【2】バイト
郊外での妖怪退治が終わってしばらく日が経った。
依頼の無い清天神社は今日も静かな朝を迎えた。
危険な妖怪の討伐を目的とした妖滅連合、そこに属する妖滅巫女、娘伯の朝は遅い。
共に住む宮司を務める元斎は最近何処かへ出かける事が多く留守にしている。
禰宜の勝一も今日は休日である。
何も無い時こそ二度寝をと娘伯は布団に潜り込もうとしたが、
境内から箒の掃く音が聴こえ眠気は覚めた。
娘伯は寝る時以外サラシを胸に巻いている。
元斎から教わりその豊満な胸が邪魔にならないようにしてるからだ。
巫女装束を着て馬上袴の帯を結ぶ。
ちょっとの寝癖を整えて社務所の個室を開け境内を覗く。
「……誰?」
気の抜けた声を漏らした先に見知らぬ巫女が2人。
1人はおかっぱでもう1人は茶髪、
どちらも背は育ち盛りで同じくらい。
自分よりも歳下と娘伯は判断した。
茶髪は箒の手を休み駄弁り始めた。
「青井〜そんな真剣にやらなくてもいいでしょ〜」
青井と言われたおかっぱ女子は境内の石段を丁寧に掃いている。
「落ち葉とか散らかってるんだから綺麗にしないと駄目でしょ風花」
茶髪に向かって風花と呼ぶ。
青井の近くではゴミ袋一つは満杯に出来る程の落ち葉の山が出来ていた。
「此処の巫女さんが仕事してくれないって言ってたけど…まさかこれほどとは」
まだ鳥居から拝殿までの参道を綺麗にしただけで青井は深くため息をつく。
「外なんだからゴミはすぐ溜まるでしょ?」
楽天的に構える風花とあくまで掃除でも真剣な青井。
見れば見るほど娘伯は2人の正体が掴めない。
困った娘伯が目指すのはただ一つ。
「チョウなら何か知ってるかも」
蔵は拝殿の左側に鎮座するが社務所からまっすぐ行くと目立ってしまう。
なので娘伯はわざわざ本殿の裏まで遠回りし蔵へ目指した。
「チョウ…いる…?」
こっそり扉を開けて友の名を呼ぶ。
まだ汚らしい中で一つの提灯がカタカタ動いた。
『どうしたんですかい姐さん!』
「しっ!声が大きい」
元気に挨拶した提灯お化けの口を一旦遮る娘伯。
「…外に知らない巫女が居る」
『えぇ!?』
わざとらしく大声を出したのでまた塞ぐ。
「あの2人は…だれ?」
『そりゃ多分あれっすよ…バイトの子じゃないすか?
さっき此処に来て初仕事だーって言いながら掃除道具探してましたもん』
娘伯にとっての”聖域”すら勝手に荒らされて複雑な心境だ。
「姿は見せてないよね」
『姐さんかと思って一瞬…』
一般人に妖怪の存在は秘匿されている。
特に妖滅連合の管理する神社で居住を許されているチョウは気をつけるべき事だ。
「…不用心」
『それはすみませんて…でもどうするんすか?
