魔人の契約
連載二作目です。
思いついた勢いではじめましたが、楽しんで頂ければ幸いです。
寝ているところで警報が鳴ったら、飛び起きて逃げるべきだ。しかし、女性の愚痴は、意見は言わずに黙って付き合った方が良い。そう教わったが、これはどうしたら良いのか。
ぬるい温泉の中で目を開いた。滴る水の音と湿った苔が美しい洞窟の最奥で温泉は青白く光り、濡れた服はぬくもりを残し張り付いている。横になり過ぎて体がこわばるし、起きるか。立ち上がれば水音が洞窟内を響き渡り、大きな空間の出口は見上げるほど大きな岩で閉ざされている。その岩の向こう側から、声がした。
「くそ婚約者が、海底タワーから二度と帰って来るなあぁ!!」
洞窟の入り口で、女性が婚約者の不満を叫び続けていた。ぼんやりとした意識に突き刺さり、たまに大きな音と共に洞窟の中が震えて、温泉に揺られることも出来ない。
「なにが、おしとやかな子が良い、よ!自分より強い女が嫌いなだけでしょうが!!」
叫びに合わせて上から小石が落ちてくる。洞窟が崩れそうだ。大岩の向こう正面にある苔の山を崩して、岩の中から濃紺の金属の箱を引っ張り上げた。縦長の箱にへばりついた苔と泥をはらって背負うと、また洞窟が揺れた。
「箸も握れない?!繊細さがない?!無用な握力があって、悪かったわね!気遣いも出来ないお前の方が、無神経の大馬鹿でしょうよ!!」
なにかが弾ける音も加わる。石を砕いたな。揺れと音が二度三度と続くので、細かく叩き壊している。落ちてきた小石をはらいながら、揺れる温泉の中を進み、出口をふさぐ大岩の前で頭をかいた。
「封印場所は願いを言って欲しいンだけどな」
私の声は、岩を砕く轟音でかき消された。
私ことアカギロンは、魔人である。願いをかなえるとか、人をそそのかすとか言われているが、元は地球を救った数多の英雄のひとりである。旧日本戦士の中で、かなり戦果をあげた方だ。外国でも土木系の仕事、運河を一撃で作ったこともある。
戦争を生き抜いた私たちは、残された社会では強すぎた。社会の歯車に組み込まれてしまった友人たちと別れて、それぞれが故郷に封印された。しかし、人は勝手なもので、二度目の戦争に駆り出される。戦争が終われば、またしても封印される事になった。
少数の暇つぶしの為に、大多数の人生を壊す行為を、何度でも繰り返す事になる。戦争はたくさん経験した。やりたくない。あと、飯が不味くなる。その点は、本当に不快だ。友人たちと画策し、人を守るが不義理を働けば天災を起こす存在と流布し封印された。
しかし、寝転がれば思ってしまう。めっちゃ、ひま。ちょうぜつ、ひま。することがない。
眠ることも不要な身体では、戦闘の修練をするしかなかった。戦う技能に人生の半分をつぎ込んだ馬鹿と笑われた私は恵まれていて、生きているだけで苦行にしかならない友人もいたし、社会の欠かせない機能になってしまった友人たちは忙殺されている。何もしていないことが、むずがゆかった。そして思いつく修練をこの洞窟で行ってきた。
封印されて人生の九割を修練に費やした頃になって、友人のひとりがやってきた。外に出られる扉、魔法陣を作った、と。
魔法陣を使って数多くの友人と再会した。勝手に出歩く背徳感に抗えなかった。外で人と触れ合うほどに、平和な世界の異物と実感して罪悪感も湧く。しかし、外の涼やかな空気を肺に取り込む爽快さは、手放しがたい。私も勝手な人だった。
そこで人の願いをかなえる代わりに対価を頂く悪魔になぞらえて、世の人々に呼び出してもらえば良い。やりたくない願いには、対価が足りないと断ればいいのだ。精神の安定と暇つぶしを求めて、願いを叶える魔人となったのだった。
その魔人の封印場所は、有名なはずである。そうなるように仕組んでもらったはずだ。なのに、
「ふざけんな、クズ野郎がぁああぁ!!」
