3章の2
昨日今日では体育館を使うのはためらわれたようだ。体育館の周りは静かだ。俺は好都合とばかりに体育館の扉をあける。
錆びついた所がある為かキキキッと音を立てた。近くに人がいたらこっそりは難しそうだ。
「顔なしさん居ますか?」
「孫様。カオナシってのっぺらぼうみたいだから止めてくれませんか?」
俺はのっぺらぼうよりも別のもを思い出すけどね。ジブリ的なものだが、それを頭のない彼女が知っているとは思えないので、心の中だけにその呟きは留めておく。
それにしても、まさかこんな簡単に現れるとは思わなかった。俺は今まで幽霊を一度も見た事がないぐらいシックスセンスが欠如している。それなのに会う事が出来るのだろうかと若干不安でもあった。
だが予想に反して、彼女はいともあっさり出迎えた。頭は両手で胸のあたりに抱えられており、姿は相変わらずスプラッタ。他の生徒がみたら泡吹いて倒れるかもしれないぐらい衝撃映像だ。スタイルが良くて、顔も美人なのに惜しい。
「だとしたら、なんて呼べばいいですか?俺の事は、孫様じゃなくて、一郎で良いです」
「敬語でなくてもよろしいですわ、一郎様。私がないのは首です。首。けれどクビナシって呼ばれるよりも、体育館の怪異と呼ばれとうございます」
「俺も敬語はいいよ。体育館の怪異って長いね。体育館が名字で怪異が名前?できたらイクさんかカイさんって呼びたいんだけど」
確か昔の人って、名字の間にのを付けていた気がする。源のとか藤原のとか。
「いえ、体育館の怪異が名前なのですが……。できればイクでお願いします。怪異とつくものは多いので」
「だから敬語はいいよ。イクさんの方が年上なんじゃない?」
「ですがそういうわけには。一郎様は鬼姫様の孫様ですから」
鬼姫さんって結構偉い妖怪みたいだよな。そういえば、紅兄達も鬼姫さんの事は様付して特別扱いしていた。俺だけさん付でも良いのかなぁ。
でも今さらだし。それに様づけではなく、鬼婆と呼べなんて言われているくらいだ。他人行儀な言葉を鬼姫さんは好んでいない。
「実際は孫とも違うんだけどね。まあいいや。ちょっとイクさんに妖怪について教えて欲しくてさ」
「妖怪の事ならば、孫様の兄上様方に聞いてみてはいかがです?」
それはもっともな話だ。俺の妖怪知識はないに等しいので、兄弟の仲を深めるためにも皆から聞いた方がいいとは思う。というか今後一緒に住む為にも聞くつもりだ。でも今回の内容ははちょっとまずい気がしたのだ。
「んー。ちょっと兄達を心配させそうな話題だから聞きづらいんだ。イクさんは学校生活長そうだし、知っているかなと思って」
「学校でというか体育館で過ごした年月は長いのですが、ちょっとその言いまわしはニュアンスが違うような……。別にいいですけど。それでちょっと心配させそうな話とはどのようなものですか?」
このまま立ち話をしてイクさんが目撃されるのはマズいよね……。俺は体育館の中に脱いだ靴を持って入り、扉を閉めた。これで少なくとも扉が開くときは音で分かるので、すぐにイクさんを逃がしてあげられる。人間、妖怪両方の幸せのためにも、イクさんが不法的にここに住んでいる事はばれない方がいいだろう。
「同じクラスの子に和栗神社の娘さんがいてね、俺の事というか俺の周りをお祓いしたいらしいんだ。妖怪ってお祓いされるとどうなるの?」
「力の弱いものだと消滅しますね。強いものならばさほど意味のあるものではありません。ただし人間は封印などさまざまな技を編み出していますので油断は禁物だと思います」
……鬼姫さんはたぶん大物っぽいし大丈夫だけど、他の皆はどうだろう。それにお祓いにも色々種類があると考えると、できる限り和栗さんに合わせないようにするべきた。
「イクさんは大丈夫なの?」
「大丈夫じゃないですね。たぶん本気でやられたら消滅します。ですから基本私は人前には出ないようにしています」
「えっ。じゃあ、今日は危険を顧みずにでてきてくれたんだ。ごめんね」
昨日知り合ったばかりの仲なのに悪い事をしてしまった。せめて夜に行くとか、イクさんの都合も考えればよかったと思う。……夜遅くに家からこっそり抜け出せるかどうかは謎だけど。
「謝らないで下さいな。私のような子供たちの妄想から生まれたものは忘れられてしまっても消滅してしまうので、適度に目撃される七不思議レベルで現れるようにしていますから。別に凄く危険というわけではありませんわ。本当に危険だと察知したら、私は裸足で逃げ出しますし」
「それは……大変だね」
適度に目撃って、隠れるより難しいんじゃないだろうか。人から忘れられない程度。でもお祓いされない程度。気を使って、気を使って、気を使って、初めてそのバランスがとれるように思う。
「慣れましたから。心配は御無用です。それとお祓いですが、鬼姫様や一郎様の兄君達は私などと比べるのも失礼になってしまうほどお強いので、和栗神社の娘程度の力なら問題ないかと思います。ただ人間は力だけではありませんので、気を付ける事にこした事はありません」
「だよねぇ。授業参観とか、運動会とか、来ないように対策立てないと」
書類とか渡す前に十分に吟味しておく必要がある。行事がある事がバレた場合、今回の入学式同様断っても来てしまう。
しかしイクさんはぎょっとした顔をした。
「それは……止めた方がいいと思います」
「何で?和栗さんと俺の家族が会ってしまうのは、たぶん学校行事だけでしょ?だとしたらそれさえ中止してしまえばより安全じゃない?」
「鬼姫様は家族での行事に憧れといいますか、色々思い入れがあるようですので」
「でも安全のためなんだし。イクさんだって気をつけた方がいいって言ったじゃん?」
するとイクさんの顔はさぁぁぁっとみるみる青ざめた。生首状態なため、まるで死体のように見える。血の気が下がったとして、体がないのに頭の血は一体何処に下がったのだろう。不思議だ。
「止めて下さいっ!!。私の不用意な発言お許しください。お願いします」
「えっ?」
「大丈夫でございます。あの方々はお強いので、問題ありません。いくら人間に知恵があろうとも大丈夫です!!」
さっきと言っている事が違うような。しかし先ほどよりイクさんは強く力説している。
「でも――」
「本当に、本当に大丈夫でございますから……私が止めるように言ったなどと、くれぐれも言わないで下さい」
「あぁ。鬼姫さんってそんなに怖いんだ」
やっと納得。
そういえばイクさんは入学式を台無しにした前科がある。あの時鬼姫さんに叱られて、本気で泣いて俺に助けを求めてきた。年下の俺に助けを求めるなんて、相当怖かったのだろう。
「大丈夫。絶対イクさんの名前は出さないし、迷惑はかけないよ。少しでも皆に危害を加えられないようにしたいのは俺の我儘だから」
顔を床に下ろし、両手を合わせていたイクさんは、眉をハの字にした。顔には不安と書いてある。確かに知り合って間もない相手に絶対って言われても、信じるのは躊躇われるよな。
「そろそろ休み時間が終わるし、俺行くね。また来てもいい?」
「それは……かまいませんが」
「うん。ありがとう。妖怪の知り合いはイクさんしかいないから、イクさんだけが頼りなんだ。じゃあ、またね」
俺の事はおいおい知ってもらえばいい。まずは仲好くなる事からだよな。信頼はその後についてくるものだ。
今度来るときはイクさんに何か手土産でも持っていこうと思いながら、俺は体育館を後にした。