11章の2
「一郎!」
俺を呼ぶ声とともに、職員室の中へ突風がなだれ込む。煙とともにちりが舞い上がり、俺は慌てて目を閉じた。
「大丈夫か、一郎?!」
「犬……兄?」
うっすら目を開ければ、犬兄の姿があった。これ夢かなぁ……。犬兄の周りには、何故かピンクの花びらが舞っている。何だかメルヘンだ。
でも夢でも助けに来てくれるなんて、嬉しいかも。俺、本当に皆のこと好きだなぁ。
「意識はあるわね。だったら鬼姫様が煙を飛ばしている間に、早く逃げなさい!」
「僕らは、ちょっと用事を片づけたら行きますから」
この声は……。
「石姉?紅兄?」
「はいそうですよ。ちゃんと今度は助けを呼べましたね。良くできました」
よしよしと頭を撫ぜられた。
……あれ?これ、夢じゃない?
俺は慌てて体を起こしたが、同時に凄い頭痛が起こり、再びうずくまった。煙はなくなったのに、涙で目の前が歪む。
「何で……。それに、何、この花びら……」
「そんなの、いっちゃんが呼んだからに決まってるじゃない」
「花弁は、桜だ。鬼姫様が煙を散らしてくれているんだよ。ほら、出るぞ」
「えっ、鬼姫さん?何処?」
頭を押さえながら見渡したが、それらしき姿はない。
「あー、今はちょっと近づくのが困難だからな。桜並木のところから風を操ってくれてるんだ」
「困難?なん――」
何で?と言おうとして、爆音に俺の声は消し飛んだ。
頭が痛いのも忘れて慌ててそちらを見れば、職員室と校長室をつなぐ扉が、消し飛んでいる。というか、壁ごとぶち抜かれていると言う方が正しいだろうか。
そしてその向こうに見えるありえない光景に、俺は息をのんだ。
「派手にやってくれますね」
派手?いやいや。派手とか地味とかそういう問題じゃないし。
ぶち抜かれた壁の向こうに、大きな手があった。正確には絵画から巨大な腕が生えている。女性の手なのか毛深くはないが、爪が長く俺の顔ぐらいありそうだ。ネイルアートしたらさぞかし遣り甲斐があるだろう。
「これで我ら鬼一族の念願が果たされた」
「もう貴様らの事など恐ろしくはないぞ。我らが主が目覚めたのだからな」
メルヘンが一転して、ダークファンタジーだ。大きな手を挟むように赤髪の男と青髪の女が立っている。白い着物を着た二人の頭には角が生えており、さらに赤髪の男は目が一つ、青髪の女性には目が三つあった。いわゆる化け物と呼ばれるような姿だ。
ただ二人のセリフが、あまりに悪の幹部すぎて、俺は何とも言えないしょっぱい気分になる。ここってきっと怯えるべき場所なんだと分かっている。分かっているけれど、でもなぁ……。
「何であえて出てきちゃったの?」
腕が一本生えているだけって、たぶん復活としては失敗ぎみじゃないだろうか。なのに、何でそんなにドヤ顔。
「いっちゃんて、相変わらずこういう事に対しては肝が据わってるわよね」
「肝が据わってるんじゃなくて、たぶん驚きすぎてメーターが振り切れちゃってるんだと思うけど……」
煙がなくなったおかげか、喋るのが苦しくなくなった。
「鬼姫に復讐するためだ。お前らにはここで死んでもらう」
ぴきっと空気が凍ったと俺は思った。
というか、今鬼姫さんの名前出なかった?
「ねえ、今誰の事呼び捨てにしたのかしら?」
俺が動揺していると、背後から地獄の底でもはっているような、低い声で、おねえ言葉が聞こえた。その声にぞくぞくぞくと鳥肌が立つ。まだおねえ言葉だから、怒っていても理性が残っているのは分かるが、マジ怖い。
俺はできるだけ、石姉を視界に入れないようにした。尊敬しているし、好きだけど、怖いものは怖い。こんな事でトラウマを作りたくはない。
「さあ。僕も空耳を聞いたみたいです」
紅兄も怒ってるのかよ。いやいや、きっとこれは、絶対犬兄も怒ってる。俺の拙い想像力でも、瞬時に理解できた。
「鬼姫の事を呼び捨てにして何が悪い」
「アイツは主様の敵よ。敬意を払うわけがなかろう」
「だったら、真名を呼んでみろよ。小物がっ!!」
……俺、そっとこの場から退散したほうがいいのかな?どう考えても、俺邪魔じゃない?妖怪同士のいさかいの中にいる人間。少しは空気読めよと言われそうだ。というか自分で言いたい。空気読め。
でもどうやって空気を読めばいいんだ?
「えーっと、質問。……あの、何で、鬼姫さんが敵なんですか?」
すみません、結局空気をあえて読まなくて。
しかし俺は恐ろしい雰囲気に耐えられなくなって、できるだけ明るく質問してみた。視線が痛い。……これは空気読めではなく、俺が空気になっていた方が良かったかも。早まったかもしれない。
「鬼姫は実の母親である主様を封じる事に加担した、裏切り者だ」
「……母親?!」
律義に教えてくれてありがとうございます。でも聞きたくなかったです。それぐらいなら、悪役らしく問答無用で襲って欲しかった……いや、待って。無理。それ、俺だけ死亡フラグ。
それにしてもまさか鬼姫さんの親とは。ちなみに鬼姫さんは俺のご先祖様で、つまりその親もまたご先祖様。なんという感動のご対面。不気味すぎる上、なんか太くてでかい腕が自分のご先祖様だと思うと、世を儚みたくなった。
「それは彼女が復讐にとらわれた挙句、怨念をはき散らすからでしょう。自業自得だと思いません?鬼姫様は自身に降りかかる災厄をはらったまでの事。しかもそれが原因で、その数百年後には鬼姫様も桜の木の下で眠る事になったのですよ。実の母親ならば、娘に迷惑かけないで欲しいものです」
「それは人間が主様を陥れた所為だ。それなのに、人間などとちぎりを交わし鬼族を捨てるとは……」
……つまり、俺は彼らにとっては産まれるべき子孫ではなかったという事で。ぺらぺらしゃべってくれる事はありがたいが、どんどん俺の立場のヤバさが浮き彫りになってくる。
この鬼さんは人間が嫌いだし、さらに鬼姫さんが嫌い。俺は人間であり、鬼姫さんの子孫で、今は孫をやっている。
痙攣が止まってた俺は少しづつ後退した。たぶん俺、ここにいると足を引っ張って迷惑になるよね。イクさんから言われた、全力で逃げろの言葉が今更ながら頭の中でリピートされる。
「……所で、そこのお前は何処の鬼族の出だ?」
指を差された俺は自分が逃げるべきタイミングを完璧に逃している事を痛感した。イクさん、約束破ってごめんなさい。