どこかのお嬢さんが封印を壊しそうな勢いで洞窟ゆらしている。崩落しかねない衝撃は、直下地震以来だ。荒れ狂う声と衝撃に耐えられる足腰はあるが、大岩そばの壁に背中を預けた。崩れたとして、楽には死ねない身なのだ。無酸素に放射線過多な宇宙でも五日は生きられる。むしろ鼻に温泉が入る方が痛くて嫌だ。
私の封印を解くために壊している訳じゃないなら、女性に気付かれないよう息をひそめよう。しかし、いつまでも収まらない女性の憤慨に、あくびをしてしまった。
「難儀だ」
そこに破裂音がする。とっさに曲げた首のそばには、錆赤の爪紅で彩られた白い左手が生えていた。ふり向けば後ろの壁にひびが入っている。
「誰かいるの」
地を這う声に、目を伏せた。やってしまった。存在を知られたなら魔人として答えなければならない。立ち上がって努めて丁寧に、生えた左手にお辞儀した。
「初めまして、私はロン。轟雷の魔人と言えば、伝わりますか。ここに封印されています」
知らないから叫び暴れているのだろう。しかし魔人を怖いと思って帰ってくれれば、洞窟は崩落しないし封印も解かれない。女性の帰宅を念じると、生えた左手が引っ込む。
「聞いていたのね」
「ええ、まあ」
地を這う声に、温泉で緩んだ体が冷えていった。この雰囲気は、怒りが私の方向にむいたぞ。洞窟に開いた小さな穴から風が通り抜けて寒く感じるだけ、と言い切るには空気が重い。沈黙を破れずにいれば、叫び声が響く。
「ふざけんじゃないわよ!」
そして隣の大岩が砕けた。細かい小石と粉塵が全身に激突する。咳を数回して顔をあげれば、大岩と洞窟の壁が吹き飛び、光が差し込んでいた。その粉塵の中、左足を上げた人が立っている。顔や姿はよく見えない。
存在を認知された状態で、封印を解かれた。願いを聴くまで封印されなおすことも出来ないぞ。まずは契約主になるかもしれない淑女とお目通りだ。粉塵が降りるまで待とうとしたら、逆光の人が洞窟の温泉に踏み込んできて、砂と温泉で泥まみれの胸倉をつかまれた。相手は私より背が低いのに、足が浮いた。
「人様の悪口を聞いた、ですって……?」
背中の箱、百キロあるが、握力をけなされるだけの腕力があるらしい。感心していたら、背後の壁に向かって投げ飛ばされた。スゴイな、戦時中なら投擲部隊に採用したい。瞬間、友人の言葉を思い出す。
怒れる女性の暴力は受け流しては駄目。そのまま、受け止める。回避なんてもってのほか。強いなら、出来るでしょう?
空中で回転して壁に着地しかけたのを止めて、背中からぶつかった。受け身は取ったが、頭上から岩がふってきた。避けるか迷って、教え通りに何もしていない様に、顔面は避けて後頭部で受けようとして、首に激突した。あ、首が楽になった。もうちょっと体を動かさないと身体が硬いな。
しかし、このまま女性の為すがままでいいのか?助言は求められてからじゃないと駄目で……私はどうしたら良い?!私の心の叫びに、女性の声が重なった。
「どうしてくれるのよ!不幸になるじゃない!!」
人をけなすことが不幸に繋がる、徳の高い考え方だ。何度目かの感心を女性に向けていたら、彼女の膝が崩れた。
「うぅうぅ……!!もうだめ……呪われる、あのクズに呪われる……」
「お相手は環境操作系なのですか」
首をさすって温泉の中におりる。頭を抱えた彼女に近寄って、そばに膝をついた。
女性は緋色に金の輝きをおびた癖のある長髪を結い上げ、袖なしの黒の詰め襟に、スリットの入ったスカートをはいている。スリットからタイツと厚底のブーツが見えて、腰からのびる冷え固まった溶岩が地面を叩いていた。尻尾だろう、立ったら地面に付かないほどの長さだ。脚と腕は筋肉質で、水抜きをすればキレのある筋肉が顔を出すはずだ。作っているというより、自然にこうなったという肉体の美しさがあった。そして膝をついてもなお、立ち上がる存在感と覇気がある。彼女が脚を振り下ろせば、弾道ミサイルの方向も変えられそうだ。
こんな美人に面と向かって悪く言う胆力のある男が婚約者なのか。精神がこれ以上折れない程に屈折した人、と想像すれば彼女の暴言も納得できた。
綺麗な両手で顔を隠すそばに、耳たぶに桃色の石をはめた金のピアスを見つけた。そこに嫌な雰囲気を覚える。
