五 『夜は巡りて』
「あ…あぁ…」
体から力が抜ける。体の温度を奪われるような異様な感覚。
「やめろっ…!」
ツェペシュの体が僕から離れた。
少女がツェペシュを殴り飛ばしたらしい。
力が入らない。そのまま地面に倒れ込む。
少女が僕の体を抱える。何かを言っている。
分からない。何も。
◇◇◇◇◇
目を覚ますとコンクリートの天井が見えた。
「何処だ…ここ」
起き上がって周りを見渡す。どうやら何かの廃墟らしい。
「目が覚めたか」
声の方向を見る。少女がいた。
そうだ。僕は。吸血鬼に血を――
「君が、助けてくれたのか」
「フン、あと数秒遅かったら死んでいる所だったな。せいぜい感謝しろよ」
言いながら僕の横に座り込む。
「えっと、まずはありがとう。色々と聞きたいことがあるんだけど…」
相当に困惑している状況なのだが、黙っていても埒が開かないだろう。
「貴様の質問に答える義務は全くないが、まあ聞くだけならタダだ。好きにしろ」
返答は、辛辣。
「あいつは、ツェペシュはどうなったんだ?」
「…奴は、始末した」
始末した。あっさりと言ってくれる。
ていうか答える義務はない、とか言いつつ普通に答えてくれるんだな。
「つまり、もう通り魔事件が起こることはないんだな」
「いや、お前の言う事件が何を指すかは知らないが、奴の食事の犠牲者のことを言っているなら、まだ続くぞ」
「…どういうことだよ」
問うと、少しばつが悪そうに少女は答えた。
「仕留めた、とは言ったがな。恐らくあれは本体ではない」
「本体…?あれは分身か何かだって言うのか」
「奴がコウモリの姿に変じる所はお前も見ただろう。あれは吸血鬼の持つ『変化』の能力だ。己の身体を別の何かに変じさせる。その延長として、身体の一部を使って分身を生み出したのだろう」
なんて常識外れな話だ。それをこうもあっさりと言ってくれるのだから笑えてくる。いや、実際に笑ったりはしないが。
「でも、ちょっと待てよ。なんであれが分身だなんて言えるんだ。見ただけで分かるものなのか?」
「私は以前にもあれと対峙したことがある。昨日戦った奴は、あまりに弱すぎるんだよ」
様子を見ていて、ツェペシュと彼女に面識があるのはまあ予測できていたので、驚かない。
だが、ちょっと待て。
「…昨日?」
廃墟の窓から外を見る。
「あの、どう見ても今は夜なんだけど…」
「ああ、丸一日眠っていたんだ、お前は」
おいおい。なんの冗談だそれは。行方不明だなんて騒ぎになってたりしないだろうな。
「…はあ。まあ、なるようにしかならないか。それで、また聞きたいんだけど」
「なんだ」
あっさりと返答する。さっきの物言いは何だったのだろうか。案外、素直じゃないだけなのかもしれない。
「どうして、僕を助けてくれたんだ?」
少女は少し黙って、それから口を開いた。
「あれの狙いは、もともと私だ。巻き添えで人が死ぬのは気分が悪い。それだけだ」
「…そうか」
やはり、彼女は素直ではないのだろう。彼女が僕を救ってくれたのは純粋な優しさのように思えた。
「最後に、君のことについて聞きたいんだけど」
命を救ってもらった身分なのだから、本来始めに聞くべきだったのだろうが。
「…私の名は、リリン。リリン・ブランディオだ。」
彼女が答える。
そして僕は、決定的な問いをぶつける。彼女についての質問を最後にした理由。
「君は、吸血鬼なのか?」