第27章 遠征2日目②
しばらく県道を歩いていると、前方に分かれ道が見えてきた。
左には、車一台が通れるかどうかの細い道。
右はそのままメイン通りで、ゆるやかな下り坂になっている。
右の道は――今日の目的地である一軒家へと続く道だ。
さらにそこを抜ければ、町へと繋がる。
時間も予定通り。
順調にいけば、余裕をもって到着できる。
ほっと一息をついた――その瞬間だった。
左の道の奥から、乾いた足音が弾けるように響く。
ダ・ダ・ダ・ダダダダダダダ――
走っている。
しかも全速力。
そして近づいている・・
その音は一つじゃなく複数。
「……来るぞ!」
佐藤の声が響く。
次の瞬間、三体の感染者が左の道から勢いよく飛び出してきた。
獲物を捉えた狩猟モードの全力疾走。
腕を振り回し、首を揺らし、一直線にこちらへ向かってくる。
距離は二十メートルもない。
「右の道だ!走れ!」
佐藤が大声で叫ぶ。
その声に俺たちは反転せず、そのまま右の下り坂へ一目散に駆け出した。
アスファルトを蹴る音と荒い呼吸が響く。
その背後から、さらに速い足音が迫る。
このままではまずい・・・・
この道には、現状逃げ場がない。
左右はガードレールと斜面の一本道。
「このままじゃ追いつかれる!」
俺が叫ぶより早く、佐藤が減速し、振り返った。
一瞬合ったその目は、もう覚悟を決めている男の目。
「田中さん!鈴木を頼んだ!」
「佐藤――!」
止める間もなかった。
佐藤は踵を返し、迫る感染者に向かって走る。
鉄パイプを横に振り抜き、飛びかかろうとした先頭の一体の腕を叩き落とす。
鈍い衝撃音が森に響く。
体勢を崩した感染者の横をすり抜け、佐藤は左の道へと走り込む。
それに釣られるように、二体が迷いなく佐藤を追った。
だが・・・・
残った一体は佐藤に見向きもせず、こちらへ全速力で迫り来る。
確実に、俺と鈴木を獲物として認識している。
「くそっ……!」
今すぐ佐藤を助けに行きたい。
だが一体がこちらに向かいすでに加速している。
ここで止まれば、二人とも終わる。
「行くぞ!」
俺は慌てふためく鈴木の腕を強く引き、全速力で下り坂を駆ける。
肺が焼ける・・・心臓が破裂しそうだ。
背後の足音は引き離されることなく、どんどんと迫る。
このままでは追いつかれる・・・・
振り返って戦うか?
だが奴らと真正面から戦うのは、あまりにも危険だ。
一瞬の判断ミスが死に直結する。
だが逃げ切れる保証もない。
もう覚悟するしかない――
その時!
視界の端に細い獣道が見えた。
「こっちだ!」
鈴木の腕を引いたまま、俺は舗装路を飛び出し、藪へ突っ込む。
枝が頬を打ち枯れ葉が一斉に舞い上がる。
普通なら奴らは自然領域に入らない。
だが、狩猟モードのこいつは一切ためらわない。
藪をかき分け、一直線に突っ込んでくる。
だがこの中なら視界はほぼない。
走っているため、色々なところで枯れ葉も枝も音を立てている。
匂いは消せない・・・・だが、ほんの一瞬でも見失わせられれば――反撃のチャンスはある。
しかし距離は、五メートルもない。
少しだけでも引き離せたら・・・・
その瞬間!
鈴木の足が、太い木の根に引っかかった。
「きゃっ!」
凄まじい勢いで前のめりに転倒。
「鈴木さん!」
感染者が、今が好機とばかりに飛びかかりそのまま地面に押し倒される!
身動きが取れない鈴木に向かい、感染者の腐った口が開く。
歯が剥き出しになり首筋へ------!!
「うぉおおおおおお!」
俺は叫びながら、全力でバットを振り抜いた。
今まで一度も、奴らを殺すために振ったことのないバット。
骨を叩き砕く感触が、両手に伝わる。
ぐしゃり、と嫌な音。
顔面が潰れ、感染者は横に吹き飛ぶ。
だが・・・・そいつは、何事もなかったかのようにすぐ様立ち上る。
顔の半分が陥没し、眼球がずれている。
それでも、よだれを垂らしながらこちらへ向かってくる。
「嘘だろ……!」
次の瞬間、俺は押し倒された。
背中に衝撃。
視界いっぱいに腐臭。
何とかバットで首元を必死に押し返すが、そんなものお構いなしに恐ろしい力で顔が迫ってくる。
歯がカチンカチンと噛み合う音。
俺は何とかギリギリで首を逸らし噛まれるのをかわす!
だがこの体制では次は、無理だ。
かわせない・・・・本当にやばい。
死ぬ――
その時!!
「うわああああ!」
鈴木が木の棒で感染者の頭を叩いた。
ドンッと言う鈍い衝撃音。
決定打にはならないが、俺から気が逸れ感染者がゆっくりと鈴木の方を見る。
標的が変わる・・・
すぐさま俺から体を離し、鈴木へ飛びかかろうとする。
そうはさせるか!
俺は全身の力を込めて立ち上がり、バットを横からフルスイング!
一閃ーーー
ホームランを打つならこのスイングと言われるくらい綺麗な弧を描き全力で振り抜いた!
