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狩りの時間

「寒い」


 キャンターの声は風に溶け、誰にも聞かれないままに消え去った。

 魔領調査隊の面々は黙々と雪の中を歩いている。キャンターは自身を包む防寒着をぎゅっと抱きしめ、それからため息を吐いた。


 キャンターは女魔法使いである。遙か昔にいたという神々の力がその身に宿っていた。魔法を使える者は少ない。魔法使いは特定の家系にしか生まれず、また、家系によって使える魔法も固定されていた。

 魔法使いとして生まれた者の多くはその力を活かすために軍へ入る。だが、キャンターはそれを嫌がった。命を賭けて戦うなんてとんでもない。キャンターは臆病者だったし、体力がある訳でも無い。それで、逃げるように魔領調査隊に就職した。

 魔領にはチェルミナートルと呼ばれる不死の怪物がいるという。キャンターはそんなもの信じなかった。迷信の類に決まってる。実際、チェルミナートルを見た人間など殆どいない。年寄り達の一部が見たことがあると主張しているだけだ。馬鹿らしい。


 そんなキャンターは危険な軍ではなく、安全な魔領調査隊に就職出来たことを喜んでいたが、一つだけ誤算があった。この寒さである。神話によると、ロゥバーという邪神が追放されたのがこの魔領で、神々はこの地に呪いをかけたという。その呪いが魔領を極寒の地にしているというのだ。キャンターはそんな神話など信じていなかったが、この寒さにはほとほと参っていた。

 雪は積もるほどではないが、露出した顔の温度を奪っていく。ふらふらになりながら、キャンターは隊員へ向き直って叫ぶ。


「休憩だ! 休憩するぞ!」

「またですか」


 キャンターは呆れる隊員を無視して座り込んだ。やっていられない。キャンターは仕事が嫌いだし、運動も嫌いだし、部下の扱いも上手くない。それでも、魔法使いとして生まれた以上、こういった仕事をしなければならないし、隊長として部下を使わなければならない。

 キャンターは後ろの男をちらりと見た。体格は良い。鍛えていることが見るだけで分かる。度胸も体力もあるし、人望もありそうだ。自分ではなく、こいつが魔法使いだったら良かったんだ。こいつも、何故キャンターなんかに魔法の素質があって、自分にないのか嘆いているのだろう。

 空を仰ぐ。曇った空は気分を憂鬱にさせた。望んで魔法使いになった訳じゃない。こんな防寒着ではなく、普通の町娘が着るような、もっと軽くて可愛い服が着たかった。うまくいかないものだ。


「隊長、人がいます」

「何?」


 キャンターは思わず間抜けな声を出してしまった。雪の中、遠くに確かに人影が見える。それも一人ではない。


「チェルミナートルだ!」


 隊員の一人が叫ぶ。動揺が隊を駆け巡るが、キャンターは珍しく隊員を叱りつけた。


「馬鹿か。チェルミナートルなどいる訳がない。私達が何故ここに来たのか分かってるのか?」

「現れたとされるチェルミナートルを殺すためです」

「違う。行方不明者が出た原因を探るためだ。多分あれはその行方不明者だろう。火を炊け、それと食べ物を用意しろ」


 キャンターは仕事熱心ではなかったが、少なくとも無責任ではなかった。ほどけかけていた靴紐を結び、それから食べ物の用意を始めていた男たちに声をかける。


「迎えに行ってくる」


 キャンターは走り始めた。行方不明になっている人間は魔領の遺品などを求めた盗賊だろうが、それでもこの寒さの中で辛い思いをしたに違いない。

 近づくにつれ、行方不明者が何人いるのか分かり始める。そこで、キャンターは足を止めた。この一月で行方不明になったのは六人のはずだ。だが、目の前には少なくとも十人以上見える。

 何かがおかしい。キャンターは目を凝らした。そして、目の前にいる行方不明者達が皆鎧のようなものを着用し、剣を所持していることに気づいた。


「え……?」


 次の瞬間、キャンターは力の限り逃げ出した。あれは、行方不明者などではない。


「撤収! 用意した食べ物は捨てて行け! あれはどこかの兵士だ!」


 魔領調査隊の動きは早かった。すぐに重い物を捨てて駆け出していた。この辺りで敵国の兵士と言えばベーリアンの兵士を指す。ベーリアンは北西の国だが、魔領を通って北から攻めて来たのかもしれない。行方不明者が多発していたのは、ベーリアンの兵士と遭遇して、口封じのために殺されたのだろう。キャンターはそういった推測を立て、これからどうするかを考え始めていた。


