6章の1
洗濯ものを干しながら、俺は隣の家に飾られているこいのぼりを見上げた。
ああ。もうそんな季節か。
「柏餅買わないとなぁ」
紅兄の好物は小豆だから、外せない行事だ。
「助けれ下されぇ」
「えっ?」
「助けて下されぇ」
情けない声がこいのぼりから聞こえ俺は首をかしげた。普通こいのぼりは喋らない。しかし最近妖怪遭遇率が高い俺は素直に思った。
このこいのぼりは、まさか妖怪なのだろうか?と。
「そこじゃありませーん。もっと、上ですぞ」
「上?」
俺は順番にこいのぼりをみていく。
子供のこいのぼり、お母さんこいのぼり、お父さんこいのぼり、白い布。……白い布?
「あら、イッタンったら、最近見ないと思ったら、こいのぼりのバイト始めたのね」
「えっ?俺がこいのぼり?バイト?」
何の話?
縁側から出てきた石姉はこいのぼりをのんびりとした様子で見上げている。
「ああ。いっちゃんじゃなくて、イッタンよ。一旦木綿。あそこに引っかかっている褌みたいな白い布の事よ」
イッタンといっちゃん……良く似ている。本名は、一郎と一旦木綿だから、そこまで似ていないんだけど。しかしなんとなく親近感がわいた。
「姉さぁぁぁん、助けて下されぇ」
「あんた、最近来ないと思ったら、鬼太郎に媚売ってるそうじゃないの。その子に助けてもらうのね」
「姉さん。違いますぞ。その一旦木綿は、おいの又従兄で、おいは、姉さん一筋ですぞぉ!!」
……痴話げんか?
しかもイッタンの方が尻にひかれているのは、石姉の強気な発言からみる限り明らかだ。
「石姉……、とにかく降ろしてあげようよ」
そうでないと、凄く目立つ。
とはいえどうしたら降ろしてあげられるのか。イッタンがひっかかっている場所はとても高い。隣の家の人に頼むべきかと考えていると、強い風が吹いた。
「えっ。イッタン?!」
その風に白い布――イッタンが飛ばされていくのが見えた。屋根より高い位置なので、掴む事も出来ない。
「これで自由ですぞっ!!」
助けなければと思ったが、どうやら、問題はないようだ。元気に風に流されている。俺ならあそこから落ちたら脳みそトマトで間違えないのに、イッタンってば凄い。まあイッタンはペラペラなので、脳みそがそもそもないかもしれないけど。
くるくると空を舞っていたイッタンだったが、しばらくすると俺達の方へ飛んできた。
「いっちゃん殿。ありがとうございます。助かりましたぞ」
「えっ。俺は何もしていないけど……」
「それで、一体いまさら何の用?」
冷たい石姉の言葉に、イッタンはよろよろと地面に落ちた。そして地面に短い手をつくと小さな目からはぽろぽろと涙をこぼす。石姉は怒っているようだが……何だか可哀そうだ。
「イッタン、大丈夫?」
「い、いっちゃん殿ぉぉぉぉぉ」
俺はしゃがむと、おいおいと泣くイッタンの頭のあたりをなぜる。なんだか小さい子供のようだ。
「お、おいは、ここ一年、ず、ずっと、太平……ぐずっ。洋を、さ迷っており……おりましたぁぁぁああ」
「あっ」
何かに思いたたったらしい、石姉はぽんと手を打った。
「アンタ。まだ『楊貴妃の美貌の秘訣』を探してたの?」
「姉さんヒドイですぞ。おいを置いて、一人で先に帰るなんて」
「だって、その噂デマって分かったんだもの」
……もしかして、イッタンが泣いてるのって、石姉の所為?
この疑惑は間違っていないっぽい。石姉はしきりに目を泳がせている。しかしいまさら謝れないのか、無言が続く。石姉ってば結構意地っ張りだし、このままでは埒があかないだろう。
「イッタン、ごめんね。石姉が迷惑かけて」
「いっちゃん?!」
俺は石姉の代わりにイッタンに謝った。家族の失態は俺の失態だ。
「良いんですぞ。おいが好きでやった事ですから」
イッタン、健気だね。
一体何があって、太平洋をさ迷っていたのか分からないが、イッタンは愛の為にそれを水に流すらしい。ん?愛?
