第8章 拠点を作らなかった男
決断したからといって、すぐに動けるわけじゃない。
俺は村の一番端にある家に入り、床に腰を下ろした。
夕方の光が、割れた障子越しに差し込んでくる。
今は季節的に冬の終わりで、これから春に向かう頃だ。
田舎の山中ではあるが、壁と屋根があるだけで思ったほど寒くはない。
隙間風さえふさげば、まだ十分に生きていける気温だった。
……拠点、か。
正直に言えば、俺は今まで一度も拠点を作ったことがない。
まあ、ほとんど人が作ったことは無いんだが・・
拠点と呼べるかは微妙だが、民間人が作った簡易的な避難施設に泊まったことは何度かある。
一晩をしのいだこともある。
だが、そこに居着くと決めたことはなかった。
理由は単純だ。
拠点は、重い。
守るものが増える。
物資の確保が必要になる。
生活することで音が増え、匂いが増える。
そして何より――逃げにくくなる。
常に身軽に動いていれば、危なくなったら捨てられる。
だが拠点は違う。
そこに生活の基盤を置くので、おいそれと捨て行くわけにも行かない。
また俺の性格上、自分の手で一から作ったものは、そう簡単に捨てられない。
小学生の頃の工作物も実家には沢山あったな・・・
……それに、俺は一度、痛いほど学んでいる。
思い出したくもない記憶が、勝手に浮かんでくる。
アウトブレイクが始まった、最初の冬。
まだ人も多く、警察や政府がギリギリ機能していた頃。
避難所に、生存者同士が集まって暮らしていた時期だ。
「ここなら大丈夫だ」と、誰かが言った。
「この騒ぎが収まれば、普通の生活に戻れる」と、皆が信じたがっていた。
――だが、滅びた。
始まりは単純な油断と判断の遅れだった。
避難所で起きたアウトブレイク。
それを招き入れたのは、軍だった。
多くの避難民が流れ込んでいたあの場所で、誰も感染者を見抜けなかった。
だが、あの時は軍や警察、避難所の人間もただ救うことに必死だったのだろう。
一人ひとり疑って見て回る余裕など、あるはずもなかった。
これがアメリカとかだったら違う結末だったかもしれないけど・・
そして、夜-----
一人が発症した。
そこから先は、凄まじいパニックだった。
俺はなんとか避難所を抜け出した。
だが、外から見た避難所は――まさに惨劇だった。
感染で混乱し、誰かが開け放った正面扉。
そこから流れ込んだ別の感染者たちに、人々は次々と蹂躙されていった。
俺と一緒に逃げ出した者も多かったが、それでも、あの避難所にいた人間の半数は、食べられたか、感染したはずだ。
俺は、他の生存者の誰とも行動を共にせず、その場を離れた。
生きるために。
正しい判断だったと、今でも思っている。
……思っている、はずだ。
それ以来、俺は人を信じていない。
特に、集団になればなるほど信じてはいけない。
たとえそれが善意であっても、人を殺すことがあるのだから。
「皆でいれば大丈夫」という言葉を、信じない。
だから拠点を作らなかった。
作らなければ、失うものも増えない。
だが――今、この村は違う。
誰もいない。
守るのは、俺だけだ。
俺は立ち上がり、家の中を見回した。
壊れた家具。
使われなくなった茶碗。
写真立て――裏返しにして置いた。
感傷はいらない。
俺は生きる。
そのための選択をする。
夜が、近づいていた。




