11章の3
「えっと、俺は鬼ではなく……、その人間なので……すみません」
人間である事を謝る必要はないんだろうけど。というか、そんな根本的な事どうしようもないし。
でも俺は恐怖から、するりと謝罪の言葉が出た。
「偽りを言うと殺すぞ」
言わなくたって、殺す気満々でしょ?っと言いたかったが、言えない。俺はぶんぶんと首を振った。
「う、嘘じゃないです。……兄さん達は妖怪ですけど」
冷や汗だらだらだ。もしかしたら皆と暮らしているせいで人間とどこか匂いとかなにか違うのだろうか。そういえば、陽さんもそんなような事言って、最初俺に絡んできたし……。
くんくんと服のにおいを嗅いでみたが、煤臭い臭いがするだけだった。
「ちょっと、アンタ達、うちの弟にちょっかいかけないでくれる?」
「雑魚妖怪がうっせぇんだよ」
「そうですね。すこし黙っていただけませんか」
俺から鬼を遠ざけるように、俺の前に皆が立った。
特に石姉はヒールをはいているので、背が誰よりも高くかっこいい。そして俺、守られてばっかでかっこ悪い。早く逃げ出すべきだと分かっているが、タイミングが見つからない。
「弟?まさか、そいつは――っ?!」
「僕は君に、黙るように言ったはずですけど。聞こえませんでした?」
ひょいと紅兄が何かを赤鬼の口に頬り込んだ。それを反射的にごくりと飲み込んだ赤鬼は目を白黒させた。しかしすぐさま状況を飲み込んだらしく、必死にはき出そうとする。
「貴様っ!!」
「僕は何度も同じことを話すのは嫌いです。黙れと言ったんですよ」
次の瞬間、赤鬼胸から血が噴き出した。俺と変わらない赤い血は、鉄臭い臭いとともに赤鬼の足元に水たまりを作る。
一瞬の出来事で何が起こったのか俺には理解できなかった。まるで現実の外の事のようで、茫然と紅いそれを見つめる。
「兄者っ!!」
「そんなに慌てなくても、鬼なら心臓つぶされたぐらいでは死なないでしょ。僕もね、鬼族を殺して、鬼姫様のご不興を買いたくないんですよ。だからあまり手を煩わせないでくれます?」
紅兄は赤い粒を指先で弾きながら、ニタリと笑った。それは鬼がうずくまる姿を楽しんでいるように見えて、血の気が引いた。ここにきてようやく現実として悪寒が湧き上がる。
「一体、何をしたのだ?!」
「『小豆洗い』に何をしたって。もっとちゃんと調べてから喧嘩売れよ」
小豆洗い……小豆洗い?!
俺は犬兄の言葉に耳を疑った。この間借りた妖怪図鑑に載っていたから知らないわけじゃない。あの段だから読破済みのページだ。しかし小豆洗いって小豆洗っているのとおどろおどろしい歌を唄うくらいしか書いてなかったんだけど。
その上描いてあったイラストは、大きな目にはげた頭、そしてちょび髭。紅兄に似ても似つかない。
「まあまあ。ちゃんとした調べてないのは、同情の余地ないけれど、僕は姿を見せる前に殺しちゃうからねぇ。僕が小豆を操る事を知らなくても仕方がないんじゃないかな?」
こてんと首をかしげた姿は、美形だけあってどこか可愛らしい。母性本能くすぐるような動きだ。しかしさらりと自己紹介のように言った内容は、全然さらりとしたものじゃない。殺すって何?どういう事?
「ちょっと、そんな殺人鬼みたいな顔するの止めてよ。一人ぐらいは殺してもいいけど、ちゃんと捕まえて、鬼姫様に報告するんだから。色々聞いておきたい事もあるのよ」
ふわりと、石姉の体が飛んだと思うと、突然青鬼の顔を回し蹴りした。青鬼は吹っ飛ぶと、壁に激突する。まるで少年漫画のような動きに、俺は固まった。今の動き、重力無視しすぎじゃない?いくら強くったって、壁に激突するほどの蹴りなんて普通無理だ。
「い、石姉?」
「凄いでしょ?ちょっと、今のかっこよくない?」
これが現実ではなくテレビの中だったら、かっこいいと思ったかもしれない。しかし俺の耳には、骨が砕ける音が確かに聞こえ、鳥肌が立った。
「か、かっこいいというか……今の何?」
「回し蹴りよ。回し蹴り。空手の技よ」
空手って、そんな凄い動きだっけ?
「これの……何処が空手だっ。我が眷属よ、我に従え。水糸!」
「ぎゃっ」
石姉が低い声で悲鳴を上げながら尻もちをついた。足首には透明な縄が絡まり、縄の先は青鬼が握っている。
「ちょっと。ヒールに傷がついたらどうしてくれるのよ!これ高かったんだから!!」
「ふん。ここで死んでしまえば、そのような事関係あるまい。第一、オカマのお前に似合って――」
ゴツっと鈍い音と共に、青鬼は顔面を地面に打ち付けた。その頭には、石姉の足がめり込んでいる。これはいわゆる、かかと落としじゃないだろうか。その後沈んだ頭に、ぐりぐりとヒールをつきたてる。めり込んでいく痛いたしい光景に、俺は目をそらした。
これは青鬼が悪い。
「やっだー。大きな害虫だと思って、とっさに踏んじゃったじゃない」
嘘だ。
さっきまで確かに会話していたはずなのに、害虫と間違えるはずがない。あれは絶対、言ってはいけない言葉を言ったからだ。俺も二の舞になりたくはないので、その事は黙っておく。雉も鳴かなければ撃たれまいに。
「殺すなって言ったのは、石華さんの方ですよ。ちゃんと、息の根は止めないで下さいね」
「分かっているわよ。ただちょっと、正義の鉄槌入れただけじゃない。ほら少年漫画なら、拳で語り合うって普通でしょ」
でもこれは漫画じゃなくて現実だ。しかも石姉は拳じゃなくて足で攻撃したよね。
そう思ったが、俺はなにも言えなかった。いや、何ていっていいか分からなかった。止めてと止めればいいのか、それとも――。
「おい、子泣き爺がのっかってたら、本当に死ぬ――」
俺の横を突風が走ったと思うと、犬兄が吹っ飛んだ。正確には、石姉の拳が犬兄の腹部にめり込み吹っ飛ぶ。
「犬兄?!」
「誰があんな腰蓑妖怪よ。あんなセンスないのと一緒にしないでよね。私は石の精霊よ」
俺は場違いなくらいいつも通りの石姉を見た。続いて虫の息状態の2人の鬼をみる。やり過ぎ感はあるが、これは俺を助けるためなのだと分かっていた。それなのに紅く染まった鬼を見て、いつも通りの皆を見て俺は思ってしまった。
怖いと――。
そしてそう思ってしまった自分に、俺は恐怖を感じた。