イッタンって、性別どっちだろ。言葉づかいからすると男な気がするが、みた限りどちらともとれない。ちなみに、石姉はモデル並みの美貌の持ち主だが男だ。今もタイトなスカートをはいているが、まぎれもない男だ。本人も日本男子を自称している。
「……イッタンって凄いね」
ペラペラのイッタンはきっと性別イッタンなので、気にしてはいけないのだろう。気にしたら負けだ。妖怪は人間の常識じゃ測れない事を、ここ一カ月で十分学んだ。
「それで、今日はなんの用なの?」
「それが少し妙な噂を聞きまして、鬼姫様にお伝えしたいと思ったんですぞ」
イッタンの表情が、少しだけきりっとした気がする。少なくとも、ぼろぼろ泣く事はなくなった。
石姉は腕組しながら見つめていたが、しばらくすると頷いた。
「分かったわ。あがりなさい」
「失礼しますぞ。ではいっちゃん殿、後ほど」
「えっ……あ、うん」
イッタンは俺の横をするりとすり抜け、石姉と一緒に家の中にはいて行った。……何だったんだろう。
それにしても、妖怪のお客様は珍しい。俺を気にしてなのか、それとも交流が少ないのか、俺は蛇に襲われて以来、新しい妖怪とは出会っていない。
俺は洗濯ものを全て干し終わると家の中に入った。イッタンの話は気になるが、石姉が庭で話させなかったという事は人間である俺はあまり聞かない方がいい話だろう。
「一郎君、ご苦労様」
洗濯かごを片づけていると、紅兄がやってきた。いつも通り妙な色香を放つイケメンは少し眠たげな様子で微笑んでいる。
「あっ、もしかしてこれからシャワー?ごめん、すぐ退くね」
「いえ。ただ少しの間、僕と石華と犬斗、それに鬼姫様は出かけますので、一言言っておこうと思って」
全員が一緒に出かけるのは珍しい。しかし俺はすぐにイッタンの件が関係してるんじゃないかとピンときた。だとしたら、下手に詮索しない方がいいだろう。
「いつ頃帰ってくる?お昼御飯必要なら用意しておくけど」
「いえ、お昼は必要ありませんが、夕飯はお願いします。ただ今後しばらくは3食いらない日も出てくるかと思いますが、その時は事前に言いますね」
3食いらないと言う事は帰ってこなかったりするのだろうか。
先ほどイッタンがやってきた件もあるし、妖怪関係で忙しいのだろう。だとしたら深くは聞いてはいけない気がする。俺は好奇心を抑えて、頷いた。
「そっか。分かったよ……あっ」
「どうかしましたか?」
これから先留守が増えるかも知れないという事を聞いて、今のうちに聞いておかなければならない事を思い出した。
「あのさ。今度の日曜日なんだけど、友達の良が家に遊びに来たいって言うんだけど駄目かな?」
「……うちにですか?」
「うん。駄目だったらいいんだ。ちゃんと断るし。えっと、来てもらうっていっても、極力俺の部屋だけに入ってもらうようにして皆には迷惑かけないようにするから……駄目かな?」
紅兄は固まっている。やはり妖怪の家に人間が出入りするのは難しいのだろうか。そもそも居候の身でありながら、友達を呼ぶなんて図々しいかな……。
ぐるぐると悩んでいると、この話を切り出した事すら後悔の念が湧く。
「あ、あの。本当に無理にじゃないから――」
「いいんですか?」
「えっ?」
逆に聞き返されて、キョトンとしてしまった。
良いのかを聞いているのは俺の方なんだけど。
「良はできたら家族を紹介して欲しいって言ってたから、できたら皆がいた方がいいけど。忙しいなら別に――」
「良いにきまってます!石華!!犬斗!!鬼姫さまぁぁぁっ!!」
普段めったに声を荒げない紅兄が、大声で皆を呼んでいるのを見て、俺はぎょっとした。どうしよう。……もしかして俺、とんでもない頼みごとしてしまったのかもしれない。