第25章 遠征1日目②
避難小屋の周りを索敵したが、奴らの気配はない。
前回、佐藤が利用した際にもいなかったらしい。
それを思い出すと、奴らの習性上――この場所に居つく可能性はないはずだ。
奴らは自身が感染した場所、もしくは獲物を捉えた場所を拠点にする。
だから、佐藤の後に誰かがここを利用して、そこで奴らに喰われていないなら――ここにいる可能性は少ない。
そしてこの周りは、獲物との抗争があったようには見えない。
血痕もない。引きずった跡もない。
窓も割れていない。
扉も、乱暴にこじ開けられたような痕跡がない。
避難小屋は、人がパニックで飛び込んだり、奴らが押し込んだりすると大体どこか壊れる。
それがない。
一安心――
と言いたいところだが、まだ油断はできない。
この場所は完全な自然領域ではない、また特殊個体のような事例もある。
特にこの場所は登山道の上にあって、人間が作った場所。
つまり、俺たちが派手に匂いや音を立てれば寄ってくる可能性がある。
奴らがどれだけの距離で匂いや音を拾うかは、正確にはわからない。
森の匂いの中に混じる人間の匂いや音を、どれだけ遠くから気づくことができるのか――それがわからない以上、ここは慎重に。
周りにはいないがまだ小屋の中にいる可能性はある。
俺はバットを握り直し、息を整えてから小屋に近づいた。
「……入るぞ」
声は出さない。
口の動きだけで佐藤に伝える。
佐藤は頷き鈴木は少し後ろで身を固くしている。
わかる。こういう時の瞬間が一番怖い。
俺は扉の前で一度止まった。
耳を澄ます。
中から音はしない。
ゆっくり取っ手に手をかけ、少しだけ押す。
軋み音が出ないように極力ゆっくりと。
……開く。
反応は・・・・ない。
この時点で反応がないのは朗報だ。
開けた段階で奴らがいる場合、必ず何かしらの反応がある。
ゆっくりと中に入る。
中には何もない。
とりあえず一安心だ。
中は山小屋とは違い、寝具もないしトイレもない。
まあトイレはあっても使うことはないが。
だが、俺たちには屋根と壁があるだけで十分だ。
それだけで風を遮れるし、体温の奪われ方がまるで違う。
寝袋や宿泊用品は佐藤が持ってくれている。
鈴木は応急キットやライトなどの小物。
俺は食料品や水筒。
基本は、バックパックを背負ったまま全力で走れる重さ。
これがこの世界で生き残るルールだ。
荷物を増やすほど安心感は増える。
だが、荷物を増やすほど逃げられなくなる。
どっちを取るか。
正解は状況次第だが、少なくとも俺は一年間、逃げられる重さだけを持って生きてきた。
だから帰りは少し心配があるが、今それを考えても仕方がない。
佐藤が寝袋を広げる。
今は18:00くらいか。
まだ完全な夜になりきってはいないが、今のうちに寝袋に入り体を温めておかないと、動きが止まった今、まさに寒さが体に刺さる。
歩いている時はまだいい。
止まった途端、冬の冷気は容赦なく体温を奪っていく。
もちろん火は使えない。
火は暖かいが、匂いも光も奴らにとっては、獲物こちらですよの合図になる。
今日は見張りを佐藤と、二時間おきで交代する。
鈴木はこういった状況に慣れていないため、一人で見張をさせて判断を任せるのは危険だ。
だから最初の二時間だけ見張りに参加して、あとはしっかり寝る。
一瞬の判断が生死を分けるこの世界では、どれだけ過酷な環境で生き抜いてきたかが物を言う。
俺は一年。佐藤は二ヶ月、一人で生きてきた。
鈴木にはまだその経験がない。
だから今は仕方がない。
ただ、こういう経験を積み重ねて、いざ俺たちに何かあっても一人で生きられる知識をつけてほしい。
……とはいえ、こういう環境でいきなり長時間見張など一人で行い、ストレスに晒せば、明日に関わる。
疲労は判断を鈍らせる。鈍った判断は死に直結する。
だから、まずは少しずつだ。
まあ俺は最初から一人だったけどね。
誰もいない分、頼れるのは自分だけ。
それはそれで地獄だった。
「……飯にするか」
さあ今日の晩御飯だ。
今日は小屋の中とは言え、簡素な作りだ。
ほぼ野外での宿泊と変わらないので、缶詰等匂いが出るものはほぼNGだ。
周りにいない可能性が高いのはわかっている。
でも、奴らの鼻がどこまで匂いを感知するのか、正確にはわからない。
だから極力、匂いが出ないものを選ぶ。
今度、匂いの距離の実験してみるか……。
いや、考えるだけで怖い。
実験って言っても、失敗したら死ぬんだ。冗談じゃない。
保存食を取り出す。
これは感染発生後、俺が登山用品展やキャンプ用品展でコツコツ集めた品だ。
スーパーやドラッグストアは物資の取り合いが多いが意外にこう言った所には大量にあった。
個包装されたソフトパン、栄養バー。
栄養バーは小さくて軽い。重量がないから大量に持てる。
この世界ではそれが正義だ。
アルファ米のかやく飯なんてのもある。
まだ食べていない。
今度、地下貯蔵庫で食べてやる。必ず。
今日は栄養バー。
三人で分ける。
ほんの少し甘い香りがするが、これくらいなら森の自然の匂いでかき消されるだろう。
……そう思いたい。
黙々と食べる。基本はしゃべらない。
小屋である程度密封されているから小声なら大丈夫かもしれない。
だが、まだみんな警戒している。
ただ、こういう緊張感が大事だ。
慣れた瞬間が一番危ないのだから。
食べ終わって、水分を補給する。
俺は先に少し横になる。
見張りは佐藤と鈴木が、最初の二時間を持ってくれる。
今は七時くらいか。
登山用品展でもらった時計を見る。
時計なんて普段ほぼ見ない。
だが時間がまだ動いていることが――世界がまだ完全には終わっていない気がさせる。
錯覚でもいい。そういうのがないと人は折れる。
とりあえず寝る。
そして体を休める!
