第28章 遠征2日目 ③
鈴木としばらく歩き続け、道の先――百メートルほどに、ようやくそれが見えた。
目的地の一軒家。
地図で確認した通りの場所だ。
……着いた。
そう思った次の瞬間・・・俺の足が止まった。
視界に入った光景に、息が止まる。
すぐに双眼鏡で確認する。
奴らが三体……。
少なくとも三体はいる。
だが死角になっている裏手や庭側にも、いるかもしれない。
一軒家を囲むように、感染者たちがうろついている。
しかも、省エネモードではない。
明らかに探索モードだ。
首を左右に振り、窓や玄関に近づき、時折立ち止まり、何かを“探している”動き。
この家の中、もしくは周辺に――人間の何かを感知している。
俺はすぐさま風向きを確かめる。
向こうが風下なら、こちらの匂いに気づく可能性がある。
ほぼ無風だが、わずかにこちら向きに流れている。
……これくらいなら大丈夫だと信じたい
それに奴らは今、俺たちが発する微かな匂いよりも、もっと強い“何か”を探知している。
こちらが大きな音や匂いを出さなければ、気づく可能性は低い――はずだ。
そんな事を考えていると、鈴木が小さく息を呑み、小声で言った。
「……誰か、いるんでしょうか」
俺は首を振り、“わからない”とジェスチャーで返す。
正直にわからない。
いるかもしれないし、いた後かもしれない。
そしてもしかしたら佐藤が中にいるかもしれないという可能性。
だが冷静に考えれば、佐藤がいる可能性は低い。
あの左の道を行った佐藤が、俺たちより早くここへ辿り着くとは考えにくい。
そもそもあの道と、この一軒家へ続く道は繋がっていないはずだ。
この場所に来るには、森や崖を横断するか、町方面へ大きく迂回しなければならない。
佐藤のことだから、突っ切る可能性は十分にある。
……だが距離的にも時間的にも、俺たちより先に到着するとは思えない。
ならば――この家の中、もしくは周辺に、別の生存者がいる可能性が高い。
鈴木が不安そうに俺を見る。
生存者がいるなら助けるべきか・・・その葛藤が、顔に出ている。
だが単純に生存者=味方、とは限らない。
何なら感染者より厄介な存在である場合も多々ある。
この世界になって一年。
色々な場所で出会った人間の醜さは、嫌というほど知っている。
もちろん全員がではない。
佐藤や鈴木みたいな人たちもいる。
ただ無闇に生存者=味方だと思っていると痛い目をみる可能性がある。
それに、生存者がいるなら、奴らはさらにこの場所に集まる。
今は三体かもしれない。
だが、この後増える可能性は十分にある。
仮に生存者が善人だったとしても――今あそこへ近づくのは、ほぼ自殺行為だ。
俺は鈴木に低く言う。
「生存者がいても合流しない。俺たちはここを離れ夜の山を行く。」
鈴木は一瞬迷い、そして静かに頷いた。
彼女も彼女なりに、自分たちの生存確率を計算しているのだろう。
この世界では、善意だけでは生き残れない。
偽善でも、死ぬ。
助ける。
手を差し伸べる。
慈善を選ぶ。
その“正しい行い”の果てに待っているのが、感謝ではなく死であることも珍しくない。
ここはそういう世界だ。
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俺たちが目指す町は、本来なら一軒家横の県道を突っ切って行ける場所にある。
だが奴らがいる以上、迂回するしかない。
あたりは夕暮れ。
空が紫に沈み始めている。
もうすぐ日没だ。
今から奴らを倒す術は、この周辺にはない。
川もない。
崖もない。
急斜面の坂道はあるが、あれでは人間にはそこそこのダメージを与えられても、奴らはすぐに起き上がる。
押し落としたところで、数秒の時間稼ぎにしかならない。
ならば……戦わない。
この場所から離れる。
俺たちは一軒家から距離を取り、山道へと足を踏み入れた。
ここからは道なき道を、ある程度の勘で町の方角へ進む。
そして、どこか開けた自然領域を見つけ、明るくなるまで耐えるしかない。
だが――テントも寝袋も、佐藤が持っている。
完全に野外だ。
避難小屋があればいいが、そんなもの偶然出会えるほど甘くない。
今夜は寝ない方がいいだろう。
少し暖かくなってきたとはいえ、まだ冬。
眠れば、死なないまでも確実にダメージは負う。
体調を崩せば、ホームセンターどころではない。
拠点へ戻ることすらできなくなる。
なら、町の近くまで進むか?
いや――それは自殺行為だ。
真っ暗闇の山道を移動するのは危険すぎるし、たとえ自然領域内でも、近くに奴らがいれば感知して突っ込んでくる。
正直、この道は地図になく今自分自身の場所も明確にわからない。
無闇に動かないのが得策だ。
なので極力、音は立てない方がいい。
そう考えていた、その時。
パンッ――!
