【38】消え行く希望
都会に雨が降り続ける。
清天神社に残された者は雨に打たれ続ける。
絶望も希望も無くなったこの場所で、
皆が表情を重くしている。
誰かが呟いた。
「娘伯や……」
数時間前に遡る。
八尾狐…今は九尾となったウェンフーの討伐。
娘伯は三種の神器が一つ、月詠を手に決意を固める。
「…全てを終わらせる」
「「はい!」」
娘伯の言葉に青井と風花が元気よく返事する。
しかし彼女を阻んだのは元斎だ。
「伯父…分かってる…もしかしたら負けるかもしれない…それでも八尾狐とは決着をつけなきゃいけないの」
娘伯の瞳は真っ直ぐ捉える。
最早何を言っても無駄だと元斎も察している。
元斎は愛娘のように育ててきた娘伯を抱きしめる。
娘伯もまた父のように慕った元斎を抱き返す。
「だいじょぶ…私は死なない」
腕を放し元斎はただ頷く。
笑みを見せた娘伯は振り返り鳥居を潜る。
青井と風花もそれに続いて行く。
清天神社には元斎ただ一人が残された……。
街中は騒然としている。
首領の命令も無く解き放たれた妖怪達は赴くままに都会を破壊している。
「これが…この世の終わりか…」
最早手を付けられないと悟ったか、
ウェンフーは車道の真っ只中で炎に包まれる都会を見つめる。
「これが俺の望んだ物か…」
世界を滅ぼそうと思っていたのは確かだ。
しかし理想とはあまりにかけ離れた現実に虚無感を覚えた。
『お前はもう歯車の一部だ…運命は変えられない』
「お前の言う通りか…鬼塚」
自らの手で殺めた鬼の名を呟くウェンフー。
「だったら…最後の舞台は自身で決めさせてもらう!」
振り返り雷撃を放つ。
繰り出される御札に弾かれウェンフーは宿敵を睨みつけた。
「八尾狐!」
「白巫女…!」
娘伯の後方には風花と青井が待機している。
霊力は回復に至らず半端な状態だ。
「青井と風花は周囲の妖怪を滅して…」
「でも」「お願い…二人を守り切れるか分からないから」
僅かに悩み二人は娘伯に背を預ける。
「妖怪減らしたら必ず加勢に戻りますからね!」
夜の都会を駆け青井と風花は妖怪を探しに回る。
「余裕のつもりか?」
九尾から妖力が溢れ出し周囲が帯電していく。
街灯が爆ぜる程に、ビルが停電する程に、
しかし収束すると殺気は真っ直ぐ白巫女へ向けられた。
「この力が何処までのものか分からない…けど」
古びた三種の神器…月詠に霊力を込めると青に光り出し娘伯の全身に紋様が浮かび上がる。
本来の刀身を超えて顕現する霊刀はこれまでと比べ物にならない輝きを放っている。
瞑っていた目蓋を開くと娘伯の瞳は金色に輝いていた。
「今度こそ…滅する!」
一瞬、空気が止まったと見れば二人の間合いは鍔迫り合いにまで詰めていた。
妖力を操り生み出した雷の剣が月詠の霊刀と交わり火花を散らす。
それだけでビルの窓ガラスが砕け散りアスファルトの地面を抉っていく。
両者の力は互角。
故にきっかけが一つあればその均衡は崩れてしまう。
「お前は俺と同じだ!人を超えた力を手に入れ他者の命を操る強者だ!」
飛び退き雷撃を放つウェンフー。
避ける事もせず娘伯は月詠を以って斬り払っていく。
「私はお前とは違う…この力は人を守る為にある!」
逸れた雷が地上の被害を増していく。
爆発し支えを失くしたビルは轟音と共に崩れ、
飛び散る瓦礫を飛翔し避けながら娘伯はウェンフーへ迫り行く。
「違うものか…力とは奪う為のもの!弱ければそれは無力と同等だ!」
遥か上空へ浮遊し妖力を溜める。
「何も守れずに…去ね!」
放たれた妖力の光球はウェンフーの眼下へ落ち周囲を破壊しながら地表へ迫る。