せっかく仕事してるすから挨拶してあげないと』
常識的に考えてそれが普通。
しかし自分より歳下の…しかも同じ女性を相手した事が無い娘伯には妖怪退治より解らない事なのだ。
『おはようごさいます〜って気前よく笑顔振りまいて会釈すりゃいいんすよ』
そんな事を言われても、と娘伯は苦い顔をする。
そしてこんな無駄なやり取りが背後からの気配に一歩遅れてしまった。
『ぁ…来たみたいっすよ』
「あの」
「へ……ひゃあ!?」
茶髪の方が蔵の入り口から話しかけてきた。
不意を打たれた娘伯は飛び跳ね蔵の荷物へ転げてしまう。
「あわわ!大丈夫ですか!?」
「ちょっと風花…何か凄い音がしたけど……ぇ」
蔵の奥で埋もれる娘伯におかっぱが言葉を失う。
なんとか起き上がるが先程まで抱えていたチョウは荷物に埋まって完全に見えない。
「えっと〜…此処の神社の方ですよね?」
恐る恐る風花が訊ねる。
こんな形で初対面を交わして娘伯は慌てふためいている。
「ぇ…あ…そそ…そうだけど…」
元斎や勝一も聞いたことが無い可愛らしい声で返事した娘伯。
「はじめまして!アルバイトとしてお世話になります!風花です!」
「……青井です」
茶髪の風花は元気よく、おかっぱの青井は淡々と自己紹介する。
「くぉ…娘伯…です…よよ…よろしくお願い…します」
言葉を詰まらせるも自己紹介はクリア。
しかし続く話題が娘伯には見つからない。
「娘伯さんですね!もー娘伯さんの方が先輩なんですから畏まらなくていいんですよー!」
無理やり風花は握手を交わし娘伯はただ振り回されている。
「風花はもっと畏まりなさい…すいません娘伯さん友達がご迷惑を…」
悪気は無いと代わりに青井が謝る。
「だだ…だいじょぶ…私こそ驚いちゃって…ごめんなさい」
「ところで〜話し声が聞こえたんですけど…”もう1人”はどこです?」
風花が覗こうとすると娘伯は慌てて視線を遮る。
「き…気のせい…」
「ではここで何を?」
今度は青井がざっくり訊ねる。
「さ…探し物」
つい放った言い訳に風花が目を輝かせ蔵に迫る。
「それじゃ手伝いますよ!ぶっちゃけ境内の掃除は飽きてきたので!」
ぶっちゃけ?と娘伯の頭に疑問符が浮かぶ。
無駄な悩みに隙を取られ風花に蔵への侵入を許してしまった。
「なんか宝探しみたい!あれ?何を探すんでしたっけ?」
「ぁ…ま待って!そこには!」
止めるより早く風花がただの提灯を見つけてしまった。
「提灯ですか?随分と古っぽい…」
青井も蔵へ入り提灯を調べる。
「そそ…それは…!」
「そっかな?この模様とかなんか可愛いと思うけど」
『いや〜お嬢ちゃんに可愛いって言われたら嬉しいっすね』
知らない声が聴こえた。
風花は一応訊ねてみる。
青井は首を必死で横に振る。
振り返ると娘伯はしまったとばかりに硬直している。
風花が提灯を見直すと大きな舌で顔を舐められ、
『はじめましてっす』
「ぎゃああぁぁぁああ!!」
神社中に風花の絶叫が木霊した……。
蔵での衝撃から場所を変え社務所内。
娘伯、青井そしてチョウはちゃぶ台を囲み談話を開いた。
「うへぇ…べとべと…」
風花は妖怪の洗礼を受けたので流しで顔を洗っている。
「改めまして…私は青井と言います
天青高校で今年1年生になりました…好きな飲み物はいちごオレです」
正座で会釈する姿はそこはかとない大和撫子の青井。
歳下である彼女に見惚れて言葉を忘れる。
「ぷぁ!同じく風花!高校1年卓球部!好きな食べ物は焼肉定食です!」
顔を拭き終わりスッキリした風花が元気よく自己紹介する。
思わず娘伯が気圧され退いてしまうほどだ。
「ぇ…えっと…」
『俺っちは提灯お化けでチョウっす姐さんから貰った名っす』
ちゃぶ台の上でけたけた笑う提灯お化け。
青井にも風花にもその存在が疑わしかった。