「隊長! 騎馬兵が!」

「何だって?」


 振り返ったキャンターは思わず舌打ちした。二頭の騎馬がこちらへ向かってきている。簡単には逃がしてくれそうにない。


「創造・炎のファイアボール


 キャンターは聖句を紡ぐと、魔法を発動させた。炎の球が馬へと直撃する。馬はいななきながら転倒し、乗り手は地面に投げ出された。隊員たちから歓声が上がる。


「もう一頭来るぞ!」


 キャンターは再び聖句を唱えようとしたが、射線上に味方がいることに気づいて中断した。


「邪魔だ!」


 キャンターが位置取りを変えようともがく間、魔領調査隊は騎馬兵に追いつかれた。騎馬兵の突撃槍が二人を同時になぎ払う。小さな混乱が起き、隊列が乱れ始めた。


「慌てるな! 剣で牽制しろ!」

「隊長! 戦車が!」

「はあ?」


 戦車。初めて聞く言葉だ。キャンターは訳が分からないままに振り返り、そして理解した。三頭の馬が馬車のような物を引いている。馬車は鉄のようなもので装甲され、炎のファイアボールでも壊せるか怪しい。


「何だあれは!」

「戦車です! 南方でよく使われていると聞いたことが!」


 南方? あれはベーリアンの兵士じゃないのか? キャンターは浮かんだ疑問をすぐに打ち消した。そんなことはどうでも良いのだ。逃げることだけを考えなければらならない。

 悲鳴を上げながら騎馬兵に蹂躙される隊員たち。キャンターは無意識に唇を噛んでいた。


「どけっ! 私がやるっ! 創造・炎のファイアボール!」


 ファイアボールは乗り手へと直撃した。大きな音を立てて馬から乗り手が転げ落ちる。乗り手を失った馬は暴れながら隊員の一人を踏み潰し、謎の兵士たちの元へ逃げ帰っていった。

 十五名いた魔領調査隊は既に半分ほどの数になっている。キャンターは息を切らしながら後方の戦車を睨んだ。


「逃げ切れん。二手に別れるぞ。敵の歩兵は鎧を着ている。戦車さえ凌げば何とかなるはずだ」


 そして二手に別れた魔領調査隊だったが、キャンターはすぐにその判断を後悔した。戦車が追いかけてきたのはキャンター側だったのだ。キャンター含め四名の調査隊員は悲鳴を上げた。

 キャンターは自分が生き延びる最善の手を考え始める。更に二手に、あるいは四人ばらばらに逃げたら? それなら戦車が自分を追いかけてくる可能性はぐっと減る。どうするべきか。


「ぐぁっ!」


 その考えは並走していた男が発した奇声によって中断された。男は大きく体勢を崩し倒れ落ちる。その背には矢が刺さっていた。


「弓だ! あの戦車の乗り手は弓を持っているぞ!」


 キャンターは戦車というものをよく知らなかった。戦車が弓を扱うのは一般的であったが、キャンターにとっては初めて見る兵器なのだ。

 キャンターは注意深く戦車を観察した。三頭の馬が戦車を引いている。三頭にはそれぞれ御者がおり、その後ろの戦車には弓を持った乗り手。戦車は装甲によって守られている。

 戦車自体を壊すのは無理だが、馬や乗り手を狙えばどうにかなるか? キャンターはすぐにその考えを捨てた。三頭の馬を殺す前に追いつかれる。乗り手はどうか? 頭をひっこめられればおしまいだ。簡単に避けられる。騎馬兵ならば馬上で回避行動を取るなど不可能だが、戦車兵は違う。