「レディ、質問をして良いでしょうか」
「な、によぉ……」
「このピアスは、貴方のいうところのクズから貰った物で?」
問いかけに、女性の両手の隙間から瞳が見えた。錆赤の奥に金が見える目が、どうしてと言っていた。予感は当たっていたらしい。
「これには、特定の機械に所在地を知らせ、周囲の音声を聞くことが出来る機能があります。誰がそばに居ようと、ひとりであろうと、これを付けていれば、お相手に筒抜けです」
女性はそっと耳のピアスに触れると、ピアスは砕けて地面に転がった。桃色の石を拾い上げて手のひらに転がす。嫌な雰囲気が消えた。お相手は証拠隠滅を図ったらしい。石を女性に差し出した。
「……随分と執着を拗らせたお相手の様ですね」
「いらない、いらないわ!」
「無くしたと言いがかりをつけられても、面倒でしょう?呪法の類はもう無いから、持っておきなさい」
嫌そうに両手をふる女性の手を捕まえて、傷のない美しい手のひらに石をおとす。盗聴器の部品を持ちたくなくても、自衛のためにも持っておくべきだ。手を包んで指を丁寧におれば、女性の手が震えた。怖がらせたか?ちらりと女性をうかがうと、涙を滲ませた目で見てきていた。
「怖くないの?」
なにを怖がれと言うのだろうか。人の機嫌を損ねないという点では、細心の注意を払わねばならないという怖さがある。けれど、女性はそんなことを訊ねている訳ではないことは分かった。彼女は自身の胸を指さして言った。
「私のこと、怖くない?」
ふと、目の前の美人に、幼い子供の面影があった。片方の拳を正座した膝の上にのせているのに、すがろうと手を伸ばしているように見えた。数度まばたきをして、笑ってみせた。
「怖くないです」
彼女は、素晴らしい鍛え方をしている。それでも、友人たちには及ばない。服や振る舞いに強さが前面に出ていて、近寄るなとけん制している健気さと優しさがある。怖さなどない。不思議に思いつつも心の内を言葉にすれば、女性は上目遣いで確かめた。
「本当に?」
「私は魔人ですよ。怖い相手は何人もいますが、貴方は愛らしい女の子にしか見えないですね」
よくないと解っても、女性の頭を二回、撫でた。触れるだけに収めたので、髪が乱れると怒られる可能性は少ないはず。手を収めて女性の眼差しに微笑みで答えていたら、頬をかすかに赤くして顔をそらされた。
「あ、ありがとう、ございます」
「どういたしまして」
なにに感謝されているか解らないが、感謝は受け取っておいた。さて、今度は私の問題を片付けよう。
「ところで、願い事はありますか?魔人の封印を解いた貴方には、この質問には答えてもらわねば困りまってしまいます」
封印を解いた本人に願い事を言ってもらえないと、願いを聴くまで彼女に付きまとうことになる。どんなに簡単な願いでも断ろうと決めたら、女性はそっと言った。
「りょうり……」
「ん?」
聞き逃した訳ではない。理解が出来なくて首をかしげると、女性は顔を真っ赤にして言った。
「料理を教えて……!」
瞬間、辺りが真っ白になった。世界に色が戻ってくると、私と女性の左手の小指の付け根に淡く輝く入れ墨の環が現れていた。あふれる疑問の言葉を呑み込んで、眉の間にしわを作って首を傾げた。
「なんで?」
願いは聞き届けられた。そう言い張るように、刺青の光は消えた。
大岩が抜けて見えた景色は、暗い洞窟から草木が生える平原に変わっていた。東京のずっと西の山奥にできた洞窟のはずが、周囲がくりぬかれて、さながらカルデラである。淀んだ空からは雨が降ってきて、風が平原を波立たせていた。
女性は迎えが来ると言うので、洞窟の入り口で雨宿りすることになった。泥にまみれた服を着たまますすいで、座って乾燥待ちである。無言は嫌なのか、女性は私のことばかりを訊ねてきて、話を切り出し難い。かわりに社会との断絶の長さを知った。
「本当に、守様なのね」