「ホントに…妖怪なんですか?」
『付喪神と言ってくれた方が嬉しいっすね』
付喪神とは物を百年大切に扱われると魂が宿る現象。
建築は古いと云われている清天神社だが付喪神となった者はチョウだけである。
「へ〜いつから付喪神やってるの?」
軽々しく風花が訊ねてくる。
百年差のある先輩と言うより友達みたいな接し方だ。
『ハッキリと覚えてるのは姐さんがちっこい時に見つけてくれた時っすね』
娘伯の名が挙がり話題はついに彼女へ移る。
存在こそ妖しい娘伯に青井も風花も知りたい事は沢山あった。
「娘伯…今年で二十一歳……好きな物は伯父の淹れてくれるお茶」
自己紹介は呆れるほど普通だ。
「伯父って元斎さんの事ですか?」
「ぅ…そう…だけど」
では血の繋がりがあるのかと青井が訊ねるが娘伯は首を横へ振る。
「伯父は育ての親で…はぅ!?」
後ろ髪に何かが触れ娘伯はびっくりした。
ずっと気になってたのか風花が娘伯の長い白髪を手ぐしで撫でているのだ。
「娘伯さんの髪…サラサラで綺麗!どこのシャンプー使ってるんですか?」
「しゃんぷ?髪ならいつも銭湯で洗うけど…」
「なるほど銭湯……風花ってば気にする事違うでしょ」
じゃあどこ?と風花は首を傾げる。
青井も”白い”髪には興味があるが少し躊躇している。
「この髪は生まれつき…伯父も原因は解らないって」
撫でられるのが少し気持ちよいのか緊張がほぐれてきた娘伯。
「元斎さんとはどれくらい一緒なんですか?」
「私が生まれてすぐ事故があって両親は亡くなった…それからずっと伯父と一緒に此処で暮らしてきた」
両親の死。
あまりに淡々と話した娘伯だが青井は罪悪感を感じてしまった。
「あの…気に触る事を訊いてしまってごめんなさい」
「どうして謝るの?」
「家族を失うのは…辛い事ですから…」
「家族?」
『姐さんは家族の意味を知らないっすよ』
今まで黙ってたチョウは風花の胸に納まっていた。
『だから失う事の悲しさも知らないっす』
「家族って失うと悲しいの?」
「とっても身近な人の事を家族って言うんですよ
例えばチョウさんとか元斎さんとか勝一さんとか!」
風花に言われて3人が家族と言える存在か悩む。
「伯父は失いたくない…チョウも一緒……勝一はいいや」
バッサリ切り捨てられ青井と風花は苦笑いする。
「あと私達の事も…娘伯さんが良いなら家族って呼んでもいいですよ?」
「さっき会ったばっかりですけどね!」
しかし娘伯にとって2人との空間は今まで味わった事の無い温かさだ。
出来ることならずっと居たいと思い始める。
「うん…それじゃあ青井さんと風花さんも…家族」
「もー呼び捨てで構いませんから!」
「よろしくお願いします娘伯さん」
青井と風花から手を差し伸べられ娘伯も握手を交わす。
自分より小さな手が不思議と大きく感じられた。
「よろしく…青井…風花!」
その笑顔はまだ誰も見た事が無い清らかなものだ。
『俺っちの事も忘れないでくれっす!』
「おわ!そうだった!よろしくねチョウさん!」
握手の代わりにチョウの頭を撫でる風花。
「よ…よろしくお願いします…あの…いきなり脅かさないでくださいね?」
青井はまだ警戒気味だった。
朗らかな雰囲気も束の間、誰かの腹の虫が鳴り昼時に相応しい時刻だと気付いた。
「今の風花?」
「お腹空いた〜」
続いてく〜と娘伯のお腹が鳴る。
「あ!娘伯さんも!」
「じゃあお昼ご飯食べようか」
ちゃぶ台から離れると流しの引き出しを開け探し物を始める娘伯。
持ってきたのは何種類かのカップ麺だ。
「伯父が留守だからこれで済ませるようにって」
「あはは…私は大丈夫だけど…」
風花の同意も跳ね除け青井がちゃぶ台をはたく。
「不摂生ですよ!せっかくだから外で何か食べましょう!」
「ぇ…ぅ……うんわかった」
