とあるダンジョンからの脱出
文中にセクハラ表現があります。
‘とある’と付いていますが、やっぱり独立した話です。他との関連はありません。
そこは薄暗い場所だった。
仄かな光が足下を照らしてはいたが、見通しはあまり良くない。
慎重に一歩ずつ、階段を下りていく。
最後の一段を下りたところで、私は足を止めた。
目の前にはまっすぐ前に続く通路と、右に進む通路。さらに左手には下の階に続く階段。
目的の出口まであと2階。でも、だからと言ってこのまま階段を下りることはできない。……このダンジョンはそんな単純な構造でないことはよく知っている。
階段は、おそらく罠。私の、これまでの経験から培ってきた勘がそう告げている。
ならば真っ直ぐか、右か。
どちらの通路も弱い光が数メートル毎に足下を照らすのみ。今日は満月のはずだが、窓の無い通路に光は届かず、通路の先がどうなっているのか、本当に見通せない。
どちらかダミーの方は、進んだ先で行き止まりになっているはずである。しかし、行ってみて通れないなら戻れば良い、というわけにもいかないのが、ココの恐ろしいところ。
正しいルートを外れてうろうろしていると、警報が鳴ってしまうかもしれない。そうなったらアウト。しかし、かと言って同じ所で立ち止まっているわけにもいかない。
ぐずぐずしているとヤツが出てくるのだ。
ヤツには――あのダンジョンマスター(仮称)にだけは、捕まるわけにはいかない。捕まったら最後……。
そう考えると思わず背中に冷たいものが走る。
この手に握るのがどんな魔をも滅する聖剣であればどんなに心強いことか……そう思いながら左肩に掛けた鞄の紐を両手で握りしめ、意を決して私は右足を一歩踏み出そうとした。――その時。
「み〜かみさ〜ん、はっけ〜ん」
右の耳元に、低く囁かれた声。
「うっ」
口から漏れそうになった悲鳴は両手で押さえ込んだものの。
ぎゃあああぁぁぁぁーー!!でたぁーーーーー!!!
心の中の叫びは止まらなかった。
……私は三上静子、‘クリスマス’も過ぎた26歳――見た目で学生に間違われることも多いけど――が事務職の派遣社員として勤める会社は、一風変わった夜間警備の方法をとっている。
地上10階、地下3階の自社ビルのうち、2階から8階をオフィスエリアが占めており(ちなみに1階は玄関ロビーと警備室以外は独立したテナントで、地階は駐車場)、地上各階のレイアウトは基本的に共通。ほぼ正方形のフロアの四隅に階段。階段以外の窓際四方が事務室や会議室など。その内側に日の字形に通路があって、真ん中の一の字の上下に各3基、計6基のエレベーター。エレベーターの裏側の通路沿い、窓際とは反対側のスペースにトイレや更衣室等がある。
……どう見ても迷うような間取りではない。
それが、午後6時を過ぎると様相が一変してしまう。
エレベーターの自動運転が解除され、各階各所の防火シャッターがランダムに下りてきて内部を仕切ってしまい、迷路と化してしまうのである。……いや、ホントに。
この会社のさし当たっての終業時間は午後5時。残業等でビルを出るのが6時以降になる者はパソコンのシステムを使って事前にその旨を申請しなければならない。申請は所属の課長の承認を経て警備部へ連絡され、申請者の端末に退勤時のルートが伝達される。
退勤ルートへのアクセスは一回きりで、しかも毎日異なるという念の入れよう。
……いくら会社の主な商品が‘情報’だからって異常でしょ、これ。
考えてもみてほしい。4階の人間が1階の警備室脇の時間外出入り口へ行くのに、東階段から6階に上がり、北東、中央、南西通路を経て西階段から7階へ行き、北西通路から中央通路の1号エレベーターで3階へ、さらに北東、南東と通路を回り込み、5号エレベーターで2階へ……
……
…………
や っ て ら れ る か !
(ちなみにこれは、極めて珍しく私が1回だけ残業したときの‘脱出’ルートだった。)
誰だ、んな暇なこと考えるヤツって思うでしょ?
変態に違いないって思うでしょ?
そんな変態とお近づきになりたくないって思うでしょ!?
…………その変態が、ただいま私を捕獲中の警備主任サマでございます。
いぃぃやあぁぁぁぁー!
はぁなぁしぃてぇぇー!!
じたばたもがくけれど、142cmとただでさえ小柄な(チビ言うな!)私が頭二つ分も高い成人男性から抱え込まれると‘無駄なあがき’にしかならないという……。
ゼェ〜、ゼェ〜、………息が切れました。
……アレ?そういえばな〜ん〜で後ろから抱え上げられてるんでしょうか?
