第33章 遠征三日目⑤
その時――どこか遠くで、カラン……
小さな金属音が響いた。
静まり返ったホームセンターの空間では、その音はやけに大きく聞こえた。
俺と鈴木は同時に足を止める。
呼吸すら止める。
耳の奥で、自分の心臓の音がやけにうるさい。
この静寂の空間の中ではこの音さえ奴らに悟られるかと心配になる程だ。
広い売り場の奥は暗い。
電気が生成されていないこの世界では、自然光しか光がなく、壁際にある天窓からさす光が所々しか残っていない。
そのせいで棚の列が長い影を落としている。
かなり見通しが悪い。
俺は音のした方向を、俺はゆっくり見る。
園芸コーナーのさらに奥、資材棚のあたりだ。
金属のバケツやスコップ、ジョウロなんかが並んでいる場所。
何かが落ちれば、さっきみたいな音は出る。
だが問題は――「何が落としたか」だ。
俺は鈴木を見る。
鈴木も同じ方向を見ている。
顔が強張っている。
声は出さない。
出す必要もない。
同じことを考えているからだ。
感染者か、……それとも、生存者か。
この状況で、後者の可能性は高くないとは思うが佐藤の可能性もある。
今の音で感染者が集まっていない所を見ると、他の感染者はいない可能性が高い。
そして、もし佐藤と違う生存者なら慎重に接触する必要がある。
人間は人間で危険だ。
物資を巡って殺し合いになった話なんて、今じゃ珍しくもない。
佐藤なら、一番いいのだが、ここで声を出して佐藤かどうか確認するわけにもいかない。
もし感染者なら、自分の場所を知らせるようなもんだ。
俺は鈴木に手で合図を出す。
止まれ。
そして低く、静かに。
急遽のハンドサインだが伝わったようで鈴木がゆっくりしゃがむ。
俺も同じように腰を落とす。
そして棚の影を使いながら、ゆっくりと前へ進む。
一歩。
また一歩。
足音を消す。
床には商品が散らばっている。
割れたプラスチックのケース。
破れた袋や倒れた箱。
踏めば音が出る物が多くある。
そのため慎重に、踏む場所を選びながら進む。
さっきの音の位置まで、距離は二十メートルほど。
遠いようで、近い。
もし感染者なら、この距離は一瞬で詰められる。
俺はバットを握り直す。
手の中のバットの重みが、妙に現実を感じさせる。
売り場の棚を一つ越える。
そして、もう一つ。
園芸コーナーの看板が頭上に見えてくる。
土の袋、肥料、プランター。
そしてその先――
ガーデニング用の工具棚。
……そこで俺は見た。
床に転がる金属のスコップ。
さっきの音の正体は、あれだろう。
だが――そのすぐ横に黒い影があった。
最初は死体かと思ったが体が横倒しになっている。
動かない。
だが、次の瞬間、その影の顔が、ゆっくりこちらを向いた。
濁った目、腐った皮膚、そして、開いた口。
感染者だ・・・。
しかも――下半身がない。
ないというと語弊があるが、腰から下が完全に潰れている。
奥で倒れている棚の下敷きになったのか、脚が原形を留めていない。
骨と肉が潰れたまま固まっている。
だが――そいつは腕だけで動いた。
ズル……
ズル……
床を引きずる音。
肘で体を引き寄せるようにして、こちらへ這ってくる。
静かに、ゆっくりと。
まるで――俺たちが来るのをずっとここで待っていたかのように。
「……あれがトラップ型か」
俺は小さく呟く。
初めて見た。
が、俺たちが先に気づいたため、なんとか突発な出会いは回避できた。
あのスコップが倒れなければやばかったかもしれないが。
そのまま気づかないままいたら、確実にここまで探索はしていたはずだ。
鈴木が息を呑む。
その瞬間――感染者の目が見開いた。
そして突然、
「ァァァァァッ!!」
叫びながら腕を振り上げて飛びかかってきた。
距離は数メートル。
だが俺はすでに構えている。
踏み込みバットを振り下ろす。
ゴッ!!
鈍い衝撃。
感染者の頭が横に弾かれる。
だが止まらない。
腕が伸びる。
俺の足を掴もうとする。
速い。
下半身がない分、腕の動きが異様に速い。
「くそ!」
俺は足を引きながら、体勢を立て直す。
そしてもう一撃。
今度も狙う場所は決まっている。
頭。
全力で振り抜く。
ドゴォッ!!