申し出を断る訳にはいかないが娘伯は小遣いを持っていない。
「良い所を知ってますよ!お金は……出します!」
一瞬苦しげな表情を見せたのは学生故の財布事情だろうか。
「そう…ありがとう青井」
『俺っちは蔵で留守番すね』
「あ!じゃあ私が行ってくるね!」
チョウを抱えたまま社務所を出る風花。
『そう言えば風花お嬢ちゃん』
駆け足の風花に口を開くチョウ。
『姐さんよりおっぱい無いすね』
「ぐは!いやでも…巫女服の上から見ても同じぐらい…!」
突然の攻撃に膝が崩れかける。
『姐さんはサラシ巻いてるんで…ボインっすよ』
「な…ボイン!?」
『後で本人に訊いてみるといいっす』
「あわわ…」
蔵へチョウを預けるまで風花は言葉を失うだけだった……。
場所は移り都会の住宅街。
清天神社を出て徒歩10分の場所だろうか。
「私達…巫女姿で怪しまれないかな…?」
携帯電話を片手に青井はふと呟く。
「歩きながらのケータイは危ないよー」
風花は注意しつつも青井の横をついていく。
「私は普段から巫女装束だけど…なにそれ?」
青井の背から物珍しそうに訊ねる娘伯。
どうやら折りたたみ式携帯電話を初めて見た様子。
「ぇ…携帯電話知らないんですか?」
「神社にある物以外は触ったことない」
住まいである神社の社務所には家電がいくつかある。
冷蔵庫と電子レンジ他にはガスコンロ。
生活に最低限必要な物以外は殆ど置いていないのだ。
浦島太郎に説明するように青井は携帯電話を解説する。
通話、メール、インターネット、テレビ…その全てが娘伯を驚かせた。
「今時ケータイを持ってない人が居るとは…」
風花もその様子に困惑する。
「あの…本当に娘伯さんは平成生まれなんですか?」
年齢詐称で実年齢約100歳だとすれば笑えない冗談である。
しかし娘伯には平成の意味すら理解できてなかった。
「神社と妖怪以外の事は…よくわかんない」
「外には出かけたりするんですよね?」
風花が訊ねると妖怪退治以外で出かけた事があったか思い出そうとする。
「仕事と……銭湯の時以外は神社に居る」
「……ん?仕事って」
「着いた!」
会話を遮り青井の目的地へ到着したようだ。
「喫茶店”ほろあま庵”です
いつもお出かけで昼食を取る時はここにしてるんですよ」
まだ昼間だが窓から見てもほの暗く開店してるのかよく解らない。
「青井は1人でも来るらしいんですよ…私はファストフードでいいんだけど」
「とにかく入りましょ!」
青井が率先して入り口を開けると心地よいベルの音が鳴った。
ほろあま庵の店内はオレンジ色の照明と濃い色の木製家具で統一され清掃も行き届いた綺麗さ、
とても高校一年生が常連になる店ではない。
店のカウンターから幻斎と同い年くらいの老婆が現れる。
「いらっしゃいあら青井ちゃんに風花ちゃんこんにちは」
「こんちは!」
「こんにちは!こちら店長の彩おばあちゃんです」
会釈する彩と呼ばれた老婆はどこか愛嬌のある面持ちだ。
「巫女服姿なんて珍しいわね
あらそちらの方は?」
「こ…娘伯です…清天神社の巫女をしてます」
「あらま清天神社に巫女さんが居たの
よろしくね娘伯ちゃん」
「よよ…よろしくお願い致し…ます…彩様」
なんだか蔵の時と同じように緊張し敬語になる娘伯。
「おばあちゃん!私達も神社の巫女になったんだよ!バイトだけどね!」
「あらかわいい!」
七五三を喜ぶ子のように風花が巫女装束を見せびらかす。
彩も自分の孫のように華やかな彼女達に喜ぶ。
「立ち話はそこそこにして席へ案内するわねぇ」
彩に促され一行は窓際のテーブル席に座る。
此処は青井の特等席でもあるのだ。
「おばあちゃんいつもの!」
「青井ちゃんはいちごオレとAセットね」
常連らしく手慣れた注文で即決する青井。
ドリンクメニューをよく見るといちごオレは何処にも書いてない。
