第32章 遠征3日目④
裏路地を抜け、俺たちは静かに、だが休むことなく走り続けた。
角を二つ曲がり、さらに狭い通路を抜ける。
さっきまで背後で響いていた感染者の群れの音は、もう聞こえない。
だがーーー安心はできない。
感染者は獲物を見失えば、やがて元の行動範囲へ戻る。
さっきスーパーへ引きつけた連中も、いずれ獲物がそこにいない状況を理解するはずだ。
ホームセンターに安全に辿り着くためには――それまでが勝負だ。
俺たちは呼吸を抑えながら、できるだけ音を立てないように走り続けた。
やがて、巨大な建物が視界に現れた。
有名ホームセンターの看板。
郊外型の大型店舗だ。
駐車場だけでも、スーパー数軒分はある。
だが今は、動く車は一台もない。
まあ、この状況で動く車があったら――その瞬間に奴らの餌食になって終わりだろう。
ホームセンターの周辺は、異様なほど静まり返っている。
「……着きましたね……」
鈴木が息を整えながら、小さく呟いた。
鈴木にとって、この三日間は本当に命をかけた大冒険だっただろう。
まあ、まだ目的にも達していない。
帰りのこともある。
だが、ひとまず――目的の場所には辿り着いた。
「お疲れさん」と言ってやりたいところだ。
だが、こんな状況でそんなことを言ったら、死亡フラグになりそうなので……やめておく。
俺は周囲を見回す。
まず――佐藤だ。
無事ならば、必ずここに来ているはずだが……姿がない。
声を出して呼ぶか?
……いや、それは駄目だ。
この静けさの中で大きな音を立てるのは危険すぎる。
それに佐藤なら、外で待つより中に入るはずだ。
このホームセンターはとにかく巨大だ。
海外仕様の倉庫型。
売り場も広い。
もし佐藤が店内に入っていたら――声なんてまず届かない。
つまり、探すなら中だ。
だが、問題はもう一つある。
ある程度の感染者は、さっきスーパーへ引きつけた。
だが――「全部」ではない。
奴らの中にも、個体差や個体条件がある。
足が欠損して走れないやつ、目や耳が潰れて、見えない・聞こえないやつ。
それなら安心だと思うかもしれない。
だが――そうではない。
そういう奴らは、獲物を追わない。
待つのだ。
いや、本当に「待っている」のかどうかはわからない。
ただ、結果として動かず、元の場所に留まる個体が多いのだ。
そしてそれは、生存者にとって――最悪のトラップになる。
音や匂いで感染者を引きつけ、周囲の奴らをある程度片付けた後、「もう安全だ」と思って建物に入る。
その瞬間――
残っていたそいつに、やられる。
そんな話を聞いたことがある。
実際にその状況から生き残った人間が言っていた事だ。
体に欠損を持ち、通常の個体よりハンデを持った感染者は、近づいてきたところを待って襲う場合がある、と。
動かず、音も立てず、死体のように転がったまま――近づいた瞬間、飛びかかる。
まるで、意識して気づかれないように潜んでいるかのように。
今思えば、そういう奴らも「考えるタイプ」の特殊個体なのかもしれない。
実際、俺はまだそんな“トラップ型”の個体には出会ったことがない。
まあ、基本的に田舎ばかりを回っていた俺は、都会で生き残っている生存者と比べれば、奴らと遭遇した数自体が圧倒的に少ない。
だからこそ、わからない。
もしかすると――この前、拠点であった様な特殊個体は、普通に存在しているのかもしれない。
ただ、俺がその時まで出会ってなかっただけで。
そして今回は、町の中にあるこの巨大なホームセンターだ。
元々この辺り唯一のホームセンターという事もあり、土地も広いため多くの人が集まっただろう。
なのでそういう奴らが潜んでいる可能性は――十分にある。
そして、もう一つ。
スーパーに引きつけた奴らも、獲物がいないと理解すれば――戻ってくる。
この辺りにいた連中が、ここへ戻ってくる可能性もある。
なので長居はできない。
もっとも、もし戻ってきても――この広さのホームセンターなら、隠れる場所はいくらでもあるだろうが、見つかる可能性はなるべく少なくしたい。
俺は鈴木を見る。
「中に入ろう」
鈴木が小さく頷いた。
自動ドアはすでにガラスが割れ、半ば開いたままになっている。
俺たちは足元のガラス片に注意しながら、静かにくぐり中へ入った。
冷たい空気が流れる。
中は――静かだ。
異様なくらいに。
目の前には巨大な売り場が広がっている。
無数の棚の列。
工具。や日用品、家具。
様々な商品が並んでいる。
さすが大型ホームセンターだ。
通路の先が見えないほど広い。
だが――
ここから見える範囲のほとんどは荒らされている。
棚の多くが空か、現状では使えない物ばかり。
こういったサバイバルで必要になる食料や生活必需品は、ほとんど持ち去られている。
あちこちで箱が破れ、カートが倒れている。
どこかで見た光景だ。
昔、ゾンビの映画や世紀末系の映画で見たような景色。
アウトブレイクが始まった時、人々は生き延びるためにここに集まり、物資を奪い合ったのだろう。
だが――
それは予想通りだ。
俺たちの目的は、そこじゃない。
「あっちだ」
俺は売り場の奥を指差す。
ガーデニングコーナーの看板。
ホームセンターに必ずあるエリアだ。
土、肥料、プランター。
そして――種。
野菜の種や果物の種。
それが今回の目的だ。
日用品が奪われるのは、この状況では当然だ。
なぜかって、それは誰にとっても必要だからだ。
だが、種は違う。
すぐ役に立つ物じゃない。
この状況で農業を始めようと考える人間は、そう多くない。
いや、俺たちと同じ考えの人もいるかもしれない。
だが、多くはないはずだ。
だから――今でも残っている可能性が高い。
「急ごう」
俺たちは足音を極力殺しながら進む。
売り場の通路を抜けていく。
今のところ、感染者の気配はない。
だが――いた形跡はある。
床の血。
倒れた棚。
引きずった跡。
ここで誰かが襲われた可能性もある。
あるいは――
俺たちの騒動に気づいて、スーパーの方へ向かったか。
もしくは、別の獲物を見つけてこの場所を離れ、どこかで捕食しているのか。
今は憶測でしかない。
だが――ここまで来て、今さら油断はしない。
俺はバットを握り直す。
ホームセンターの奥は、入口よりも暗い。
巨大な倉庫の天井が、影を落としている。
静かすぎる。
まるで、この建物全体が息を潜めているようだ。
「……ガーデニングは、あっちです」
鈴木が小声で言う。
俺はその方向を見る。
奥の売り場の方にある巨大な園芸コーナー。
俺たちはゆっくりと、そちらへ向かった。
その時――
どこか遠くで、カラン……
小さな金属音が響いた。
俺と鈴木は同時に足を止める。
静寂。
だが、その音は確かに――この建物の中から聞こえた。