魔人としての役割の話や過去の戦争をぼかして言えば、魔人はその土地を護る超常存在と伝えられていると知った。西暦を訊ねれば、二回目の戦争終結から五百年以上も経っている。前回の契約から二百年も封印場所に居たことになるのだ。ずいぶん未来にきてしまった。
日本らしいお国柄も残っていたようで、鬼と似た存在として天変地異を起こさないように祀り。私の封印場所には「この山を崩してはならない」という言い伝えもあるそうだ。
たとえ祀られる存在でも、女性には丁寧に接するべき。敬語で話そうとしたら「守様は堂々とすべきでしょう」と恐縮されたので、お互いに砕けた言葉で話す事になった。
女性の言葉は何処か綺麗さが残る。代わりに腕と行動は荒い。言い伝えがあるのに石を砕くのだから、鬱憤を晴らしたかったのだろう。割れた石を拾い上げると、女性は肩を上げて目を瞑り、そっぽを向いた。
「失礼ね!山は崩してないわ!壊したのは、大きな岩だけよ!」
とがめるつもりはない。少し話しただけでも見え隠れする女性の子供らしさに、思わず微笑んでしまった。だが、このままでは契約解除も出来ない。女性が話し始める前に話題を切り出した。
「それで、どうして料理を教えてほしいと願った」
魔人として願われた以上は理由と対価を聞かねばならない。まだ対価を提示されていないので、仮契約のままだ。戦争など関わりない気楽な願いごとだから、対価次第で受けてもいい。ただ、理由は知っておきたかった。軽く訊ねれば、勢いはしぼんで女性は顔をそらしたままうつむいた。
「私の家系は、薬屋なの」
「ほう」
薬屋とは、戦争直後の治療班か商人あたりの家系か。旧時代の薬剤師というような国家資格のことではないはず。興味ありげに反応したせいか、女性は肘を手で包んだ。
「なのに、怪力で生まれて……物を壊すし……たくさん迷惑をかけたわ」
壊すと言ったとき、腕が震えていた。物以外にも壊してしまったのか。「そうなのか」と曖昧な反応をすれば、女性は続けた。
「これ以上、迷惑はかけられないもの。独り立ちしたいの。……その条件が」
「料理なのか」
続く答えを口にすれば、女性は小さく頷いた。
「条件を出したのは誰だ?」
「お母様よ。料理が出来れば、生きていけるって。お母様は、応援してくれるの」
こちらを向いた微笑みは眩しい。頷き返すと、彼女は眩しい笑みを消して、ため息をついた。
「でも、クソ親父が結婚しろと、うるさいのよ。婚約者まで付けられたけど……気持ち悪くて、会食を逃げてきたわ」
彼女の言い分を聞いただけでは、結婚相手は相当なストーカーか盗聴好き。肩をさすった彼女は心から気分が悪そうだ。加えて親心の気持ちも女性には届いていないか、嫌な父親なのかもしれない。同情の視線を広い平原に向けると、女性は私の視界の中に入り込んで言った。
「だから、教えて」
強さのある眼と固い思いの表情に、頭をかいた。
女性はいいところのご家庭にいるのだろう。婚約者を選ぶほど血筋を重んじているか、政を任されている一族かもしれない。
それなのに彼女の母親は、料理を出来る事を独り立ちの条件に据えた。将来の金銭の不都合を見たことがない箱入りかもしれないが、そんな人物は自炊を条件にすることすら思いつかないだろう。そして、自炊の条件さえ満たせば、女性自身も問題ないと確信している。どうにも不可解な点が多すぎる。
「他のことを願うこともできたはずだ」
魔人は古い時代の悪魔と同様に、対価を受け取って人の願いを叶える。億万長者は私の能力からして難しいが、他のことはおおよそ出来るのだ。
「支配者になりたい、不老不死になりたい、気に入らない奴を蒸発させるとか、幾らでも君の不都合を掃える。わざわざ教えずとも、一瞬で出来るようにしろと言えばいいじゃないか」
どうしてと訊いたら、女性は膝を抱えて取り澄ました様子で言った。
「守様にそんな悪いお願いをしたら、お母様に怒られてしまうわ。それに対価を用意できると思えないもの」