朝は明るくなる六時には動き出す。
明日も歩く。明後日も歩く。
そして街に着いたら、もっと神経を使う。
体を休めないと無事拠点に帰れなくなる。
……かなり歩いたからか、眠くなってきた。
目を閉じる。
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どれくらい経っただろうか・・?
「田中さん……」
佐藤の声で目が覚める。
声のトーンで緊急でないことはわかる。
そろそろ交代の時間だろう。
周りを見渡す。
あれ・・鈴木がいない。
「あれ、鈴木さんは?」
俺が聞くと、佐藤は小声で言う。
「トイレだ」
佐藤曰くこの二時間、異変もなく静かだったため、外に一人でも大丈夫と判断したのだろう。
まあ女性のトイレに危険だからと言ってもついていくのは気が引ける・・。
俺もトイレがしたいから、それは朗報だ。
……もちろん完全に油断はできないが。
ほどなくして、鈴木が戻ってくる。
少し恥ずかしそうな顔をしている。
わかる。
トイレでこんな注目されることなんて、前の世界じゃまずなかった。
女の子には生きづらい世の中になってしまったもんだ。
俺も見張りの前に、トイレに行くことにした。
静かに扉を開ける。
冷たい空気が頬を刺す。
三人がいるだけで、部屋の中は思った以上に暖かい。
外との差でそれがよくわかる。
周りの音と気配を警戒しながら、小屋から少し離れた森へ。
少し穴を掘って、そこに用を足す。
そしてすぐに土で埋める。
埋めないと匂いが流れる可能性があるからだ。
これは大でも同じ。
面倒だが、ここに朝まで留まる以上この面倒こそ生き残る知恵だ。
そのまま放置していると自然の匂いでも消えず匂いが流れ、奴らが朝には「こんにちは」なんてこともありえる。
戻る途中、立ち止まって耳を澄ます。
……何もない。
ここに留まり3時間ほど。
奴らの気配を感じないとなると今日は平和な一日目になりそうだ。
その時!!!
――みたいなのは今はいらないから、マジで。
本当に、今はいらない。
小屋に戻り、佐藤と交代する。
俺は窓側に座り見張りを続ける。
窓から見える景色は黒色だ。
まさに真っ暗闇。
今日は月が出ていないためだ。
慣れで多少夜目は利くが、こんな夜に移動や行動は危険だ。
奴らはほぼ目が見えていない。
だから夜か朝かなんて関係ない。
そして基本、寝ない。
つまり、人間に圧倒的不利な夜の方が危険なのだ。
あと心なしか、明るい時の方が奴らの動きがゆっくりな気がする。
だが、それは俺の視界が効くからそう見えるだけだろう。
気のせいでなければ攻略のきっかけになるかもしれないが、夜に危険を犯して実験する気にはならない。
佐藤も鈴木も寝ている。
特に鈴木は初めての体験だらけだっただろう。
今日はゆっくり休めばいい。
明日から、町に近づく。
そうなると感染者との接触の機会も多くなるはずだ。
今はしっかりと体力を回復させることが重要だ。
まあ……佐藤は二時間後に起こすけど。
小屋の中の空気は静かで外の森はさらに静かだ。
この静けさには慣れたつもりだが、やはりまだ怖い。
この怖さは感染者がこの世から駆逐されるまで、消えることはないだろう。
俺はバットを膝に置いたまま、ただ耳を澄ませ続ける。
こうして夜は、更けていく。