まだ逃げ遅れた人々が怯え見上げている。
韋駄天で着弾点まで駆けると娘伯は月詠を振り上げた。
「全部…守り切ってみせる!」
霊力の刀身は光球を消し去る程に巨大化する。
力のぶつかり合いが衝撃を生み大地を揺るがした。
「クソが!」
ウェンフーが障壁を集中させた直後、
爆ぜた中から霊刀が彼を呑み込む。
『手応えが無い…気を付けろ!』
ツクヨミの一声に遅れてウェンフーが居た場所から雷撃が放たれた。
娘伯は間一髪でそれを掠めると、
上空へ飛び月詠を構え直す。
「……っ!」
ウェンフーを眼前に斬りかかるがやはり障壁で阻まれてしまう。
『ダメだ!一旦距離を取れ!』
「でも……ぁ!」
月詠は確実に消耗しており刀身にヒビが入っていた。
「形ある力には限度がある…勝負あったな!」
雷撃を撃たれる前に娘伯は地へ落ちる。
見上げる空のウェンフーは彼女を睨み掌を向ける。
「終わりだ…」
妖力を込めた瞬間、彼の周囲に煙が立ち込める。
視界を遮る程に煙は濃くなり両者の姿は見えなくなった。
「娘伯さん!」「こっちへ!」
両手を引かれ娘伯は路地裏に脚を落ち着かせる。
目の前には離脱してた筈の青井と風花が息を切らしている。
「二人ともどうして…」
「加勢に戻るって言いましたから!」
「一先ず…妖怪は減らしました」
先程の煙幕も仕掛けた御札によるもの。
しかし劣勢を覆せる力は二人に残されていない。
「せめて障壁を壊してみせますよ!」
「その後は…任せます!」
「青井!風花!」
止めるより早く二人は路地裏を飛び出す。
「「私達が相手だ!」」
それぞれ薙刀と弓を構え地に降りたウェンフーへ突撃する。
「腰巾着が…」
雷が地を奔る。
風花が盾になり薙刀と御札でそれを防いでいく。
僅かな隙間を縫い青井は鋭い一矢を放つ。
「無駄だ!人間風情にこの壁を壊せるものか!」
障壁により虚しく矢は弾かれる。
それでも二人は無謀を承知でウェンフーに突っ込む。
「四獣様…今一瞬だけでいいから四獣霊威を…!」
『無茶だ!まだお前たちの身体は…』
「やるだけやらなきゃ!娘伯さんに任せられないでしょ!」
『っ……分かった…なるべく負担は掛けさせぬ!』
「「四獣霊威っ!!!」」
青井が朱雀と青龍を、風花が白虎と玄武を身体に宿し変化する。
「っ!」
飛び上がった二人へ雷撃を集中させる。
しかし風花の左に構えた玄武の甲羅で全て凌いでみせた。
「「はあぁぁああ!!!」」
風花の拳と青井の脚が障壁に激突し激しい火花を散らせる。
「まさか…」
障壁にヒビが入ってから砕けるまで一瞬の出来事だった。
四獣霊威が解除され青井と風花は地へ倒れる。
「クソがぁ!」
無防備な二人へ殺意を剥き出しにする。
しかしそれを阻んだのは銀になびく風だ。
「八尾狐!」
振り下ろした月詠が八尾狐の左腕を斬り落とす。
「お願いします…!」「娘伯さん!」
背からの応援を受け娘伯は果敢に攻め続ける。
「神の力が…どこまで俺を侮辱する!」
「人の想いがあるから八百万の力は応えてくれる…!」
二人の高度は上がり続けビル街を越すまでに到達する。
重くぶつかる剣戟に月詠も限界が近づいていた。
「これで…!」
「終わらせるものかぁ!」
放たれた雷撃に押されながらも娘伯は霊力を込め構え直す。
対してウェンフーも全ての妖力を両手に集中させる。
「娘伯ー!!!」
「っ!」
ウェンフーの激情に当てられ暗雲から雷が落ちる。
雷鳴に弾かれて間合いへ急接近する。
振り下ろされた月詠が全妖力を集めた一撃に阻まれる。
力は反発し両者の間に渦が巻き起こる。
月詠が砕け散ったのはその直後。
