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滅びゆく世界で 3

 リリィの祈祷と看護は三日三晩続いた。村の女たちが一日に何度か食べ物を差し入れたり汚れ物を交換しに来てくれたおかげで、リリィは首領の治癒に専念することができた。首領は失血と傷口の化膿からくる発熱で幾度も彼岸へ渡りかけたが、その度に女神の力が彼をこちらへ引き戻した。

 そうして四日目の晩、首領はようやく意識を取り戻した。


「う……」


 寝ずの看病で疲れていたのか、うつらうつらしていたリリィは閉じた瞳をあけて首領の顔を見た。


「首領、お目覚めですか? まだ安静になさって……っ!?」


 揺らめく明かりの下でも顔色が優れないことは、はっきりわかる。しかしそれよりも、首領を蝕む呪いの痣が左腕から伸びて首元を過ぎ、顔の半分を覆っていた。痣はまるで生きているように蠢き、掛布をはがすと胸や腹部はほとんど痣で埋め尽くされていた。


 そんな、昨日までは何ともなかったのに……!


「リリィ。呪いだろう? 自分のことだ、分かってる……。すまんが、男衆を呼んできてくれ」

「いいえ、少しでも呪いを抑えなければ!」


 リリィはすぐに手を組み、女神への祈りをささげようとする。


「リリィ!」


 首領は病んだ身体を押して起き上がると、いつになく切羽詰まった様子でリリィの名を呼ぶ。リリィは泣きそうな顔で、首領を見上げる。


「もう、無理だ。魔物になっちまう前に早く男衆を呼ぶんだ! 早く!!」


 リリィもまた分かっていた。首領の呪いの進行があまりに早く、もう打つ手がないことを。

 けれど、その現実がまだ受け入れられない。呪いを受けて儚くなった大人は何人も知っている。それでも、その身を魔物に堕とす瞬間を見たことはない。リリィは今まで、巫女として大事に大事にされてきたのだ。


 助けたいのに、なんで私には力がないんだろう! 


「リリィ! 急いでくれ!」


 何のために、巫女として生まれたの! こんなことしかできないなんて!!


 悔しくて、悲しくてたまらなかった。それでも寝所を飛び出したのは、今自分にできる最善がこれしかないからだ。

 夜番をしている者を呼ぶのが一番早いだろうと、物見台のある集落の入口へ急ぐ。





――――グゥオオオオオォオオオオ!!!



 地獄の底から響くような唸り声が集落中に響き渡る。空気がぴりぴりと震えて、リリィの肌がしびれた。

 邪悪な気配が一帯を包み、何が起きたのかリリィはすぐに察した。


「首領!」


 たまらず、リリィは首領の元へ駆け出した。

 家から次々に男たちが顔を出す。呼び止められた気もするが、リリィは今そんなことで立ち止まることはできない。


「リリィ!!」


 リリィを止めることができたのは、彼女の心の中にいる少年だった。


「ユミト……」


 ユミトもまた、息を切らして、リリィの腕をきつく掴む。


「リリィ、行ってはダメだ!」

「でも、でもこのままじゃ!」

「わかってる、首領だろ」


 ユミトもあの唸り声を聞いて、首領が呪いに完全に侵されてしまったことを悟った。そして、首領の元へ急ぐリリィが何をしようとしているのか理解しているからこそ、少女の腕をつかんで制止したのだ。

 後ろから、続々と男たちが集まってくる。


「だって、首領が、このままじゃ……!」

「だけど、もう首領の側に行くのは危険だ!」




――グウゥゥァアアアアアアアアッッ!!




 凶悪な咆哮がリリィやユミト、居合わせた男たちの鼓膜を破らんばかりに響き渡った刹那、首領がその姿を現した。

 すでに下半身と左腕は魔物と化し、人の形を保っている顔は虚ろな表情で、瞳は妖しい光を宿していた。

 集落で一番の強さと人徳を備えた首領の姿はそこになく、呪いに体躯を蝕まれた魔物が存在するだけだった。


「ユミト! リリィを連れて逃げろ!!」


 男たちは武器を構えて陣形を取る。きっと、以前からこうなることを想定していたのだろう。

 男の声に促され、ユミトはリリィの腕を引いてその場から避難しようとするが、リリィはそれを拒否する。


「いや! みんなを置いて逃げたくない! できることがあるかもしれないのに、逃げない!」


 その間にも、男たちは次々に首領であった魔物へ攻撃を仕掛けていく。リリィは、どうしても心が追いつかない。


 みんな、あんなに首領を慕っていたのに、どうして戦えるの? どうして誰も助けようとしないの?!