「あんまり好きだから裏メニューとして置いてあるんですよ」
小声で風花が娘伯に教えた。
「娘伯さんは普段何を食べてるんですか?」
うきうきを隠すように青井は娘伯の好みを訊ねる。
「えっと…いつもはご飯と味噌汁と焼き魚…お新香かな」
「あら困ったわ和食は扱ってないのよねぇ」
メニューを見る限り娘伯が知っている料理は一つも無い。
じゃあこれは、と風花がオススメを指差す。
「…おむらいす?」
「ちょ…風花それは…」
「飲み物は紅茶がいいですよ!」
ほろあま庵の中では一番高い料理、と青井が言う前に風花が注文してしまった。
「んじゃ私はオレンジジュースとサンドイッチで!」
「娘伯ちゃんがオムライスと紅茶…風花ちゃんはオレンジジュースとサンドイッチっと…それじゃあ少し待っててね」
言うと彩は店の厨房へ入った。
改めて店内を見渡すと娘伯達以外に客は居ない。
昼時でも人が居ないとは少々寂れた雰囲気だ。
「この静けさが落ち着いて良いんですよ」
「やっぱりファストフードの賑やかさの方が私は好きかなー」
やんややんやと駄弁っていると、
「アチョ〜!」
厨房の方から彩の声が聞こえてきた。
大丈夫なのかと娘伯は焦っているが、
青井と風花は日常のように落ち着いている。
「おばあちゃんって料理作る時何故か叫ぶよね」
「私も初めての時は戸惑った」
「普通の人は料理をする時叫ぶの?」
世間知らずな娘伯の問いに2人は慌てて訂正する。
そして15分ほど経ちついに昼食が3人の前に並んだ。
初オムライスを一見し娘伯は口が惚けたまま塞がらない。
チキンライスの上には黄と白のグラデーションで卵が綺麗に乗っている。
和食しか知らない彼女にとって鮮やかな洋食はまさに衝撃だ。
「熱いからふーふーしながら食べてくださいね」
注意する青井の前にはパンに特製ジャムとベーコンの入ったスクランブルエッグ、小盛りのサラダが一皿にまとまっている。
隣にはガラスのコップに注がれたいちごオレ。
「んーここのサンドイッチいつ食べても美味しい!」
早くも三角に切り分けられたサンドイッチを頬張る風花。
「ぃ…いただきます」
娘伯は初めて持つスプーンで卵の真ん中を割ってみる。
開いた所からまだ半熟の卵が外側の卵を包み込み驚く。
「私の自信作だからじっくり味わってねぇ」
トレーを抱え娘伯の反応が楽しみな様子の彩。
すくった一口を食べた途端に娘伯の脳は幸福感に包まれた。
「おいしい…!」
「あら嬉しい!」
満面の笑顔は彩もまた喜ばせる。
「娘伯さんそんながっつかなくても…はや!?」
今日はまだ何も食べてなかったせいなのかそれとも純粋に美味しいからか、
娘伯はあっという間にオムライスを平らげてしまった。
結局、青井と風花が食べ終わるまで娘伯はキラキラした眼を止めなかった。
目を離せば自分達の料理が食べられてしまうのではないか、
そんな不安に駆られつつ2人も昼食を済ませる。
「お会計は…」
青井が伝票を確認すると娘伯の昼食代が含まれていない。
「おばあちゃんこれ…」
「今日だけ特別よ?」
小声の会話はそれ以上続かなかったが青井は小さく礼をする。
「彩様…とても美味しかったです…!」
「お客様に褒めてもらう事は料理人として一番嬉しい事だわぁ」
「あの…彩様…また今度来てもいいですか?」
「もちろんいいわよ!それと彩様なんて堅苦しい呼び方はやめて頂戴ね?」
「ぁ…はい……彩…おばあちゃん…!」
娘伯を見つめる彩の瞳は孫を見るようだ。
「ありがとうございました♪」
こうして娘伯初の外食は忘れ難い思い出となった……。
昼食を終え清天神社に戻った一行。
境内で待っていたのか私服の勝一の姿がある。
「勝一さん!…今日は休みじゃ?」
「2人が心配だったからちょっと見に来たが…もう仲よさそうじゃないか娘伯」