大きな爆発が起きウェンフーは後方へ吹き飛ばされる。
「やっ…た……これで俺は…」
黒煙の中から一筋の煌めきが迫る。
勝利を確信していた油断から彼の防御は遅れてしまった。
"あの時"と同じように、
「…ウェンフー!!」
凛々しい声で娘伯は背の大太刀を握りしめる。
残った霊力は僅かだがそれはウェンフーの妖力も同じだ。
そして彼の表情は怒りから悟りに変わっていた。
ウェンフーの半身を断つ一閃でそれは半ばで折れる。
巫女と妖怪は流星のように都会へ落ちていく。
その行き着く先は清天神社だった……。
青井と風花は九之助の手助けでなんとか清天神社へ辿り着く事が出来た。
先の戦いで破壊の痕が残る中、境内の中央にそれは居た。
「娘伯…!」
元斎が抱え叫ぶ者はゆっくりとまぶたを開ける。
「ぉ…じ…」
青井も風花も彼女の元へ駆け寄る。
互いに安堵の表情が生まれ気持ちを落ち着かせる。
「八尾狐は…」
「っ……あそこ!」
拝殿の前に下半身の断たれたウェンフーが倒れている。
滅した筈が残った上半身は砂になっていない。
「まさか…まだ生きて…」
風花が薙刀を構えゆっくり近づく。
その足音に反応してかウェンフーの右手が微かに動く。
「やはり…俺の運命は…変えられないか…」
頭だけ上げて娘伯を睨みつけた。
「もうお仕舞い…妖怪はこれで滅びる…」
娘伯は立ち上がり彼の元へ歩む。
右手には半ばで折れた太刀を握りウェンフーを見下ろす。
「滅びる?寧ろその逆だ…妖怪はこれからますます暴走する」
「負け惜しみを!」
風花の薙刀を娘伯が止める。
「俺は…数百年の間妖怪を押さえつけてきた…その混沌をお前等に鎮められると?」
「妖滅巫女は私達だけじゃない…いずれは関西からの助けも来る」
「数の問題じゃないんだよ…妖怪は人の負の感情から生まれる…俺が最たる例だ…」
人間だったウェンフーは迫害されそして妖怪へと至った。
これから起こる妖怪の厄災に果たしてどれほどの人間が正気を保てるだろうか。
「止める術は…」
「お前ならそう言うと思ってたぞ」
ウェンフーは懐から小ぶりな鏡と巻物を出した。
「な…何を…」
青井が恐る恐るそれに触れるが罠の類は無いようだ。
「魔鏡……時渡りに必要な道具だ」
風花が椿鬼から受けた昔話を思い出す。
「まだ残ってたんだ…」
「これをどうしろと」
企み事を疑っているのか娘伯はウェンフーを睨んだ。
彼はふと言葉を漏らす。
「この時代を救うなら方法はそれしか無いだろうな」
「……っ」
「待て娘伯!」
娘伯が手に取りかけた魔鏡と巻物を元斎が阻む。
その迷いの無い行いは何よりも危険と思ったからだ。
「これは…私じゃなければ出来ない事…」
覚悟を決めている娘伯に元斎はそれでも引き留めたかった。
「まだ何か方法はある筈ですよ…」
「過去へ行くなんて…辿り着く保証すら分からないのに…」
共に戦ってきた青井も風花も消極的な態度を示す。
「行くな娘伯…お前はもう十分に頑張ったじゃないか…こんな事をする必要は無い」
元斎の必死の懇願にも娘伯は動じなかった。
「きっと妖怪と戦い続ける事が私の使命だから…みんなを守る為なら私は何だってする」
巻物を取りウェンフーへ押し付ける娘伯。
「これの使い方を教えて」
「クソが…今まで命を取り合ってきた奴に協力すると思ってるのか?」
「貴方が人間だったなら…せめて最後の良心は残ってるでしょ?」
呆れるほどのお人好しにウェンフーは笑った。
彼は残った右腕で巻物を広げる。
「一生後悔しても知らないぞ」
ウェンフーが呪文を唱え始めると魔鏡が浮き拝殿を映す配置で固定される。
