人食いのヘーテ
手に取った武器を見て、マルクは思わず顔をしかめた。いや、武器だったものである。最早、それは武器ではない。
「何だこれは」
「剣……でしょうね」
ユーリカが自信無さげに答える。剣と思わしきものは錆び付き、刃は大きく欠けていた。柄もボロボロで強く握れば壊れてしまうだろう。
「誰も管理していなかったのか」
「申し訳ありません」
「いや、責めている訳ではない」
ユーリカは冷静かつ無表情で一見有能そうだが、別にそういった訳ではなかった。むしろ、どこか抜けていることが多い。冷静というより、ぼんやりしているといった方が正しいのだろう。ただ、顔の造りのせいでぼんやりではなく、冷静そうに見えているだけだ。マルクはそういったことを良く知っていた。何しろ、長い付き合いなのだ。
「ロゥバー様がお創りになった剣があったはずだ。それなら錆びたりしないだろう」
「はい」
マルクは前にあった邪魔な木箱を持ち上げようとしたが、それはあっという間にばらばらになった。武器庫の中、虚しい音が響く。
「……ここの物は全部捨ててしまった方が良いかもしれない」
「申し訳ありません」
多大な時間をかけて、マルク達はロゥバーの武器を探し当てた。剣が三本と槍が一本。
その他に盾が一つあったが、その盾はロゥバーがお遊びで創ったものだった。攻撃を加えると簡単に壊れる為、盾として用を成さない。その癖、しばらくすると自動的に修復する魔法がかかっている。ロゥバーはそういった無駄な物をよく創った。チェルミナートルも、ロゥバーが創った無駄な物の一つかもしれない。マルクはそう考えて少し笑みを浮かべた。
「俺はこの剣と槍を使おう。ユーリカも残り二本から好きな物を持っていけ」
「よろしいのですか?」
「構わん。どうせ他に誰もいないんだ」
「ではこれを」
ユーリカは細身の剣を手に取った。一見、簡単に折れてしまいそうだが、神々が創った武器は絶対に壊れることがない。
「さて、どうするか」
手にした槍と腰に挿した剣を見ながら、マルクは舌舐めずりする。
「連絡がつく仲間はいるか?」
「神殿にいるのは私とヘーテだけです」
「ヘーテがいるのか」
マルクは驚いた。ヘーテは好んで人間を食すチェルミナートルの一人だ。そういったチェルミナートルは人に囚われていると聞いていたが、どうやらまだしぶとく逃げ延びているらしい。
「ヘーテはどこにいる?」
「外です。そろそろ戻ってくると思います」
「外のどこにいるんだ?」
「……存じ上げておりません」
「まあ良い。ここを出るぞ」
「かしこまりました」
マルクは一歩足を進め、それから不意にその足を止めた。
「神殿には他に誰もいないんだな?」
「そのはずです」
「まずいな。それでは神殿に誰もいなくなる」
しばらく考えていたマルクだが、肩をすくめると聖句を唱え始めた。
「創造・狂信の僧侶」
兵士の時と同じような光球が二つ現れ、それはやはり人の姿を取った。深い緑のローブに包まれた僧侶が二人現れる。その顔はフードの影になっていて見えない。
魔法の成功を確認したマルクは再び聖句を唱える。
「創造・偽愛の女王」
今度は一つの光球が人へと変わる。やがて、赤いドレスと白い仮面を被った女王へとそれは変化した。
「女王は悪意ある敵から神殿を守れ。特に祭壇を重視せよ。僧侶は女王を守れ」
分かったか等と確認はしない。魔法で召喚したユニット――マルクは好んでユニットと呼んだ――は必ず命令を守る。兵士などは命令を守るしか能が無いといっても過言ではないほどに。
祭壇へと向かう三人のユニットを見て、ユーリカはぽつりと呟く。
「さすがです」
「素晴らしい能力だが、しっかり使いこなせているかは自信がない」
自嘲的にマルクは笑う。
マルクが使える召喚魔法は兵士八人・騎兵二騎・僧侶二人・戦車二両・女王一人だけだ。
