滅びゆく世界で 2
「うーん、なんか違うんだよなあ……」
月明かりの下で、ユミトは昼間採ってきた七色トカゲのウロコと格闘していた。
硬いウロコを雫型に整え、表面は丁寧に磨いた。今では貴重になりつつある綿の紐を通せば、ペンダントとしての形は完成した。
月光を受けて、ペンダントは優しく輝いている。
――どうせなら、もう少し綺麗なやつをプレゼントしたいなあ。
昔は、宝石という光輝く美しい石があったという。今はそんなもの手に入るわけではないが、それでもすこしでも綺麗な装飾品を贈りたかった。
「喜んで、くれるといいな……」
ユミトはリリィの顔を思い浮かべる。
自分が怪我をしたときの怒ったような顔。集落で佇む少し大人びた顔。仲間を弔うときの悲しい顔。いつも帰りを迎えてくれる、あの笑顔。
ユミトとリリィは、もうすぐ成人する。
そうしたら、ユミトは堂々とリリィの守り人に――リリィの戦士として守る権利を得られる。リリィに守り人になることを伝えてこのペンダントを渡したら、どんな顔が見られるだろう。多分、少しだけ恥ずかしがって、でも笑顔でありがとうって、ペンダントを身につけてくれるんだろうな。
そう考えて、ユミトは翌日の装飾品探しを決意するのだった。
「行ってらっしゃい!」
「行ってきます!」
リリィをはじめとする村人たちに見送られて、村の男たちは今日も魔物狩りに出かける。その中にはユミトの姿もあった。ユミトは前線で戦いこそしないが、まもなく成人すればすぐに実戦に参加することになる。当然、集落の中で最低限身を守る能力を身につけてはいるが、今は見学の意味合いが強い。
ユミトはいつものように短剣を両腰に差して、先導する首領たちについていく。しかし、その視線は足元の砂原に向いており、ペンダントに使えそうな石などないか探すのに夢中だ。ユミトが比較的安全な隊列の中心部を歩いていたことも、油断を誘ってしまったのだろう。
だから、気づくのが一瞬遅れたのだ。
「全員さがれえぇええ!!!!」
先頭の首領の叫び声ではっと前を向くと、突如現れた魔物と首領が対峙していた。
魔物は首領の倍以上の大きさでのしかかり、鋭い鉤爪が首領に迫るが、首領は大剣でなんとか押さえ込んでいる。
「ありゃあベヒモスか…。ちっと苦戦しそうだな!」
ユミトの隣にいた男は、そう呟くと弓を番えて矢を放った。すかさずベヒモスを囲むように陣形をとった、男たちも四方から矢を放つが、ベヒモスの身体は硬く、矢じりが浅く刺さるのが精いっぱいだ。
首領とベヒモスがつばぜり合いをしている隙に後ろから他の男が斬りかかるが、大きな尾でいとも容易く薙ぎ払われてしまった。
そのうちに、さすがの首領も押されはじめてきた。陣形の後ろからベヒモスと距離をとっていたユミトは、そっと腰の短剣に手をかけて両手に構える。
どんな魔物にも必ず弱点はある。だけど失敗はできない。失敗すれば魔物を興奮させて首領を窮地に追い込むだけだ。それでも矢が通用しないなら、やるしかない。
「首領! いきますよ……うぉおおおーー!!」
ユミトは腹の底から声を出し、ベヒモスに向かっていく。まずは右手に握った短剣を投げ、それは見事にベヒモスの左目に突き刺さる。ベヒモスは驚いたのか慌てて後ろに仰け反り、その隙に首領はベヒモスと距離をとる。ユミトは勢いそのままに砂原を蹴って高く跳躍すると、そのまま左手の短剣を額に突き刺す。
ベヒモスはおぞましいうなり声をあげて暴れ始め、ユミトはすぐにベヒモスから離れる。今は後ろ足で立ち上がって興奮する魔物に対し、男たちはすぐさま後ろ足に縄をかけてその巨体を引き倒す。ベヒモスはすぐに立ち上がろうとするが、集落一の手練れである首領がそれを許すはずもなく、大剣がその首に振り下ろされる。