前回の契約者とは異なり過ぎて、気が抜けてしまった。対価が必須であることを理解したうえで頼んだのか、彼女の経験から、そうさせたのか。母親が大好きなことはわかったが、母親以外の大人が信用ならないようにも聞こえた。
複雑で簡単そうな家庭事情を考えて、止めた。契約者の人間関係は、本人が対処すべきこと。魔人は、契約が破綻しないように工夫するだけだ。
そう考えた所で、ふと笑ってしまった。思いのほか、この契約に乗り気らしい。料理が関わっているからかな。口から息を吐いて、私なりの不敵な笑みを作ってみせた。
「私の料理は、粗野で雑で、この上なく簡単だ。君の口に合わないかもしれない。それでもいいのか?」
「人を食べるとか、言い出さないなら、いいわよ」
よかった。今は戦時中でもないし、彼女自身が貧困に苦しんでいる訳でもなさそうだ。笑みを深めて、契約の詳細を訊ねる。
「料理の教鞭をとるとして、契約の終了は、君自身が君の口にあう料理を作れるようになったら、とする。異論ないな?」
「ええ。お願いするわ」
「では、対価は何をはらう」
目を細めると、女性は口をつぐむ。顎に指をあてて暫くしてから、彼女は首を傾げた。
「……対価は、そちらが要求することじゃないの?」
「願いと対価を天秤にかける訳じゃない。君を計るために訊いている」
見合わない対価を言った途端に帰る友人もいるが、私は契約者の切実さを聴いてから判断したい。かといって、変なことを言い出したら却下する。特に結婚とか、付き合って下さいとか、断固拒否する。
遠いとはいえ、友人の子孫に手を出したら殺されるからだ。彼女の系譜は、儂を倒さないと嫁には出さないとか言い出して、戦いたいだけのアイツだ。絶対にそう。相性が滅茶苦茶悪いし、喧嘩を吹っ掛けられたら脚の一本を覚悟しないといけない。右足が吹き飛ぶ想像までして、吐き気と目眩がした。笑顔を崩さないように頬杖をついて、女性の提案を待った。
「確認したいのだけど……教えを受けない時は、貴方は何処にいるの?私と一緒に行動するのかしら」
「通話できる道具を渡すから、それで呼び出してくれればいい」
質問に肩をすくめる。男が付きまとうのは嫌だろうし、電波通信は得意だからな。気にするなと言えば、彼女は真面目そうな顔になった。
「外野で生活をするの?せめてタワーに居て欲しいわ」
「タワー外の市街地でいいだろ」
彼女は安全地帯、タワーの住民らしい。タワーは戦争の時に防衛をする為の避難区域のことだ。とても広く、高度が五キロほどの塔があるからタワーと呼ぶが、二百年経っても健在なのか。タワーの住民になるためには莫大な金額を出す必要があるので、私は入ったことはあっても住んだことはない。ここに来てくれているから、彼女が外野に来る方が早いだろう。外野で生活するつもりでいると、彼女はさらりと言った。
「タワーでの衣食住を保証すると言うのは、いかがかしら」
「興味がない」
ばっさりと言い切れば、女性はうつむいた。タワーは安全地帯であるがゆえに、武装に関して制限がある。警備隊なら多少の許可は出るが、根っからの戦闘屋の私が足を入れるには、多大な手加減を求められるはずだ。タワー内の生活は褒賞というより罰ゲームである。あと、食事が不味い思い出しかない。
「タワーに居てくれると、都合が良いのよね……」
どうしても私をタワーの中に入れたいらしい。だが、言葉は続かず、私の方からも提案を促した。
「タワーにどうしても居てほしいと思うなら、それなりのメリットを提示してくれ」
「そうね……なになら良いのかしら……」
魔法陣で魔人を呼び出す時には、本を解読する。好みの傾向とかも記されていて対価の提示は簡単だが、岩を粉々にした女性には知る由もない。ここまで悩むという事は、女性にとって大切な願いなのだと理解できた。ため息をひとつ、長く吐いた。
「そこまで悩むなら、私から条件を提示する。条件は全て呑んでもらおう。実現しなければ、強制解約だ」
女性はまばたきをゆっくりとしてから、大きく頷いた。