娘伯達はそれを真正面に見守っている。
「『過去へ誘う扉よ…現在より現れた給え…』」
魔鏡を中心に異質な空間が現れた。
その先は虹色にも白色にも見える。
「……ありがとう」
「お人好しめ…」
娘伯の言葉にウェンフーはそれだけ呟いた。
身体の崩壊が始まり腹の方から砂になっている。
「行ってくる…どこまで出来るか分からないけど…過去を変える」
娘伯は折れた太刀を鞘に収めると魔鏡へ視線を向ける。
しかしふと気に掛けた事があり懐からある物を取り出した。
「これを…クロに会ったら渡して」
「ど…どうして」
「クロを救えなかった心残り…これから先ずっと苦しむと思うから」
小刀を青井に渡すと娘伯は元斎へと向き直る。
「今までありがとう…伯父」
「…それはこちらの言葉だ…ありがとう娘伯や」
別れの言葉を最後に娘伯は過去へ向かう扉へ脚を踏み入れる。
「全く…本当に…お人好しだ…!」
娘伯を背から貫く雷撃。
一同が驚愕した後には空間の中の娘伯は体勢を傾けていた。
「「娘伯さん!」」
呼びかけ手を伸ばした青井と風花の手は間に合わない。
空間が消え娘伯の姿が無くなると魔鏡はヒビ割れ砕けてしまった。
「この…よくも…!」
「恨むならするがいい…もう俺も今際だがな」
その一撃を与えた者…ウェンフーは右手を落とし消えた先の娘伯を見つめている。
「奴は何も変えられない…白巫女もまた運命の歯車なんだよ…」
「娘伯さんを何処にやった!」
「訊いてどうする?過去へ行った以上"今"のお前達ではどうする事も出来ない」
迂闊だったと残された者は表情を落とす。
目の前に居るのはやはり妖怪の首領、ウェンフーなのだ。
「後は……精々頑張るがいい……」
残る頭も砂になりそしてウェンフーは消滅した。
雨が降り始める。
「娘伯や……やはりお前は…"ギン"だったのか」
全て終わった後で元斎は確信してしまう。
昔に出会い居なくなった者の名を呟く。
それを知った所で青井にも風花にも何かが出来る訳ではなかった……。
…………。
娘伯がまぶたを開けると真っ白な空間の中に居た。
いつかと同じように此処は天国かと惑わされる程、
漂う場所は温かさに包まれている。
『すまない……娘伯…』
ツクヨミの小さな姿がぼんやりと現れた。
その表情は憂いを帯びている。
「…どうしてツクヨミが謝るの」
娘伯にはその意味が理解出来なかった。
『成り行きとは言え妖怪との戦いに巻き込んでしまった事だよ…その果てがこんな過酷な…』
「ツクヨミ…私は確かに巻き込まれてしまったけど…みんなが居たから此処まで頑張れた」
今の娘伯に後悔の想いは無い。
例えこれから記憶を失くす事になっても。
「これから先…何があってもウェンフーの名は忘れない」
『出来る事なら一緒に居たかった…』
ツクヨミの姿が徐々に粒子となって消えかかる。
『でも神器が消滅した事で僕の自我はもうすぐ消える』
「ありがとうツクヨミ…私は一人でもやり遂げてみせる…っ」
最後に受けた傷が腹を抉るような痛みを伴う。
そのせいで娘伯の意識は薄れていく。
『せめて僕の力はその身に宿してほしい…最後に出来る手向けだ』
少しずつウェンフーから受けた傷が癒えていく。
そしてこれが不死に繋がる力となる。
『さようなら……娘伯』
「また…何処かで…」
言葉を最後に娘伯は意識を落とした。
漂う時の空間の中で出口となる光が強くなる。
ウェンフーが仕向けた時代は現代から数十年前、
高度経済成長期と呼ばれた時代、
まだ元斎が妖怪退治の現役だった頃。
知る者はその時代の者だけ……。




