廊下の先で体育教師が歩いてきた。
女性ながら教師用のジャージで少々身だしなみが乱れている。
青みがかった長い髪と金のような瞳に娘伯の直感が訴えかけてきた。
「全くハルもヒセも加減を知らない…」
頭を掻き体育教師は独り言を呟きつつ娘伯とすれ違う。
「ぁ…あの…」
女々しい声で娘伯は振り返り呼び止める。
「ん?どした?」
体育教師は娘伯の事など気にも留めないようだが一応立ち止まる。
しかし人見知りの娘伯は何気ない返事すら圧を感じてしまいそれ以上訊ねる事が出来なかった。
「な…なんでも…ないです」
「ぉ…おう」
ぎこちない言葉に体育教師は首を傾げながらその場を去る。
仕方ないと言い聞かせ娘伯が廊下の角を曲がるその直後、
『バチンッ!』「ぐえ!」
後方で御札が反応したのだ。
電撃の音が聴こえ先ほどの体育教師の悲鳴が上がる。
娘伯は身を翻し道を戻る。
「待て!」
「いつつ…やべ!?」
その声は妖怪退治の時と同じ凛々しいものだ。
体育教師も娘伯に気付き頭を押さえながら走り出す。
普段の娘伯なら追いつける筈だ。
しかしまだ日が上ってるせいで人並みの速さでしか走れない事、
そして慣れないスーツと革靴で走った事で娘伯は足を挫き転倒してしまった。
「へぶ!」
顔から床に激突し情けない声を上げる。
なんとか頭だけ起こすも既に体育教師は逃げ切り姿を消した後だった…。
「ただいま……」
既に夜を迎えた清天神社。
どっと疲れた声で娘伯は帰ってきた。
社務所には元斎と勝一がくつろいでいる。
「おかえり…はっはっは!どうしたその格好全然似合わないぞ!?」
「娘伯やおかえり…学校はどうだったかな?」
二人のことなど気にせず娘伯は高速で個室に入ったかと思うと、
あっという間にいつもの巫女装束に着替えてしまった。
「そんな気にすることじゃないだろ…に…似合ってたぞ」
勝一が無駄なフォローを入れるも不機嫌な顔でちゃぶ台の前に座る娘伯。
「ふむ…では報告を聞こうか」
「……あそこには妖怪が潜んでる」
やはりと言った様子で元斎は頷く。
「確か青井と風花が通ってる高校だろ?大丈夫なのか?」
「実害が出てないからまだ判らない
でももしかしたら複数居る」
少なくとも娘伯は御札に反応した体育教師と遭遇している。
暗躍の理由が解らない上では討滅の決断は難しい。
「娘伯の正体は悟られぬようにしなければな」
「ところで勝一はどうして此処に居るの?」
「たまには飯の厄介になろうと思ってな
それで娘伯を待ってた」
台所では既に食材と食器が並んでいる。
「では作ろうか…娘伯も手伝ってくれるか?」
「疲れた」
「なら勝一」
「はぁ…タダ飯は嫌ですからね」
身体を解し仕方ないと立ち上がる勝一。
意外にも手際が良く手伝うよりも殆ど一人で料理を作っていく。
「独り身だと家事がこなせるようになるんですよねぇ」
娘伯がちゃぶ台に顔を埋めてる間に3人分の夕食が出来上がる。
「ほらほら邪魔だぞ」
娘伯の前に出たのは味噌汁にご飯、作り置きのお新香と見慣れぬ魚の唐揚げだ。
「…いただきます」
恐る恐る魚の唐揚げを取る娘伯。
「うむ…美味いな」
先に食べた元斎が料理を褒める。
ゆっくり口へ運びゆっくり咀嚼する娘伯の方はまるで毒味をしてるかのようだ。
「……!」
美味のあまりに言葉を失い疲れを吹き飛ばすほど瞳は輝いていた。
「お?お気に召したかな?」
嫌な笑顔で煽ってくる勝一。
負けを認めたくない娘伯はいつもの無表情に戻し淡々と食事を続ける。
「まぁまぁ……美味しい」
後の言葉はとても小さく言った。
「ごちそうさま」
一番に夕飯を済ませた娘伯。
「中々良かったぞ勝一…意外な特技があるとは知らなかった」
「また必要になったらいつでも作りますよ
娘伯も喜んでくれたみたいだからな」
心情を見透かされ娘伯は顔を赤くする。
「喜んでない…!」
「素直じゃないなぁ」
食器は全て元斎が片付けてくれた。
「そういえば…椿鬼が居ない」
朝は騒がしく自分の格好を馬鹿にしてた椿鬼が居ないことにやっと気付く。
「何処かへ出かけてくるって言ってたな…確か夕暮れ時」
それから帰ってきていないとなればこの都会で迷子になっている可能性もある。
「ふむ…あまり妖怪が出歩くのはこちらとしても危険なのだが」
鬼の生態はよく知らないが娘伯はなんとなく何処かで酒を呑んでるのだろうと思った。
「大丈夫でしょ」