「料理を教えるときの材料機材および調理場所の確保、それらの準備に必要な資金調達、タワー内での私の武装許可、タワー外への自由移動の権利、住居の提供および指定した衣食住に必要な物品と権利の確保、教鞭をとる時間以外の職の提供、あとは毎日湯船に入りたい、自室に調理場が欲しい、味噌汁が飲みたい……条件の細かい内容は、その時々で私が変更できるとする」
まとめれば、タワーの中で仕事と住居と服と食事の資金提供をしてもらう。最後のみっつは、私の願望だ。最近は温泉に浸かるだけだったし、久しぶりに味噌汁が飲みたい。出来そうかと女性を覗き込めば、彼女の眉尻が下がっていた。
「味噌が欲しいと言われるとは、思わなかったわ」
「大事だからな」
私は炊き立ての白米より味噌汁派だ。世界の終わりに食べるなら、味噌汁と答える。提案した以上は譲れない。返答を待てば、女性は眉間と瞼をきつく寄せてから、ぱっとこちらを見た。
「そうよ、私の教師兼護衛になればいいわ!」
「え」
護衛と言えば、面倒の極みかつ自由行動を許されない仕事じゃないか。難色を示すと、女性は地面に手をついて詰め寄ってきた。
「あなたみたいに強すぎる人は、タワーでお仕事を探すのは難しいと思うの。私でも職探しは難航しそうだし、私を止める監視と護衛としてクソ親父に認めてもらえれば、私の資金から給金を出せる。自由移動の権利は、前日までに報告してくれれば問題ないわ」
名案を思い付いたと目が輝いている。言っていることは私の条件に合っているが、どうにも了承できなかった。
護衛はどこの誰とも知らない新入りが任される仕事じゃない。特に家柄が良いほどに護衛は要求が高く、新参は邪険にされる。護衛が択として上がるほどの家柄だとしても、易々と雇えるものじゃない。先に雇われた護衛の面々にも失礼な提案だと、わかっていないのか。動揺と不安を知らずに、女性は続けた。
「服もお風呂も、お味噌も用意するわ!お味噌は私の家しか売れないもの!」
「そうなの?」
「お味噌は高級な薬。私の家は薬屋であり、味噌を作っているわ。他にも味噌を作っている蔵があるけれど、どこも分家よ」
あまりの衝撃に、身体に雷が落ちた錯覚を覚えた。味噌が高級品で、薬だと?侵略大戦以前でも、お酒のように長期発酵させるのに安すぎると、海外の人に言われているとは聞いた。戦時中は高値で取引された事もあったが、味噌が薬品扱いされているのは理解しがたい。
胸を張る女性に唖然としていたら、居直った彼女が両の中指と人差し指を小石まみれの地面につけて頭を下げた。
「お願いします。料理が出来るように、教えて下さい」
無駄のない、小さな動き。彼女の所作の端々に見える甘味に、私は微かに酔って息を吐いた。これ以上は、意地悪だな。不都合は私がどうにかすればいいのだ。諦めよう。
「まったく……しょうがない。その願い、叶えてあげよう」
左手を差し出す。握手で契約成立だ。女性も顔を上げて、一度ためらってから私の左手を握ろうとして握ってこない。強く見せかけて、本当に繊細な子だ。震える女性の手のひらに触れて、固く握った。
再び小指から光が漏れて、すぐに収まる。入れ墨は形を成して、青色の金属の指輪が指に納まっていた。指輪には金糸が覗く赤い石が台座にのせられ、艶やかな照りが女性の瞳そのままだ。互いの眼、魔力の色が反映される。女性は彼女の手に現れた指輪を見上げて、喉を鳴らした。
「……あなた、綺麗な眼ね」
彼女の小指には、黒に見える紺の石を台座にのせた赤い指輪がある。私の眼は友人に不評なので、首をかしげた。
「君の方が、綺麗だろ」
「な、美人がお世辞を言うものじゃないわ!それに、お化粧をしても目の色はごまかせないでしょ!」
一般日本男児だから、美人はない。腕を組んでそっぽを向く女性にもう一度首をかしげて、思い出した。
名前をきいてない。しかし、話し始めた女性の言葉を遮るのは憚られて、彼女の話に耳を傾けた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
次話は制作中です。2026.5.29




