5章の2
「心臓に悪いので、こういう事は止めて下さいね」
しばらく固まっていた俺だったが、紅兄にぽんぽんと頭を叩かれてから、ようやく正常に動き出した。
「えっと、ご迷惑かけまし――ああああっ!!」
「何、いっちゃん?!」
「良達忘れてた。どうしよう」
俺がいきなり居なくなって驚いている事だろう。今ごろ、一生懸命探しているかもしれない。
「そんなの、紅に任せて帰るわよ。帰ったら家族会議なんだから」
「駄目だってっ!!」
思った以上に止める声が大きくなってしまった。紅兄と石姉が大きく目を見開いている。
「えっと、良達には、俺が誤魔化すから……だから、ごめん」
「それは僕たちが妖怪だからですか」
「……うん」
和栗さんと皆を合わせるわけにはいかない。すでに俺の周りを怪しんでいるのだ。イクさんは紅兄達は強いから大丈夫と言うが、実際にその強さを目の当たりにしたわけではない。
もしもお祓いをされて何かあったらと思うと、どうなるのか想像がつかないぶん余計に怖かった。和栗さんは良い妖怪とかそういうものに頓着しそうにない。
「とにかく、助けてくれた事は凄くありがたいけれど、皆には先に帰って欲しいんだ」
「駄目だ」
石姉の声は低かった。女言葉も忘れた声に、今度は俺がびくりとする。
怒っているのかとそろそろと見上げると、石姉は無表情だった。
「紅。ここは任せる」
「はい」
紅兄はいつも通りだ。笑顔だが、何だか怖い。
ドキドキと紅兄の顔を見ていると、ふっと体が浮いた。いや、俺は飛ぶ事は出来ないので、正確には持ち上げられただけだ。
「石姉?!」
「犬、行くぞ」
石姉はひょいと大きな犬の背に俺をのせると、自身もまたがる。犬は上を向いたかと思うと、大きく跳躍した。
「うわっ」
大きな振動と風に飛ばされないように、俺は長い毛に捕まる。上へ浮いたのだから次は落ちるはずだと
目を瞑ったが、最初の跳躍行こう大きな振動は感じられない。いつ落ちるんだろう。
そろりと目を開けた先にあったのは、空だけだった。
「えっ、飛んでる?!」
「そうよ。犬は犬神の一種だから、空を駆ける事が出来るの」
……薄々気がついてはいたが、どうやらこの大きな犬は、犬兄らしい。大きな姿は怖かったが、正体が犬兄だと分かると、怖さはなくなった。それどころか、毛並みがふかふかで気持ちがいい。俺は顔をうずめて毛並みを堪能する。
「……そういえば、石姉、また女ことばに戻っている」
「私も若いわねぇ。ちょっと、カッとなっちゃって。はしたない事をしたわ。でも良く考えたら、いっちゃんを責めるのも酷な話だって思ったの。怖がらせたならごめんね」
やっぱり、嘘をついた事を怒っているのだろうか。まだ何も買っていないので、コンビニに行ったといういいわけはきかない。そもそも、学校の屋上で見つかってしまったのだから、たとえジュースを買っていてもアウトだけど。
「……ごめんなさい」
「謝らなくてもいいわ。いっちゃんとは、まだ半年の付き合いだもの。妖怪の事を知ったのもほんの少し前だったんだし、まだ理解が追いついていないわよね。いっちゃんったら、凄く平然といているから忘れてたわ」
別に平然としていたわけではないんだけど。ただそんな事よりも、石姉が寂しそうな事の方が気になった。
「あ、あのね。別に俺、石姉達の事を信頼していないわけじゃないんだよ」
心配だけど、信頼していないわけではない。この半年間すごく良くしてもらって、俺は凄く楽しくて、どうしても皆の事を傷つけたくなかった。たった半年の付き合いだけど、俺はこの家族が好きで、壊したくないと思っている。
ぽんと頭の上に手がおかれた。
「解ってるわ。いっちゃんって、凄い良い子だから」
「えっと。俺……そんなに良い子じゃないよ?」
俺は自分の事をさほど手間はかからない子供だとは思っているが、良い子だとは思ってない。不良とは言わないが、本当に良い子ならば、親戚中をたらい回しなんかされなかっただろう。
「私が良い子って言ってるんだから、良い子でいいのよ」
のせられた手が、俺の髪をかき混ぜる。それが気持ちよくて、俺は目を細めた。
「……いっちゃんは、妖怪のことどう思ってる?怖い?」
犬兄の毛並みと、頭をなぜられる気持ちよさで、ぼんやりしながら俺は考えた。
先ほどの蛇は怖いか怖くないかで分ければ、怖いに決まっている。俺だって、死にたいわけじゃない。だけど、鬼姫さんや石姉、犬兄や紅兄は怖くない。むしろ今まで俺を引き取ってくれた人の方が、怖い人は多かった。
鬼姫さんの知り合いでもある、イクさんはまだよく分からないけれど、鬼姫さんの知り合いという事もあってか怖いとは思わない。りかちゃん人形は良く分からないし……。ああ、でも鏡は少しゾクリとした。でもよく分からない。
「まだ……よく分からないや」
色々考えてみたが、妖怪が怖いのか怖くないのかは、出会った数が少なすぎてまだ判断できない。人間だって怖い人もいれば、良達みたいに友達になれる奴もいる。長年付き合ってきた人間が怖いかどうかを聞かれたとしても、俺はまだ答えを出せないだろう。
「そう。ただねいっちゃんにとって、良い妖怪もいれば、怖い妖怪もいると思うの。だから妖怪を否定しないでね」
「……怖くてもいいの?」
否定しないでって、変な言い回しだ。
否定するも何も、妖怪である石姉は確かにここにいるのに。
「当たり前じゃない。身の危険を感じたら、ちゃんと怖がらなくちゃ駄目よ。妖怪の中には妖怪を食べるものもいるんだから」
「……ん」
段々睡魔が強くなっていく。起きなくちゃと思うのに、犬兄の毛並みから顔を上げる事が出来ない。
「疲れたんだわ。少し眠りなさい。落ちないように支えてあげるから」
「……う……ん」
石姉の好意に甘え、俺の意識はそのままずぶずぶと沈んだ。