 キャンターは脇へと目を向け、それからすぐに決断した。


「細道へ逃げるぞ! あの図体だ。入ってこれまい」


 叫ぶと同時にキャンターは針葉樹の林へ飛び込む。木々の葉は所々雪に覆われ、緑と白が綺麗に共存していた。

 キャンターは走った。必死だった。もう少し。林の深い場所まで行けば。希望がキャンターの胸を包む。そして、その希望はすぐに砕ける。


「はーい。チェックメイト」


 場違いな声が耳を打ち、左右を走っていた男が同時倒れる。キャンターは足を止めた。

 目の前にいるのは小さな少女。十歳前後に見える。その褐色の肌は初めて見るものだった。


「こんにちは。ちょっとお話があるから待ってて貰える?」


 そう言うと少女は特に返答を待つ訳でもなく、倒れた二人の男を触り始めた。


「あ、結構若いし鍛えてる感じ。おいしそー」


 キャンターは少女が何を言っているのか理解できなかった。だが、隣を走っていた男が何故倒れたのか、ようやく理由を知る。男の左胸部にはナイフが深々と刺さっていたのだ。

 キャンターは無言で座り込み、自暴自棄に問いかける。


「ねえ。あんた何なの」

「それはそれは哲学的な問いだね! いや、そういう意味じゃないよね! 勝手に問いの意味を解釈すると、チェルミナートルって答えるのが一番なのかな」


 チェルミナートル。そう聞いてもキャンターは特に驚かなかった。感覚が麻痺してしまっている。


「私をどうするの」

「うーん。お嬢ちゃん若いし食べたいんだけど。うーん。マルク様が許してくれたらなー」

「そう」


 今やキャンターの心を占めているのは諦めだった。諦めるのはずっと得意だった。望みもしない魔法使いとして生まれて、平穏な人生をずっと諦め続けてきた。

 うまくいかないものだ。それと、人生の終わりなんてこんなものなのか。キャンターは仰向けに寝転がる。地面は冷たいが、もうどうでも良かった。


「あ、マルク様ー!」


 少女が誰かを呼んでいる。キャンターはそれにさえもう興味を持たなかった。


「よくやった。お手柄だぞヘーテ」

「えっへっへ」



 低い男の声。あのチェルミナートルの少女はヘーテというのか、とキャンターは思った。でも、どうでも良い。目を瞑る。出来るだけ痛くない死に方が良いが、すぐに終わることだ。


「ふむ。この女に俺の能力を教えたのか?」

「え? 知らないと思いますよー」

「いや、目を瞑っているからな。寝ているなら随分神経が太い女だ」

「諦めてるんじゃないですかね。滅多にいないですが、たまにそういう人間もいるんです。あんまり面白くないタイプですよねー」


 強引に瞼を開かれ、キャンターは顔を歪める。視界には青白い肌の男。マルクと呼ばれてたチェルミナートルか。肌の色は気持ち悪いが、綺麗な顔だと思った。目と目が合う。


「創造・人心掌握チャーム


 マルクの赤い瞳に、キャンターは吸い込まれるような感覚を得た。


「お前はどうしてここに来た?」


 マルクの声が心地良い。キャンターは彼の声をもっと聞きたいと思った。


「行方不明者が続出していると聞き、魔領調査隊の任務で探索していました」

「魔領?」

「この周辺のことです」

「ほう。人間は神域を魔領と呼んでいるのか。我々から逃げたのは何故だ? チェルミナートルを殺しに来たのだと思っていたが」

「チェルミナートルが本当にいるなんて知らなかったんです。それに、鎧を着ていたのでベーリアンの兵士だと思いました」

「待て、ベーリアンとはあの神のことか? 神は死んだと聞いたが」

「西にある国です。今、私たちの国と戦争中で――」

「お前たちの国の名前は?」

「ルガーテです」

「それで、ルガーテとベーリアンは戦争をしている?

「そうです」


 答えれば、マルクの声がもっと聞ける。キャンターの意識は何かふわふわしたものに包まれているようだった。


「お前は魔法を使ったな?」

「はい」

「他に何が使える?」

「あれだけです」

「魔法を使える人間はどのぐらいいる?」

「分かりません」

「聞き方が悪かったな。どのぐらいの割合で魔法を使える人間がいる?」

「多分一〇〇人から二○○人に一人ぐらいだと思います」

「そうか。お前は優秀な方か?」

「分かりません。でも、炎のファイアボールの威力は親族の中でもかなり高い方でした」


 マルクは頷くと立ち上がった。ヘーテに笑みを向ける。


「終わった。食べていいぞ」

「ほんとですか! マルク様さっすが!」


 背を向けるマルクを見て、キャンターは思わず手を伸ばす。だが、その手を取ったのはヘーテだった。

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