ベヒモスの首を落とすことは出来なかったが、血飛沫と断末魔を上げて動きが止まった。
「ユミト、成長したなあ……助かった。怪我はないか?」
首領はそう言って丸腰になってしまったユミトの傍によって、頭をくしゃりと撫でる。ユミトも褒められたのが照れくさくて、誇らしくて、なんだか不思議な気分だった。
二人の様子を見て、周囲の男たちもみな緊張の糸を緩めて笑顔を浮かべる。
しかし、ベヒモスは完全に事切れてはいなかった。血走った眼で自分を死に追いやったものを捉えると、最期の力で鉤爪を振り下ろす。
その凶刃に気付き振り向いたときにはすでに遅かった。かろうじて急所を外したものの、最後の一撃は首領の体躯を大きく引き裂いた。それでも周囲の男たちは落ち着いて素早く武器を手に取り、ベヒモスに攻撃を加え今度こそ息の根を止める。
「首領ーー!!」
ユミトは崩れ落ちる首領の体を抱きとめる。その顔には苦悶の表情が浮かんでいた。男たちから差し出された清潔な布で傷口を押さえるが、鮮血が止まる様子はない。
「ユミト、お前は大丈夫か!?」
「くそ、布が足りない! だれか薬草は持ってなかったか!?」
「それより早く首領を集落に! リリィに看てもらうしかない!」
男たちは手早く応急措置を施すと、集落へと首領を抱えて走り出した。呆然と立ち尽くすしかなかったユミトもようやく気を取り直し、自分にできることを導き出す。
「俺、先に集落へ行って治療できるように準備してます!」
今一番、身軽なのも体力があるのもユミトだ。一人で砂原を駆けるのは危険だが、今は一刻を争う。このまま血を流し続ければ、首領は長くは持たない。
「頼むぞ、ユミト!」
首領を抱えた男も、危険と首領の命を天秤にかけて同じ判断をしたのだろう、ユミトは返事を聞くとすぐに走り出した。
こういうとき砂原は走りにくい。いつも以上に焦っているせいか、何度も砂に足を取られそうになる。遮るものもなく、直に照りつける日光が今は煩わしい。
人生の中で、こんなに走った日はないと思う。
そうして、ユミトは転がるように集落に戻った。
ユミトのただならぬ様子に、集落の女たちはすぐにユミトの元へ集まった。
「ちょっと、何があったのさ!」
「はー、はっ、首領、が…」
「大丈夫かい?」
「首領、は、大丈夫じゃないです…」
息も絶え絶えに、首領の状態を告げると女たちは急いで治療の準備を始めた。
あるものは首領の家に清潔な敷布をかけ、水や布を準備し寝床の準備をした。あるものは、血止めや化膿止め、熱さましなどありったけの薬草を準備した。あるものは神殿で祈祷するリリィを呼びに駆けていった。
そうして準備が整った頃、重傷を負った首領と男たちが帰ってきた。
女たちは彼らを迎え、労りの言葉もそこそこに、速やかに寝所へと案内する。
寝所にはリリィが待機しており、すぐに首領の手当てをはじめる。
首領は血を失いすぎたのか顔色は青ざめていた。傷を押さえていた布は真紅に染まり、なんの役目も果たしていなかった。リリィは傷口の布を取り払うと、酷い裂傷が肩口から腹部にかけて広がっており、その裂け目から湧き出る赤い泉を見て、もはや一刻の猶予もないことを悟る。
リリィは傷口に手をかざし、首領が回復することを切に祈りながら、女神への祝詞を口にする。
「深淵におわします、我らが女神よ。もしもわたくしの言葉が聞こえますなら、どうかこの願いをお聞き届けくださいませ。その慈悲深きお心と、奇跡のお力で、どうか彼のものをお救い下さい……!」
リリィの祈りに、弱くも淡い輝きが寝所を満たしていた。