【40】巫女乃禄
禄……天より与えられた幸を意味する言葉。
長い眠りの中で彼女は生を振り返る。
巫女乃禄……それは誰にとっての幸せか。
答える者は誰もいない。
大型カプセルの中で眠る黒い巫女装束姿に青井はある事を思い出した。
「『新・妖怪図録』…あれに載っていたのは…」
「まさかその名を知ってる人が居るなんて思いもしなかったよ」
「…なんだそれは?」
ただ一人美剣だけは会話を理解できない。
「俺が研究中に書いた本がいつの間にか人間の手に渡ってしまったらしい」
「貴方が…」
「だいぶ前にやっと見つけて燃やしてやったけどな…俺にとっては恥ずかしい絵日記みたいなもんだ」
話が逸れてしまったと道我は操作パネルに手をかざす。
認証を行いカプセルから"彼女"を出せるよう手順を進める。
「黒巫女は此処へ訪れた時酷く嘆いていた…そして俺に願ったんだ…ずっと此処で眠らせてくれって」
後はボタン一つでカプセルから解放される、
道我は念を押すように青井に問う。
「眠りを覚ました怒りで彼女は壊れてしまうかもしれない…それでもいいのかい?」
二言は無い。
青井は娘伯を目の前にして躊躇いなど持っていない。
「娘伯さんの悲しみ…怒り…全部受け止めます……だからお願いします!」
一礼する青井に従って美剣も頭を下げる。
「分かった…頼んだよ」
道我が最後のボタンを押すとカプセルを満たす液体が底から流れて"彼女"の容姿をはっきりと映す。
カプセルが開かれ支えを失った"彼女"はゆっくり倒れかかる。
「娘伯さん!」
青井と美剣が床へ落ちる前に抱き留めた。
まぶたを震わせながらも開いていく。
紅い瞳が確かに青井を捉えた。
「ぁ…あぁ……どうして…」
"彼女"の第一声はそれだった。
怯えているが懐かしい娘伯と同じ声に青井は少し安堵する。
「どうして…どうして!」
しかし気が動転してるのか声を荒げ青井と美剣の腕を払いカプセルの中へ倒れてしまう。
「落ち着け黒刃…彼女達はお前を迎えに来たんだ」
「私の望みは…死ぬ事が出来ないなら永遠に眠らせてほしいって…!どうして…今更!」
本人の口から言われると動揺が隠せない。
「ごめんなさい…やっぱり記憶は戻ってないんですよね…」
「今まで敵対していたのも記憶を失っていたからと話していたが」
娘伯と黒巫女については美剣達も事情は知っている。
それでも目の前で怯える少女のような"彼女"を見ると、
数々の修羅場をくぐり抜けた関東最強の妖滅巫女とは言い難い。
「もう戦いたくない…辛い思いはしたくない…何もしたくない…それなのにどうして私を迎えに来たの…」
理由を言えば"彼女"の拒絶はより深くなってしまう。
青井が言葉を探る一方で美剣が武具を構えた。
「私の名は美剣…名を馳せた妖滅巫女と一戦を交える為に此処へ来た」
美剣の理由は嘘ではない。
妖滅巫女として一線を超える者と手合わせ出来るなら例え死んでも本望だ。
「この場に牙谷が居なくて良かった…彼奴なら真っ先に手合わせをしろと喚くからな」
「ちょ…美剣さんそんなの滅茶苦茶です!」
「まぁいいじゃない?此処は一つ見物してみようじゃない」
まだ状況を呑み込めない"彼女"を思って青井は反発する。
だが美剣の提案に賛同したのは意外にも道我だった。
「何を言って…私は戦いたくないって…」
「ならば無理矢理でも血を沸かせてくれる!」
有無を言わせず美剣が"彼女"へ斬りかかる。
「ぁ…」
慌てて避けるが腕を斬られる。
"彼女"の意思に反してそれは再生され美剣が驚愕する。
「恐ろしいものだ…だが!」
美剣の連撃で室内の機材は巻き込まれて真っ二つにされていく。
「いいんですかここの物壊して!?」
「いいよいいよ!どうせ後でぶっ壊すし景気良くやっちゃってよ!」
"彼女"は相変わらず避けるか斬られても再生するだけだ。
そもそも今の"彼女"には戦う意志も無ければ武具も無い。
しかし美剣は確かに目の前から迫る殺気を感じていた。
「思い出せ!貴方が妖滅巫女である証を!」
距離を取り"霊力一体型剣銃"の引き金を引く美剣。
連射された銃弾が正確に"彼女"の肩や胸を貫く。
「私は……私は…」
衝撃で"彼女"の体がぐらりと揺れる。
忘れたいと願った記憶が脳裏に浮かぶ。
娘伯として妖怪と戦った事も、
ギンとして若き元斎に出会った事も、
黒刃として勝一を目の前で失った事も。
逃避を続けながらも結局その全てを忘れ去る事は出来ない。