 その気持ちが、さらにリリィを使命感に駆り立てていく。


「頼む、聞いてくれ! こうなったらもうどうにもならないんだ! リリィの力でも助けられない!」

「そんなの分からないよ! まだ何もできてないもの!!」

「……もう助からないんだ!!」


 ユミトは初めて、リリィに対してこんなに怒鳴ったと思う。

 リリィの気持ちは痛いほどわかる。自分だってもどかしくてたまらない。本当は助けたい。

 

 だけど、もうどうにもならないんだ。だからせめて、リリィを守らなきゃ……!


 元首領であった魔物は、男たちを圧倒している。長い間共に戦っていたのだ。見切るのも容易いのか攻撃を易々と交わしていく。ユミトは視界の隅で苦戦している様子を見て、リリィを早くこの場から連れ出さなければと焦り始める。


「なんで諦めるの! 私は、このまま黙ってみてるなんてできない!」


 リリィはその場で跪き、瞳を閉じて女神へ祈りを捧げはじめた。


「リリィ! ここはもう危ないんだ!」


 リリィはユミトの声を無視して祈り続ける。男たちは既に数人薙ぎ倒されて、戦闘不能に陥っていた。

 魔物の、首領の脅威はすぐそこに迫っていた。


「深淵におわします我らが女神よ、どうかその慈悲深きお心と奇跡のお力で彼の者の呪いをお祓いください……!」


 祈りは女神に届いたのか、輝ける光が魔物を包む。しかし、呪いを祓うまでには至らない。それでも、動きを止めるには十分だった。


「――今だ!」


 この声を合図に、男衆は一斉に攻撃を仕掛ける。刃が次々と首領の身体に突き立てられ、苦しみ呻く声が集落中に響き渡る。首領は体中から血を流し、苦痛に歪んだ表情はまだ人間のものであった。

そうして、首領にトドメを刺そうとした瞬間。




「――やめて!」


 リリィが声をあげたことで、元首領であった魔物は脆弱な少女を視界に入れてしまう。弱い獲物から狩ろうとしたのは、魔物にとって当然の本能だった。

 既に致命傷を負っているにもかかわらず、俊敏な動きでリリィに詰め寄る。拳を振り上げたのは一瞬だった。血走った瞳で射抜かれて、リリィは瞬き一つできなかった。



 リリィの前に立ち、代わりに拳を受けたのは、ユミトだった。両腕で構えたが、余りにあっさりと吹き飛ばされてしまった。



「――ユミトっ!」


 

 吹き飛ばされたユミトは受け身を取ったものの、その拳の威力は皮膚を裂く程だった。両腕から血が滲むが、痛みなど気にも留めず素早く両手に短剣を構えて魔物に向かっていく。

 男たちも追撃の手を緩めない。徐々に魔物の動きは鈍くなってきた。



「リリィは下がって!」

「は、はい!」



 リリィは素直にユミトの言葉に従い、その場を離れる。今の一撃で、自分が足手まといであることは十分分かったからだ。

 ユミトは攻撃をかわしながら、リリィが岩場に隠れたのを確認し、戦闘に集中する。



「首領、ごめんな……」



 首領を助けたいのはリリィだけじゃない。ユミトだって、ここにいる男たちだって、本当は首領と戦いたくなんてない。だけど、ここで倒さなければ集落に甚大な被害が出てしまう。集落を守るために、みな断腸の思いで戦っているのだ。

 

 魔物の動きは鈍っていた。これなら、あと数撃で討つことができるだろう。攻撃の機会を伺っていると、魔物がユミトのほうを見て、口元が動いた。



(ユミト、たのむ。)



 瞳の妖しい光は鳴りを潜め、首領の目がユミトを見つめていた。

 首領は、ここで討たれることを望んでいる。

 ユミトは短剣を握りなおし、覚悟を決めた。


 そのあとは何も考えられなかった。内に秘められたいろいろな感情が混ざり合って、溶け合って、薄汚い色になったそれが弾けた気がした。

 首領は動けなかったのか、それとも動けなかったのか、ユミトの一振りを待っているようだった。それがまた覚悟を試すようで、ユミトは首領の懐に飛び込んだ。


 短刀は、真っ直ぐ心臓に突き立てられた。

 短刀から伝わる鼓動が止む瞬間、首領はほんの少しだけ笑っていた。


 成長したユミトを見て喜んだのか、呪いから解放されて安堵したからか、ユミトにはわからなかった。


 ただ、生温い返り血が冷えていくと同時に、自分の心も凍っていくようだった。

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