五千年の死
初めまして、こんにちは。
本作は不死の生物チェルミナートル達による人間世界への侵攻を描いた物語となっています。
また、物語の都合上、残酷な表現や差別的な表現が含まれることが御座います。それらの表現に対し、ご不快に感じられる可能性がありますことを先にお伝え致したいと思います。
拙い作品ではありますが、何卒宜しくお願い致します。
不死。その表現は正確ではないとマルクは思った。
混濁した意識がゆっくり浮上する。自分が生きているのだという安心感。また、死からの生還に対する喜びがそこにあった。そう、死からの生還だ。
マルクのような生き物を人々はチェルミナートルと呼ぶ。不死の生き物のことだ。だが、マルクは自身を不死だとは思わなかった。正確に言えば、"死にぞこない"が表現として正しいだろう。
思考の焦点が定まらない。死から生還した時はいつもこうだ。体が重く、酷い頭痛に苛まれる。マルクはしばらくぼんやりと横たわっていた。そして、一つの疑問に辿り着く。一体何年死んでいた(・・・・・)のだろう?
チェルミナートル達の死は長い。もちろん永遠の死を持つ人間より短いだろうが、それでも一〇〇年以上死んでいるような事も稀にあった。彼らはその間、息も無ければ脈も無い。だが、それは完全な死ではないのだ。チェルミナートル達は真の死を知らないが、自身の死を"不完全な死"、あるいは"一時の死"と表現することもあった。
マルクはゆっくりとベッドから起き上がり、周囲を見回す。相当古い建物の中だ。床と壁は黒の石造りで、どことなく遺跡のような雰囲気を思わせる。
マルクはベッドから離れ、慎重に足を踏み出した。この場所は知っている。ロゥバーの神殿の一室だ。マルクが忠誠を誓った神の住居。だが、静まり返った神殿は、マルクの記憶の中のものと大きく違う。
かつては礼儀を知らないチェルミナートル達が騒いでいた神殿。何度彼らを叱っただろう。音一つしないロゥバーの神殿を歩きながら、マルクはかつての思い出に浸っていた。
マルクは足を止める。まるで、誰もいないみたいだ。栄華を誇ったロゥバーの神殿が嘘のような静けさに包まれていた。マルクの鼓動が早まる。
本当に誰もいないとしたら? ロゥバーの神殿が忘れられてしまう程の時が経っていたら? それはつまり――。
気がつけば、マルクは駆け出していた。神殿の西には神官の居住区がある。ロゥバーは気まぐれな神だから神殿にいるとは限らない。だが、神官達なら必ずいるはずだ。
死から生還したばかりの体が悲鳴を上げる。それでも、マルクは走らなければならなかった。どうしても確認する必要があるのだ。
息を切らしながら神官の居住区に着いたマルクは、近くの扉を乱暴に開けた。誰もいない。埃をかぶった部屋に私物は一切無く、まるで最初から誰も住んでいなかったようだ。
マルクは次々に扉を開けた。どの部屋も同じような様子だった。
「どうして……」
口から漏れた声は自分でも驚くほど震えていた。
マルクは居住区を後にし、祭壇へと向かう。先程までと打って変わって、マルクの足取りはゆったりとしていた。
祭壇は居住区の北側にある。長い廊下の壁に松明は無く、窓から入る光だけが頼りだった。
祭壇の間へ入った後、マルクは目を瞑った。かつては、ここへ一歩入ればロゥバーの偉大な力を感じることが出来た。だが、今やそれさえ感じられない。
ロゥバーはチェルミナートルを創ったことで他の神々に追放された神だ。だが、ロゥバーはさして気にした風もなくチェルミナートルを創り続け、また守り続けた。マルク達チェルミナートルはそんなロゥバーを敬愛していたし、強く信仰していた。
神々がチェルミナートルを恐れたのはその不死性だった。神々でさえ死からは逃げられない。だが、ロゥバーは死なないチェルミナートルを創造した。また、ロゥバーは非常に気まぐれな神だったから、その時の気分によって様々なチェルミナートルを創った。結果、非常に凶暴なチェルミナートルも生まれ、そういったチェルミナートルは人間を好んで食べた。自分の信仰者を食べる不死の怪物たちに神々は怒り、ロゥバーは追放されたのだ。
結果、神々の民とロゥバーの民であるチェルミナートルは対立し、争い続けた。
そんなロゥバーが死んでいたとしたら? マルクは怯えるように祭壇へと近寄った。ロゥバーを模した醜悪な像がどこか遠くを見ている。
ロゥバーの姿形が醜悪であることは有名だった。マルクでさえ自身の神の姿形を好ましいとは思わなかったが、そこに強い力を感じてはいた。だが、今ではただの醜い像にしか見えない。ロゥバーの力は完全に失われてしまっていた。
「閣下……?」
呆然と立ち尽くすマルクの後ろから、深い女性の声が響く。はっと振り返ると、見慣れた姿がそこにあった。
「ユーリカ!」
マルクと同じような青白い肌に長い耳。ユーリカはマルクの部下だった女性だ。
「蘇りになられたんですね。良かった……」
「ユーリカ、俺は一体何年死んでいた? いや、ロゥバー様はどこに行った?」