乾いた破裂音が、一軒家のあった方角から響いた。
銃声のような音。
鈴木が顔を上げる。
「……銃声ですか?」
俺は頷く。
多分、そうだろう。
猟銃か、拳銃か……持っているやつは持っている。
だが……少なくとも、佐藤ではない。
佐藤はそもそも銃を持っていないし、あったとしても感染者に使うような間抜けではないはずだ。
ならばやはり、他の生存者がいる。
そして――武装している。
俺は小さく息を吐いた。
先ほど合流を目指さなくて、正解だった。
猟銃や拳銃を所持している一般人ほど、この世界では一番危険な存在になり得る。
全員がそうだとは言わない。
だが正直、俺は軍や警察以外で拳銃を持ったまともな連中に出会ったことはない。
出会えば、撃たれるか、略奪に遭うか・・・良いところ仲間という名の盾にされるか・・そのどれかだ。
最悪――女性の鈴木は狙われる可能性が高い。
その場合、邪魔な俺は確実に殺されるだろう。
平和な日本だったのは、もう過去の話だ。
この世界になって一年。
秩序なんて、とっくに消えた。
もちろん良心が残っている人間もいるかもしれない。
だが今では、それは少数派になりつつある。
その時、また乾いた破裂音が山の向こうで弾けた。
パンッ。
少し間を置いて、さらに何発か。
先ほどの生存者が、かなり感染者とやり合っているらしい。
気にはなる。
だが――もう関わらないと決めた。
俺は視線を前に戻し、歩みを止めない。
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俺たちは暗闇に包まれた山道を、夜目と手の感触だけを頼りに進む。
木々にぶつからないように。
急な坂や崖で足を踏み外さないように、慎重に。
しばらく歩いた先で、少し開けた場所に出た。
手が岩肌に触れる。
壁のような感触。
少しだけ……ライトをつけるか。
その前に耳を澄まし、周りの音を確認する。
風の音。
葉の揺れる音。
銃声はもう聞こえない。
そして奴らの気配もない。
正直、今自分がどの位置にいるのかもわからない。
だが確認は必要だ。
ほんの一瞬だけライトを点ける。
切り立った岩壁。
その一部が屋根のように張り出している。
風向き的にも、こちら側には吹き込まない。
悪くない。
ライトをすぐ消す。
「今日はここで明るくなるまでいよう」
鈴木は黙って頷いた。
俺はできる限り暖を取る準備を始める。
カバンの中身を全て出し着替えの服を尻の下に敷く。
残りの衣服を上から被る。
空になったバックパックに少量の衣類を詰め、靴を脱いで足を突っ込む。
強化生地のバックパックは、風や雨を通さない。簡易シェラフ代わりだ。
まずは足を冷やさないこと。
冬山で生き残る鉄則の一つだ。
手足が温まれば、血が巡り低体温症になりにくい。
鈴木にも靴を脱ぐように言う。
鈴木には俺と足が当たって大変申し訳ないが、今はそうも言っていられない。
最悪奴らが来ても靴だけは持って逃げられるように、俺と鈴木の二足は鈴木のザックへ入れる。
靴を失えば、今後もこの山道を歩くのに裸足だと詰みだ。
だから最悪、着替えや非常食はなくなってもいい。
靴だけは持って逃げる様にしておく。
しばらくたち、俺たちの体温で温まったバックパックの中は、思ったよりも暖かかった。
冷え切っていた空気が、少しだけ柔らいでいる。
そして、鈴木と寄せ合った肩も暖かい。
布越しに伝わる体温が、やけに現実的だった。
……いや、変な意味はない。
鈴木にも申し訳ないと思い、そう伝えると、鈴木は「私の方こそすいません」と小さく笑っていた。
まあ今の現状、1人ではこの暖は取れないし、仕方がないことだ、と自分に言い聞かせる。
例えば佐藤と2人の場合もこの対応をした、、うん、絶対にしたはずだ。
下心はないぞ! 絶対に!
……いや、多分、、
これが平常時の男女なら、恋に落ちる瞬間かもしれない。
肩が触れ、体温を分け合い、互いを意識する――そんな始まりもあったのかもしれない。
だが今は、そんな状況じゃない。
この世界で恋に落ちてどうなる、、
待っているのは、約束されない、先が全く見えない未来だけだ。
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俺は見張りに入り鈴木には少しでも寝てもらう。
完全に寝ると、体の体温が奪われるので、あくまでも簡易睡眠だ。
30分毎に軽く起こす。
ただ、これだけでも体力は回復する。
俺は慣れているわけではないが、この一年で、何度かこういう夜を越えてきた。
なので2.3日なら、寝なくても過ごせる自信はある。
が、今回は明確なビッグイベントが後に控えてるので、極力体力は温存したかったが、仕方がない。
今は二十時。
あと十時間。
朝が来るまで、耐える。
簡易の食事も取らない。
匂いは極力出さないために・・・
この場所が県道と近いのか遠いのかの距離もわからないため、余計なリスクは負えない。
朝まで待つ。
集中して見張る。
今は、それしかできない。
岩壁にもたれながら、俺は闇を見つめ続けた。