気がつけば、ぷにぷにお腹――ぽっちゃり体型で体重もしっかりさんじゅうもにょキロあるのです――に骨ばった手がふにょっと食い込んで、空腹な胃を刺激……イヤイヤ、ちょっと痛いかもなんですけど。足も地面に着いてなくてプラ〜ンな状態……。
さすが殿方、力お強いですね〜……じゃなくて、ここは相手の脛を蹴って逃げるトコロ?
思いついてはみたものの。
「蹴られても放しませんから、無駄な抵抗はやめましょうね〜?」
心の中を見透かされたかのような相手のセリフに敢えなく断念。
あうぅぅ〜。
おとなしくだらりと力を抜いて抱えられたまま、連行・尋問が始まるのを待つ。
ああ、またあのパイプ椅子で
「三上さん、我が社の業務規則理解されてます?」とか。
「これで何度目だと思ってるんですか?」とか。
嫌みとお説教を延々聞く羽目になるんだろうなぁ。
それを思うと、思わずはあ〜、とため息が……。
うぇ、息吐いたら主任の手がいっそうお腹に食い込んじゃいましたよ。
……ふにふに。
…………ふにふにふに。
「あの〜」
「なんですか?」
「どーして人のお腹もみもみしてらっしゃるんでしょーか?」
しかも両手で。
「いやぁ、あまりにも良い感触なので」
「ありがとうございます……う??」
あまりに堂々きっぱり言われてしまったので思わずお礼を言ってしまったけれど。
……あれ?それってお腹のゼイニクがスゴイってことデスヨ…ネ??
さらなるダメージを受けてガックリです。
ふにふにふに。
ふにふにふに。
……しかし、長いデスね、主任。
「すみません」
「なんでしょう?」
「そろそろ警備室に行かなくていいんですか?」
3階の階段で警備主任サマに後ろから抱え上げられてお腹揉まれ続けるのも飽きました。一仕事、いや二仕事して疲れているので早く帰ってご飯食べて寝たいです。さっきから刺激を受けているので尚更、空きっ腹と食欲が訴えかけてます。
「う〜ん、でも三上さん本当の事話してくれないでしょう?」
ぎくぅ。
「ナンノコトデショウカ」
「無届けで残っている理由ですよ」
「エ〜、ソレハデスネ〜」
「‘時計が止まっていて気づかなかった’、‘気分が悪くて保健室で横になっていた’、‘トイレの鍵が壊れて閉じこめられた’、‘休憩室でうたた寝した’、という理由はもう使えませんからね」
うおおっ、これまで使い回してきた言い訳が!
「……更衣室のロッカーの扉が――」
ならばと新たな手を繰り出してみたものの、
「ちなみに今回、全階のトイレ、更衣室、並びに保健室、休憩室、食堂にあなたが居なかったことは確認済みです」
絶対防御の壁に阻まれました。
「イヤ、デモ、ホラ、ワタクシゲンニココニイマスシ……」
抵抗を試みるも
「だからおかしいんですよねぇ」
お腹に回された手――いやもう腕?に力が込められ、さらに引き寄せられる。
うぇ、藪蛇?藪をどついちゃった!?
「いったい、どういうことなんでしょうかねぇ、三上さん?」
どうと言われましても言えません。
言えるわけないです。
異 世 界 行 っ て ま す ――――なんて。
月齢15.9の日の17時09分(午後5時09分)、私は召喚され、異世界へ行く。
なしてそーいうコトになったかは……まぁ、いろいろありまして割愛(察してください・泣)。
異世界行って何をするかというと、「天を支えるの柱の塔の宝珠への魔力の補充」というやつです――簡単に言えばだけど。
簡単じゃないのが、塔の中は迷路状になっていること、塔の上層階には結界が張られていて魔力の供給者しか進めないこと、結界の中にはガードマン代わりの魔物(中ボスクラス)が彷徨いていること、そして、私が剣や魔法が一切使えないこと。
……魔物さんを避けながら迷路を突破してゴール(宝珠)を目指すのである。勘も鍛えられるというものだ(ちなみに‘みっしょんくりあー’まで帰れない)。
しかし………
………こんなこと言ったら「なにこの人、頭オカシイんじゃないの?」って思われますよね?
アブナイ人と思われて仕事クビになっちゃいますよね!?
ただでさえ立場の弱い派遣なのに、悪評立ったら仕事無くなっちゃいます。そんなことになったら、私の野望――老後は限界集落に安く広い土地家屋をゲットしてラブリーわんこ&にゃんこに囲まれて晴耕雨読ライフ――がパーです。
召喚したその時間に帰してくれれば良いのに、法則がどーとか言って、17時09分召喚の19時09分帰還というのは変えられないとのこと。
終業時間が17時なのに、9分で机の上を片づけて制服を着替えてビルの外の人目のつかないところへ――光って消えるところを人に見られたら騒動になるからね――なんて、無理でしょ!
いっそ派遣先を変えてもらおうと派遣会社に相談したのだけれど、な〜ぜ〜か「人を変えるなら会社を変えるって言われちゃってねぇ、そうなると派遣先も減るわけだから紹介も難しくなると思うんだよねぇ」なんて言われてしまい、已む無くこの会社に居続けている次第。
……私が雇用主なら就業規則守れんような派遣とっとと変えるよ?