兵士の戦力は通常の人間の兵士よりも少し強い程度。騎兵や僧侶はポーン五人程度の戦力だ。戦車ともなればポーン十人。女王は他と比べられないほどの価値があるが、ポーン二十人程度の戦力。マルクは平均してそう見積もっていた。
最も、それぞれのユニットによっては力を発揮出来る場面や発揮出来ない場面がある。例えば、戦車を狭い通路だらけの神殿で使っても大して訳に立たないだろう。十五体のユニットの戦力をいかに効率的に使うか。それが、マルクが召喚魔法を使う上で一番注意すべきことだった。
「閣下はしっかり使いこなせていると思います。それに、もう一つの魔法も」
「だったら良いのだが」
マルクのもう一つの魔法は心的掌握だった。異性に対してしか効かない上に、しっかりと目を合わせる必要がある。使い勝手が良いとは言えない為、それほど使用機会は多くない。
「神殿の守りがこれだけでは不安だが……仕方あるまい。ヘーテを探しにいくぞ」
「いえ、探しに行く必要はなくなったみたいです」
ユーリカの言葉の直後、石畳を軽く叩くような音が聞こえ始める。ユーリカの足音よりもずっと軽い。
「噂をすればヘーテか」
「マルク様ーっ!」
廊下を走りながら現れたのは小さな少女だった。マルクやユーリカのような青白い肌ではなく薄い褐色の肌。フリルのついた純白のワンピースが薄暗い廊下の中で一際目立っている。背はマルクの半分ほどだった。
「久しいな」
「久しいな、じゃないですよ! ずっとあのまま死んだままなんじゃないかって思ってたんですから! 五千年ですよっ! 五千年っ!」
涙目になっているヘーテをなだめるようにマルクは彼女の髪をなでた。
「俺だって好きで死んでいた訳じゃない」
「そりゃそうですけど! 本当に心配で心配で……」
「ところで、どうして俺が生き返ったと分かった?」
「部屋にいないんだからすぐ分かりますよ!」
「なるほど」
その言葉で、ヘーテがかなりの頻度でマルクの様子を見に来ていたことが伺えた。目の前の少女の献身ぶりに内心驚く。ユーリカにも感謝しなければならない。
「二人とも本当にすまなかった。それに言い表せないほど感謝している。ありがとう」
ヘーテは目をぱちくりさせると照れたように顔を伏せた。
「そんな事言われたらもう責められないじゃないですか……」
「ところで、ヘーテは外で何してたんだ?」
「あっ、そうそう! ちょっと外の様子見に行ってたんですよ。餌が来ないかなーって。でも、今日は結構な数が来てて、ユーリカに助けを求めに戻ってきたんです」
「ほう」
ヘーテは人を食すのを好む。何でも若い人間ほど美味しいらしい。
とにかく、少し食べ過ぎたせいで、人間の本格的な調査隊か何かが来たのだろう。
マルクはすぐに方針を決定した。
「敵は何人ぐらいだ?」
「二十人ちょっとです。なんだか結構武装してました」
「どの辺りにいる?」
「南にちょっと行った場所です。昔にウェルテの町があったあたりですね。あそこらへんは人間の盗賊がよく来るので良い餌場なんですけど」
長々と喋り出しそうなヘーテを無視し、マルクは兵士を新たに六体召喚した。最初からいた二体と合わせ、八体の兵士がわらわらとマルクを取り囲む。そして、やたらと背の高い兵士によってマルクの姿が見えなくなった。
「わっ、相変わらず面白い魔法ですねー」
「ヘーテにかかれば何でも面白いでしょう」
呆れたようにユーリカが口を挟む。
「邪魔だ。道を開けろ」
マルクの言葉に従って、マルクを取り囲んでいた兵士が少し距離を取る。ようやくマルクは歩けるようになった。
「こいつらの融通の効かなさには時々驚かされるよ」
マルクは少しうんざりした様子でそうぼやく。女王などは命令した範疇で、ある程度融通が利いた行動を取るのだが、兵士はそうもいかない。命令しない限り、召喚直後は召喚者にぴったりと寄り添うようにいるのだ。二体程度なら何の問題もないが、八体召喚すると取り囲まれて身動き出来なくなる。
「まあ良い。迎え撃つぞ」
マルクは槍を片手に不敵な笑みを浮かべた。