1章の1
俺の家族は変わっている。
「紅兄、ご飯できたから」
扉の向こうからは返事なし。うん、いつも通り。
長男、紅夜は夜行性だ。仕事は何をしているかまでは知らないけれど、夜のお仕事。そのため、朝がとても弱い。
「紅兄、入るよ」
薄暗い部屋に入って、俺はまずカーテンを開けた。まぶしい光を受けて、ベッドの中身がもぞりと動く。
「紅兄。朝ご飯出来たけど、どうする?今日は紅兄の好きな赤飯にしたけど」
「……食べます」
低い声がベッドからしたと思うと、むくりとその体を起こした。薄茶色の髪が太陽の光で淡く光って見える。はっきり言って、男の俺の目からみてもイケメンだ。今は布団で隠れている足は日本人にあるまじく、すらりと長い。
「ちゃんととっておくから、後でも良いよ」
「いい……。食べます」
ただし残念なことに、紅兄はさみしがり屋で、朝起こしに来ないだけで拗ねる子供のような性格だ。その上抱きつき癖があって、起きぬけは手の届く範囲に入ってはいけない。一度抱きつかれたまま眠られて、遅刻したことがある。頼むから、女の人と勘違いしないでほしい。
でもそれさえ母性本能をくすぐられる女の人は多いので、早く彼女を作って、結婚することを願うばかりだ。
続いて俺は隣の部屋をノックした。
「石姉、起きてる?」
「おはよう、いっちゃん」
今度は素直に扉が開いて、中からゴージャスな美女がでてきた。まつ毛にマスカラまでつけてばっちりメイクをした美女は、石華。この家の次男だ。
そう彼女は男。ただし『おかま』とか言うと半殺しにされるので注意が必要だ。石姉いわく、女装は好きだが、心は女ではないそうで。つまり……良く分からないが、その格好で大学へ通っても誰もおかしいと言わないので、気にしないのが一番だろう。
「朝ご飯できたから」
「ありがとう、すぐ行くわ」
リビングの方へ行った石姉と別れた俺はさらに隣の部屋をノックする。
「犬兄、おはよう」
声をかけると、ガチャリと扉が開いた。そこから、茶髪の男が出てくる。耳にはピアスが空き、もしも彼が家族でなかったら、絶対声をかけないタイプだ。ギロリと切れ長の目で俺を見てくるのは、いまだになれなくてドキドキする。
「人間臭い」
「そ、そうかな?」
お前はどこのもののけ姫だよと心の中で突っ込みを入れて、曖昧に笑っておく。三男犬斗は匂いに敏感で、特に人の匂いが嫌いだそうだ。というか、人が嫌いといってもおかしくない。絵に描いたような不良だが、誰かとつるむ事もしない。たまに犬兄の子分を自称する高校生はいるが、それだけだ。
「えっと、後で消臭剤して――」
ぎゅうっと抱きしめられた俺は、一瞬思考が停止する。
「これでよし」
「……そう」
ぱっと離れられて、俺は肩を落とす。何がどう変わったか知らないが、満足そうなので何も言うべきではないだろう。それに出会った当初は凄く嫌われてた気がするので、良い傾向なんだと思う。……若干、これを誰かに見られたら、変なうわさ立てられるよなと思うけど。
「朝ご飯できているから食べてよ」
「おう。肉はあるか?」
「うん」
ベーコンだけど。
そう心の中で付け足す。彼は朝から焼き肉だって食べれるぐらいの肉食だ。流石に俺には真似できない。
俺はそれだけ言うと、階段を下りた。そして最後の一人を起こしに行く。
「鬼姫さん。ご飯の用意ができました」
「うむ」
偉そうな返事があってからすぐに、ふすまが開く。そこには、白い浴衣を着た美女が立っていた。
この方は、この家の長女……と言いたいところだが、長女ではない。また母親でもない。
「いつも言っておろう。妾の事は鬼婆と呼んでよいのじゃよ?」
「……結構です」
こんな美女を鬼婆なんて呼んだら、色々まずいだろう。というかそれ、絶対悪口だし。
だが婆というのはあながち間違えというわけでもない。鬼姫と呼ばれるこの美女は、なんの冗談か、この家の祖母的立場だった。年齢は不詳。以前一度聴いたら、千歳は超えたと冗談を言われたので、以来空気を呼んで聞いていない。
ちなみに、父と母は出張中だそうで、俺はまだ会ったことがなかった。
俺がこの個性豊かな面々の家に引き取られたのは半年前。図書館で自分の家に来いとわけのわからんことを言ったこの女性は俺の遠い親せきに当たるらしい。らしいというのは、俺も詳しくは知らないからだ。それでも引き取れたのだから、親戚には間違いないのだろう。
さらにこの家が変わっているのは、彼らの間には血縁関係がないそうだ。……はっきり言って、それって家族なのか?と思わなくもないが、家長である鬼姫さんがそういうのだからそれで間違いのだろう。かなり変わっているが。
「一郎、早く食べようぞ」
「はーい」
鬼姫さんに急かされ、俺はリビングの方へ向かう。そこには、赤飯、味噌汁、サラダにベーコンエッグというまずまずの朝ご飯が並んでいた。全部作ったの俺だけどね。
五歳のころから親戚中をたらい回しにされた俺は、生きていくためにまず家事を覚えた。家でできる事があれば、少しはマシな待遇を受けられたからだ。
その能力はここでも役に立ち、この腕のおかげでなんとかこの家でも受け入れられたという感じだ。
「いっちゃん、早く食べましょ」
「はい」
俺が椅子に座ると、全員が「いただきます」と声をそろえて合掌した。不良っぽい犬兄まで言うのだから本当に不思議な光景だと思う。
「いただきます」
俺もみんなに合わせて合掌すると、ご飯を食べ始める。
「あぁー、生き返るわぁ。いっちゃんの味噌汁はやっぱり最高ね。私じゃこうはいかないもの」
「そ、そうかなぁ」
「いっちゃんが女の子だったら、お嫁にしたのに」
「ははは」
石姉。それはいいすぎ。
喜ばれたり、褒められるのは好きだが、冗談でも女の子扱いは勘弁だ。俺だって男のプライドがある。
「今日は何で赤飯なんだよ。マジで兄貴が食べたいって言ったからか?」
「ああ。紅兄が食べたいって言ってたのはそうだけど、今日俺が中学校の入学式だから。ちょうどいいかなぁっと」
「「「「はぁ?!」」」」
突然ハモル合唱に、俺は目を瞬いた。
「何でもっと早く言ってくれないんですか?!」
「ちょっと、私着ていくものあったかしら?!」
「老人会の欠席を伝えないとのう」
「俺も、学校に連絡しないと」
バタバタと立ち上がるみんなを見て、俺は一瞬固まった。
「って、まって。まって。来なくていいから」
「何で?」
真顔で犬兄に聞かれて俺は返答に困る。何故って、普通そうだろ?
「あー、いや。だって中学校って誰でも入れるわけだし……。その、悪いじゃん?」
そもそも学校行事は、産んだ親の仕事であって、血のつながりがなければさほど大切なことではない。実際今までそんなもんだった。俺も迷惑をかけたくないし、それでいいと思っている。
「折角堂々とさぼれる口実できたんだからいいんだよ」
わしわしと俺の頭をかき混ぜるようになぜると、犬兄はそのまま行ってしまった。
「って、全然良くないよ?!」
そう叫んだが既にリビングには誰も居なかった。えっ、マジでみんな来るの?!