……しかし。
ふにふに。
ふにふにふに。
ホントに飽きないんでしょうか、この方。
セクハラ指摘しても良いのだが、就業規則破っている負い目もあるし。それに実はけっこう気持ち良いのですよ、コレ(イタ気持ちいいってやつ?)。脂肪揉み出し、みたいな?
とはいえ、年頃の女が30歳前後(見た目推定)の殿方にお腹揉まれているこの光景を第三者に見られても厄介なので。
「あのう、本当にいつまでそうしているおつもりでしょう?」
‘そろそろ止めませんか〜?’なニュアンスを含む質問をしてみる。
しかし、
「う〜ん、やっぱり女のコは柔らかいのが一番ですよね〜」
返ってきたのは質問の答えになっていない言葉。
「は?」
「今時のコってダイエットダイエットで痩せちゃってるしさ、美味しくないよね、アレ」
いや、そんな同意を求められても……。
「その点、三上さん柔らかくって美味しそうだよね」
いや、そんな美味しそうって言われましても……。
「手触りだけど赤身と脂肪のバランスが僕好みなんだよね」
ナンデスカその、まんま‘肉の品定め’なオコトバは。塔の魔物を連想しちゃうじゃないですか……はっ!!
もしや本当に魔物……?
いやいや、ナニ考えてるんだ、私!
突飛な考えを振り払おうと首をぶんぶん振っていると、
「まぁ、確かにいつまでもここに居るわけにはいきませんし……」
話題的には急転換ながら、ともあれ、ようやく移動する気になってくれたようです。
「……記念すべき7回目なので、上の僕の部屋に行きましょうか」
おいコラまていっ!!
心中のツッコミの激しさとは裏腹に、
「あの〜、下の警備室に行くのではないんでしょうか?」
あくまでも下手に出る私(何度も言うけどコチトラ立場の弱い派遣なんですよ!!)
「どうせならゆっくり味わえるところがいいじゃないですか」
いやいや、味わえるってなんか違うでしょ?
ってか、いくら人が小さい(屈辱!)からって小脇に抱えるのはどーかと思いますよ?
しかも軽々と?
……くっ、細く見えるくせして、さては隠れマッチョか!
「役目上10階に部屋をもらってるんで、そこでゆっくり堪能させてもらいますね」
私の体重などものともせずにスタスタ歩く足取りに、マジで冷や汗が……
最上階に棲家?
実はボス級?
いやいや、こっちに魔物はイナイイナイ……いない、ハズ。
「ほら、でももう遅いですし。私も帰って休みたいな〜、なんて」
万に一つの望みを込めて言っては見たものの
「使い心地の良い大きなベッドがありますよ、何なら一緒に使ってみますか?」
あっさりスルー。
寝心地じゃなく使い心地って何だよ!
「トンデモゴザイマセンツツシンデゴジタイサセテイタダキマス」
「そんなに警戒しなくったって、まだ喰ったりしませんから」
‘まだ’って何、‘まだ’って!いつか喰う気は満々か!?
‘ニッコリ’微笑んだって逆にコワイよ、肉食獣にしか見えないよ!!
事ここに至ってさすがに身の危険を感じ、改めて逃げようともがく。
命あっての物種、死んで花実が咲くものか!
たとえ派遣をクビになり人生設計を見直すことになろうとも、喰われてしまっては元も子もないのだ。
晴耕雨読のわんにゃんハーレム生活という人生の目標のため、私は戦う!遠回りに見えようとも、これはそのための戦略的撤退!!
しかし。
しかし。
そんな私の必死の抵抗も空しく。
‘やれやれ’と呟いた警備主任サマは、人を脇抱えから再度前抱きに抱えなおすと、後ろから耳元に
「そんなに今すぐ喰われたいんですか?月齢15.9の17時09分に失踪のみ・か・み・サン?」
と、これまで聞いたことの無いような、艶を含んだ声で囁きやがりクダサッタ。
ばれてる、ばれてマスヨ!
なにこのスキルっ!――くっ、このオトコ、ダンジョンマスターじゃなくて実は魔王だったとかいうオチ?
ぎゃーはなせこのまおーーー!!
あたしは村人Aだーーっ!!姫でもないのに攫ってどーするーー!!!
という私の叫び声と。
やっぱり三上さんは愉快ですねー、はっはっはー、とかなんとかふざけた笑い声が。
エレベーターホールに響き渡った後、連れ込まれた箱の中、自動扉に遮られて消えた。
⇒
Continue?
Game Over?
最後までお読みいただきありがとうございます。
自分で書いておきながら何ですが。
こんな職場あったらイヤですね。
只でさえ残業で疲れてるんだからとっとと帰りたいです。
相変わらずの莎月の妄想話でした。