別に、と言う代わりに娘伯はいつもの鋭い目つきに戻る。
「あと社務所で娘伯目当ての来客が待ってるぞ」
後ろの社務所を指差し勝一が伝える。
それが妖滅連合の遣いとすぐ解り娘伯は慌てて社務所へ入ってしまった。
「娘伯さん目当ての来客って誰の事ですか?」
「あぁ…それは…」
先日娘伯に忠告された事を思い出し口を閉じる勝一。
「それは…秘密…だ!それより…境内の掃除をやってくれないか?」
はぐらかされた青井と風花はしばし呆然とするだけだった。
「遅くなり申し訳ありません」
社務所の個室に入った娘伯は先程までの柔らかさを感じられない。
『構いませんよ』
妖滅連合の遣いは今日もスーツ姿に狐面の格好で依頼を持ち込んできた。
『最近妖怪の活動が活発になりつつあります
先日の御依頼も本来なら危険度の極めて低い妖怪でした』
鵺退治が脳裏に浮かぶも娘伯にとっていつもの妖怪退治と変わらない。
黙っていると遣いは一枚の依頼書を渡した。
『これもその一つになるかと』
内容は討伐対象が不明な為、施設内の調査となっている。
毎回明確な対象が決まっている妖怪退治で異例な事だ。
「此処は……!」
施設の場所を確認し娘伯は驚く。
『連合が進入可能ならば調査もすぐ済みます
ですが此処は少々繊細な施設なので…貴方には少し苦労して頂く事となります』
「本当に…此処に妖怪がいるんですね」
『潜伏している事は確かです』
念を押す娘伯に遣いはただそれだけ述べた。
『この依頼は1ヶ月後に開始する予定です
手続きに手間取るので…その間も通常の依頼が来ればこなして頂きます』
「…承りました」
ではと遣いは用が済み席を立とうとする。
「あ!待ってください!」
珍しく娘伯に呼び止められ遣いは首を傾げた。
「外に…”ばいと”の方が居るので職務を終えるまでお待ちいだだけますか?」
『私が見られて困る事でも?』
娘伯はまだ青井と風花に自分の仕事を明かしてない事を話す。
妖滅連合としても妖滅巫女の存在が公になる事は危険とし世間にも大きく公表していない。
『貴方の事が噂され存在が明らかになってしまった場合の責任はこちらでは負いません』
「それは…つまり…?」
『貴方が”うっかり”話してしまっても貴方が信頼してる者なら問題は無いかと』
今の2人が娘伯にとって信頼できるか解らない。
ましてや今日出会ったばかりなのだ。
『いずれ自分の口で話す機会も来るでしょう…その時まで友は大切にするべきです』
柄にも合わず喋りすぎてしまったとため息をこぼす。
『では”ばいと”の方々が勤務を終えるまで私は此処で待機しております』
これ以上の助言は貰えないと察したのか、
娘伯は遣いに会釈し社務所を後にするのだった。
社務所を出ると掃き掃除をしてた青井と風花が駆け寄る。
わざわざ勝一も一緒に待ってたようだ。
「あの…」
どう訊いたらいい青井はわからない。
「お客さんて誰だったんですか!」
こんな時にいつも前に出てくれるのが風花だ。
「おま!いきなりそれは無いでしょ!」
さっきまで誤魔化し続けた勝一も単刀直入な質問に焦る。
娘伯は風花の頭を撫で口を開く。
「……知らない方がいい」
それは今日の中で一番重く響いた言葉。
青井と風花には妖滅巫女も妖怪も知って欲しくない。
出来る事ならこのアルバイトを辞めるまで、
何も知らない人間として過ごして欲しいとわがままを思う。
「あの…私達はまだ娘伯さんを全然知りません」
反論したのは青井の方だった。
「でも働く以上ここの事は知りたいし娘伯さんの事も知りたいです!」
「今日はダメでも明日明後日…いつか全部話してくれると信じてますから!」
風花も想いは一緒だ。
しかし娘伯はどう返していいか解らなくなってしまい、
結局今日は一度も口を開いてくれなかった……。