骨が砕ける感触。
頭蓋が割れ、腐った血と脳が床に飛び散る。
感染者の体がビクンと震える。
腕が一度、空を掴む。
そして――動かなくなった。
静寂。
俺は数秒その場で動かなかった。
バットを構えたまま、耳を澄ます。
……音はない。
周囲を見渡す。
棚の影。
資材棚の下。
通路の奥。
動くものはない。
どうやら、この一体だけだったらしい。
鈴木が息を吐く。
「……本当にいましたね」
俺はバットについた血を振り払う。
「言ったろ。待つタイプがいるって」
そうは言いつつも俺も初めての出会いに少し心臓が早く打っていた。
こいつは俺たちに気づかれたから、迫ってきて倒しやすかったが、急に出てきたら対応はできないだろう。
それにもっと賢い奴もいる可能性はある。
大きな街はもっと注意しないといけない。
一応周囲を確認した。
そこそこの音がしたが他の奴らは寄ってこない。
もうこの中にいない可能性が高いが、トラップ型の場合、気づいていな可能性もある。
なので慎重にいかないと。
俺たちは園芸コーナーの棚を調べ始めた。
園芸コーナーは意外なほど無事だった。
棚は多少乱れているが、完全に荒らされた様子はない。
どうやらここまで物資を取りに来た人間は少ないらしい。
まあ当然だ。
こんな状況で優先されるのは食料や武器だ。
種なんて、すぐ役に立つ物じゃない。
だからこそ、俺たちはここに来た。
「ありました」
鈴木が小声で言う。
手に持っているのはトマトの種。
「持っていこう。」
俺も棚を調べる。
ナス。
ピーマン。
ネギ。
小松菜。
畑で育てられそうな種を優先して回収する。
リュックに詰めていく。
幸い、まだかなり残っていた。
どうやら本当に、このコーナーは手つかずだったらしい。
俺たちは黙々と集めていく。
数分後。
園芸コーナーで回収できそうな物は、ほぼ集め終えた。
俺は袋の中身を確認する。
……悪くない。
これだけあれば、畑は作れる。
「よし」
俺は小さく言う。
「一端資材はここまでで、佐藤を待とう」
鈴木が頷く。
佐藤はこのホームセンターにまだ来ていない可能性高い。
先についていたら、資材を集めているはずだが、種は全て残っていた。
そしてもしたどりついたらこの園芸コーナーに来るはずだ。
もしかしたらもうあのまま逃げきれず死んでいる可能性もある。
いや、あの佐藤のことだ、そう簡単にはやられないと思いたい・・。
なのでホームセンターに潜みつつ、佐藤を待つ。
生きていれば必ず来るはずだから・・。
そして鈴木と比較的見通しがよく、安全な逃げ場が確保できる場所を見つけ、そこに腰を下ろした。
ホームセンター内は静かで現状奴らの気配はない。
スーパーにおびき寄せたやつが戻って来る可能性もあるが、この場所なら、すぐにわかるし逃げれるルートもある。
少し休もう。寝ていない反動がきてかなりしんどい。
そう思い鈴木に少しだけ仮眠をと言い見張を頼み、意識を落とそうとした・・・その時。
ドォォォォンッ!!!!
突然、ホームセンターの入り口の方から凄まじい衝撃音が響いた。
思わず体が止まる。
棚が震える。
天井の埃が落ちる。
「……なんだ!?」
俺は飛び起き、鈴木が振り返る。
そしてもう一度――
ドンッ!!
ドンッ!!
ドンッ!!
何かが――
大量にぶつかっている。
俺と鈴木は音の方向、入口の方を見る。
そして、理解した。
あれは――感染者の群れだ。
スーパーに引きつけた連中が、戻ってきたのか。
それとも別の群れか。
どちらにしても――数が多すぎる。
「まずいです……」
鈴木が呟く。
だが、その瞬間。
入口の方で――人影が見えた。
誰かが走っている・・・全力で。
そして――こちらに向かって来ている。
感染者か・・・?_
と一瞬身構えるが、あの走り方は人間だ。
脱力した走り方ではなく、しっかり手足を使った走り方・・。
俺は目を細める。
……見覚えのある走り方。
あの大きな体格。
そして近づきにつれはっきり見える顔。
「……佐藤さん」
鈴木がつぶやいた。
佐藤だ、間違いない。
必死でこちらに走ってきている・・。
そして俺たちと目が合った。
こちらから手を振る。
そして――
「佐藤かーー?」
大きな声で呼ぶ。
もうこの状況で音など気にしてはいられない。
その声に気づいた佐藤らしき男!
「田中さん!!鈴木!!」
少し心配はしていたが、感染はしていないようだ。
こんな状況ながらほっと胸をでおろす。
生きていた!
しかし、久々の出会いの余韻を掻き消すように次の瞬間。
「すまない!!逃げろーーーー!!!」
佐藤が叫ぶ。
その背後、入口を突き破る勢いで――
感染者の群れがなだれ込んできた。
俺は思わず頭を抱えた。
おい佐藤……俺は心の底から思う。
俺たちがスーパーでやったことを――まさかホームセンターでやるなよ!!
生きていてくれて嬉しい。
それは本当に嬉しい。
だが――これはまた……
一難去ってまた一難どころじゃない。
「もう五難くらい来てるぞ……」
ホームセンターの静寂は、一瞬で崩れた。