学校の事で手一杯な娘伯にはこれ以上の面倒事は嫌なのだ。
「いや!あいつは一度ガツンと言っておかないとダメなタイプだ!」
初対面から最悪の印象を抱いた勝一には椿鬼の悪行が許せない。
「門限は守らないと!でしょ?」
「う…うむ…では娘伯や…勝一と一緒に椿鬼を連れ戻してくれるか?」
気圧された元斎は娘伯との同行を促す。
いざという時に勝一が危険に晒されるのは良心が痛むからだ。
「全くどうして…」
「飯の借りなら今返すべきじゃないのかな?」
また意地悪く煽る勝一に娘伯はため息と共に御札を取り出す。
その中で一枚が淡く光っているのを確認し立ち上がった。
「多分此処に椿鬼が居る」
都会中に貼り付けたそれは妖怪が通ると対の御札が反応する仕組みになっている。
よしと勝一も立ち今夜の残業を決め込んだ。
思わぬ依頼に娘伯はとても不機嫌だ。
一人だけなら韋駄天の足で素早く椿鬼を捕まえられるが、
何故か勝一まで付いてきたからである。
「なぁ娘伯は私服持ってないのか?」
「これが私服…後は寝間着」
夜の都会は人通りも多くラフな格好の勝一はともかく巫女装束の娘伯は注目の的だ。
コスプレと間違われ写真まで撮られてる始末である。
「巫女服で出歩くなんて漫画やアニメじゃあるまいし…」
「まんが?あにめ?」
「お前もうちょっと娯楽と常識を知った方がいいぞ」
自分の理解できない単語にムッとし娘伯は足を早め脇道へ入ってしまう。
「おい待てって」
慌てて勝一も続く。
暗がりで視界が悪くなった所に娘伯の小刀が勝一の喉に迫った。
「これが”この世界”の常識…油断しないで」
「わ…分かったよ…それで椿鬼はここらへんに居るのか?」
小刀は納めて御札を確認する。
やはり近くに対の御札があるのだろうが、
勝一にはその違いが全く解らない。
入り組んだ道を進み人気も全くない場所。
そして一つ角を曲がろうとした所に一行の横を何かが通り抜けた。
「へ?」
正しくは吹き飛んだと言うべきか、
壁に大穴を開けた正体は勝一より背の高い鬼である。
「ぉ?おぉ娘伯に勝一ではないか!こんなとこで何をしておるんじゃ?」
「…それはこっちの台詞」
視線の先に先程と同じ体躯の鬼を首から掴んでいる椿鬼が居る。
笑顔で自分より巨大な相手の屍を作った様は奇妙な光景だ。
「娘伯が苦労してそうじゃからこっそり手助けしようと思ったが」
「妖怪の討滅は依頼次第…好き勝手に暴れられても困る」
椿鬼の言い分など聞く耳持たず人間の都合に合わせるようにと娘伯は説く。
しかし言われても椿鬼はつまらなそうな顔で見つめる。
「ま…まぁあれだよな…妖滅連合が椿鬼を討伐対象にしても困るだろ?」
「私は困らない」
「むしろ本気の娘伯がやれるなら望むところじゃ」
勝一のフォローも虚しくやはり2人は妖怪と妖滅巫女なのだと思い知らされる。
「しかし一人でこの地を護るのは些か骨が折れるのう」
「それが私の使命…私にしか出来ない事」
刷り込まれた使命に椿鬼はため息を落とす。
「いくら御主が凄腕でも護る事に限界はあろう?少しくらい誰かを頼ってみてもいいんじゃないかの?」
例えばと勝一を指差す。
が娘伯は即答で駄目だと言い放った。
「俺は戦力外かよ」
「それでわざわざこんな所に来て何の用じゃ?」
「そうだった!心配だからお前を連れ戻しに来たんだぞ」
心底どうでもいい娘伯とは違い勝一は一応彼女の事を案じてたようだ。
「別に儂のことなぞ心配せずとも…」
「子供は門限を守らないと…て勝一が言ってた」
椿鬼は握り拳を作り餓鬼扱いするかと問う。
そんな事は言ってないと勝一は必死で首を横に振る。
「従うのは今宵だけじゃぞ」
背伸びをし椿鬼は元来た通りへ向かう。
「こんな無茶は二度としないで」
「わ…解っておる!ならば代わりを探すしかないのう…」
娘伯への返事の後に椿鬼はやはり企み事をこぼす。
「はぁ…それじゃ俺はこのまま帰るから後よろしくな」
大通りまで出た所で勝一は一人帰路を急ぐ。
巫女と鬼は行き交う人混みの中でも異様に目立っている。
「椿鬼…その角は隠した方がいい」
「大丈夫じゃ儂”ら”の事は精々”こすぷれ”と思われておるじゃろ」
椿鬼は現代で覚えた言葉で娘伯を惑わす。
「こす…ぷれ?」
「いいから帰るぞ!」
椿鬼は足早に都会を歩き娘伯も付いて行く。
既に椿鬼が成敗した鬼は砂となり都会の空へ消えた後だった……。