先ほどよりも大きなグシャッという嫌な音と共に、頭蓋が潰れ色々な物が飛び散る。
完全に18禁の光景だ・・
感染者はその勢いのまま横に吹き飛び、地面を転がり、そして――のたうち回る。
背中を反らし、四肢をばたつかせ、まるでエクソシストの悪魔のように。
喉の奥から、意味のない唸り声。
十秒。
二十秒。
近寄りとどめを刺そうと思ったが、暴れ方が異常で、動きが読めない今は近寄れない・・
そして1分ほど経ち、ようやく動きが鈍り――そして止まった。
森が、元の静寂に戻る。
俺たちは荒い息を吐きながら、そいつを見つめる。
鈴木の手も、唇も震えている。
仕方ない。
俺だって、鼓動を抑えるので精一杯だ。
俺は木の棒でそいつを突く。
反応なし。
もう一度。
動かない。
頭はグロテスクなまでに陥没している。
……死んだ。
だが油断はしない。
目を離さず、ゆっくり後ずさる。
枝が腕を引っかく。
枯れ葉が音を立てる。
それでも視線は外さない。
完全に沈黙を確認してから、ようやく小さく息を吐いた。
「鈴木さん、足は大丈夫か?」
さっきは派手に転倒した。
あの勢いだ。捻ったり、打撲していてもおかしくない。
この場所での怪我は――致命的だ。
「だ……大丈夫です」
鈴木は少し顔をしかめながらも、足首を動かし、ゆっくり体重をかける。
一歩、踏み出す。
もう一歩。
そして小さく頷いた。
「平気です」
……良かった。
心の底からそう思った。
もしここで捻挫でもして歩けなくなれば、正直詰みだ。
周囲は山。
感染者がいつ現れてもおかしくないこの地点。
正直この状況で怪我をしても、鈴木が悪いわけじゃないしもちろん誰のせいでもない。
だが、怪我をしたという事実だけで、生存確率は一気に下がる。
ここから拠点へ戻るとしても地獄、町へ向かうのはさらに地獄だ。
どちらに転んでも、逃げ切れる保証はない。
まあ鈴木なら、まだおぶることもできるし最悪、引きずってでも運べる。
だが――
もし俺が怪我をして歩けなくなれば・・・
それはこの遠征の終わりどころか、俺自身の終わりを意味する。
佐藤もいない今、俺が終われば鈴木も終わる可能性がある・・
だからこそ、足元一つ、踏み外すことも許されない。
「無理するな。少しでも違和感あったらすぐ言ってくれ」
俺はそう言いながら、改めて周囲を見渡した。
戦いは終わった。
だが、本当の意味で気を抜ける状況ではない。
一歩のミスが、命取りになる。
本当に、気をつけなければならない。
「県道に戻るか・・」
その言葉と共に、俺と鈴木はそのまま県道へ急ぐ。
佐藤と逸れた分かれ道へ。
しかし・・・そこには誰もいない。
いつもの静かな山道。
ここで佐藤の名前を叫べば、別の奴らを呼び寄せるため叫ぶわけにもいかない・・
佐藤が二体を引き連れた左の道の先を見る。
追うか?
いや……約束があった。
拠点に近ければ拠点へ。
町に近ければホームセンターへ。
今ここからは町が近い。
佐藤なら、迷わずホームセンターへ向かうだろう。
俺は拳を握る。
「信じるしかない」
自分に言い聞かせた言葉だったが、思わず口に出ていた。
鈴木が不安そうに俺を見る。
助けに行かないのか、という目。
俺だって行きたい。
だが判断を誤れば、全て終わる。
もし佐藤がやられていたら・・・今の俺たちに二体を相手に生き残れる力はない。
さっきの一体でさえ、死ぬ寸前だった・・
現状もし佐藤がピンチだったとして今助けに行けば間に合う可能性もある。
だが佐藤は言った。
鈴木を頼む、と。
ここで追えば、さらに鈴木を危険に晒すだけだ。
だから――
「この道を追わず、約束通りホームセンターに向かう」
鈴木も理解したのか、ゆっくり頷いた。
時計を見る。
もう夕方が近い。
今は一刻も早く、今日の目的地――一軒家を目指さなければならない。
佐藤の逃げた道はその方向ではない。
だが地図で確認した限り、遠回りでも町へは繋がっている。
佐藤の事だからなら直接町へ向かうか……いや、もしかしたら自力でその家に向かう可能性もあるだろう。
だがら今は予定を崩せない。
そして暗くなれば、俺たちの方が圧倒的に不利になるこの状況・・・
「急ぐか」
走らない。
だが歩幅を広げる。
鈴木には見せられないが、正直今足が震えている。
バットを握る手には、まだあの嫌な感触が残っている。
俺は今日初めて、本気で頭を潰し、自分の手で元人間を殺した。
もちろん、奴らがもう人間ではないのは理解しているし、今まで直接手は下さないまでも、何体も殺してきた。
だが、やはり自身の手で殺すのとは訳が違うのだろう・・
その重みが、胸の奥に沈んでいる・・・
ただこれは今後生きていくため、さらに起こり得ることだ。
こんな事で沈んでいられない。
まずは佐藤に合流しなければ・・
生きていろよ!
そう祈るように呟きながら、俺たちは下り坂を進んだ。