詰め寄るマルクに対し、ユーリカは困ったような表情を浮かべる。マルクはユーリカがそんな表情を浮かべるのを初めて見た。マルクの記憶にあるユーリカは常に冷静で無表情。そんな女だった。
「落ち着いて下さい。閣下が一時の死に陥ってから、およそ五千年の時が流れました」
躊躇うように少し間を空けてユーリカは更に言葉を続ける。
「ロゥバー様は随分前にご逝去なされました」
予期していた答えだが、やはりマルクにとって衝撃は大きかった。マルクの人生はロゥバーへの忠誠と信仰に捧げられていたと言っても過言ではない。
目に分かるほど動揺しているロゥバーに対し、ユーリカは頭を下げた。
「ロゥバー様は死ぬ直前、閣下の事を気になさっていました。今まで仕えてくれた事に感謝しているとのことです」
「そうか……」
マルクは先ほどの神官の居住区のことを思い出した。そして、怒りが込み上げる。
「神官達は、神官達はどうした。彼らはどこへ行ったのだ! ロゥバー様の神殿を放り出してどこへ行った! 永遠の誓いを忘れてしまったとでも言うのか!」
「閣下、どうか彼らをお許し下さい。彼らはロゥバー様の神殿を守る為に出ていったのです」
ユーリカは再び頭を下げる。その様子を見て、マルクの激しく熱した怒りは少し収まった。
「人間達の力は益々栄えるばかり。彼らは我々を深い石牢に閉じ込めようと躍起になっています。神官達はロゥバー様の神殿を出て、この神域を守るために戦ったのです」
チェルミナートルは死なない。ならば退治する為にどうするか? 答えは簡単だ。深い地下に頑丈な牢を作り、そこから永遠に出られなくするのだ。戦った神官達もそのような目に遭っているのかもしれない。マルクは顔を歪めた。
「そういえば、俺は何故ここにいる」
マルクは人間達との戦争で殺された。正確に言えば、人間の神々に蹂躙されたのだ。
「私が一時の死に陥った閣下を連れ去りました。そうして、この神殿に逃げ込んだのです」
「そうか。礼を言う」
マルク程の力があれば石牢に囚われても逃げ出せるが、わざわざそれを言う必要もない。
「私には過分なお言葉――」
「そういった形式はもう良い。それで、我々はどれほどの数が自由に動けるのだ?」
「多くて百ほどでしょう。連絡がつく者となれば一握りです。いまやチェルミナートルは散り散りになっていますから」
百。多いのか、少ないのか、マルクには判断がつかなかった。マルクが一時の死に陥る前、人間達との戦争ではおよそ千のチェルミナートルがマルクの下で戦っていた。ロゥバー亡き今で一割の百が自由に動けると考えれば十分とも思える。それほどまでにロゥバーの力は大きかった。
「ロゥバー様がご逝去なさったのはいつ頃だ?」
「二千年ほど前ですね」
「二千年間、ロゥバー様不在で百も残ったか。十分だ。十分過ぎる」
人間は脆く寿命も短いが、数が多い。虫のようにわらわらと沸くのだ。それに、人間にはロゥバー以外の神々がついている。それを相手に二千年間戦い、一割も残ればマルクにとって勝利に近い。
喜ぶマルクに、ユーリカは更に報告を加える。
「それと一つ良い報告が。人間の神々も千年ほど前には全て死に絶えました」
「……何だと?」
「人間の神々は全て死んだのです」
マルクは凄惨な笑みを浮かべる。
「なるほど。神は死んだか」
人間達との戦争は、正確に言えば"人間の神々との戦争"に近かった。戦争で最も恐ろしいのは神々で、マルクが一時的な死に陥ったのも人間の神々の手によってだった。神々が死んだとなれば、一方的な戦いには決してならない。
「創造・絶対忠誠の兵士」
マルクは聖句を呟いた。
神々に長く仕えた者に対し、神々は魔法の力を与えることがある。今唱えた物も、ロゥバーから与えられた魔法の一つだった。
マルクの両脇に光の球が浮かびあがる。やがて、それは人の形を取り、鎧を着た兵士となった。二人の兵士はマルクを護衛するように位置を取る。
「お見事です」
ユーリカは眩しそうな表情を浮かべる。魔法を使えることは、大きなステータスでもあった。チェルミナートルでロゥバーから魔法の力を与えられた者は非常に少なかった。
「あまり大したことはないさ。ポーンなら俺が生み出せるのは八人が限界だ」
「八人いれば小さな村程度なら滅ぼせるのでは?」
「本当に小さな村ならな」
マルクは肩をすくめると、祭壇の間の外へ歩き出した。遅れてユーリカと召喚したポーンが追いかける。
「閣下、どこへ?」
「武器庫だ。人間達はどんな様子なんだ?」
「人間同士で争っています。私達のことはもうあまり気にしていないのでしょう。好んで人間を食べていたような者は殆どが石牢の中ですし。神域に入ろうとする者は愚かな盗賊ぐらいです」
「それは好都合」
マルクの目は鋭く前を見据えている。ユーリカは彼の横顔を見ながら、膨らむ期待を感じていた。
「いくぞ」
ユーリカは一瞬立ち止まったが、すぐにマルクの後を追った。神殿の中、二人の足音だけがただ響き渡る。ユーリカの青白い肌は僅かに紅潮していた。