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ゾンビが溢れかえった世界でのんびりスローライフに挑戦してみた  作者: アルシャピン


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第23章 味噌汁と新しいミッション

地下貯蔵庫の中は、土の匂いと味噌の香りがゆっくりと混ざり合っていた。

俺は慎重に味噌汁をよそう。

湯気が立ち上る。

白い湯気が、冷たい地下の空気の中でふわりと揺れる。

その湯気を見ただけで、胸が熱くなった。


「……熱いから気をつけろよ」


自分が一番待ちきれていないくせに、そんなことを言う。

佐藤が小さく笑う。

鈴木は両手で椀を持ち、目を輝かせながら、まるで宝物みたいに抱えている。

避難所は場所によって様々だと思うが、基本はどこも似たようなものだった。

暖かいご飯なんて、ほぼ出ない。

日々、奴らの侵入を防ぐ戦い。

その裏で起きる、人間同士のしょうもない争い。

配給は最小限。

そして大体、その避難所の“偉い奴”が少しだけ豪華なものを食う。

世界が滅んだ当初から、そんな構図だった。

今はもっと環境も酷いだろう。


匂いに敏感になり、音に常に気を配らなければならないこの世界で、こんな出来立てのご飯を食べられるのは今この場所が安全で平和な証拠だ。


三人で、しばらく黙る。

ゴクリ、と誰かの唾を飲む音が響いた。


俺が「いただきます」と言うと、

みんな思い出したように「いただきます」と続く。

最近、いただきますや、ごちそうさまなんて言ったのはいつだったか。

俺は、そっと一口すする。


――熱い。


舌が驚くほど熱い。

だが、その熱さが嬉しい。

味噌の塩気。

ニジマスの出汁。

ふきのとうの、ほろ苦い春の気配。


……美味い。


言葉が出ないとは、このことだ。

非常食や乾パン、時に缶詰も食べることはあった。

だが、こんなに温かく、自然な旨みを感じるものは一年近く口にしていない。


生きている生物を、その場で取って、いただく。

昔の世界では「新鮮なものほど美味しい」と言われていた。

だが俺は内心、スーパーの惣菜やカップ麺で十分だろ、と思っていた。

それが今は違う。

こんなにも旨みを感じるとは・・・


胃の奥に、じんわりと落ちていく感覚。

冷えた体の内側から、ゆっくりと解けていく。

佐藤も無言で啜っている。

目を閉じている。

鈴木は一口飲んだあと、少し驚いたように目を見開いた。


「……あったかい」


小さく、そう言った。

目には涙が浮かんでいる。

俺はなんだか胸が締めつけられた。

あったかい。

それだけの言葉が、こんなにも重い。

しっかりした拠点以外では、火を使うこと自体が自殺行為に近いこの世界。

鈴木のその涙は、今までの避難所生活がいかに過酷だったかを物語っていた。


ニジマスの身を箸でほぐす。

ほろり、と崩れる。

脂が乗っている。

口に入れる。


……うまい。


本当にうまい。

俺はしばらく黙ったまま噛み締める。

鈴木がふきのとうを口に運ぶ。


「少し苦いですけど……」


「春の味だな」


佐藤が言う。

この終わった世界にも、ちゃんと春は来るらしい。

木は芽吹き、川は流れ、そこには生物が生まれ、生きている。

人間中心の世界は壊れたけど、自然の世界は壊れていない。

その事実が、少しだけ救いだった。


しばらく、誰も喋らない。

音は、椀に当たる箸の小さな音だけ。

外の風も、ここまでは届かない。

俺はふと思う。

これが“普通”だったんだよな、と。

仕事帰りに飯を食って、テレビをつけて、明日のことを考えて。

温かい味噌汁なんて、当たり前すぎて何も感じなかった。

今は違う。

一口一口が、命を削って得たものみたいに感じる。


「田中さん、佐藤さん」


鈴木が静かに言う。


「ありがとうございます」


「……味噌汁に?」


「いえ。……ここに、いさせてくれて」


言葉が少し詰まる。

この世界で人と人が出会えば、まず疑うのが普通だ。

下手をすれば、奪い合いになる。

食料も、拠点も、命も。

特に女性は――暴漢に遭う可能性だってある。

避難所でも、外でも、安全なんて言葉は、形だけだ。

自分の身は自分で守るしかない。

鈴木はきっと、その現実を知っている。


俺自身は、そういうことは絶対にしない。

佐藤も大丈夫だと思っている。

だが――

自分はしないと分かっていても、相手に信じてもらえるとは限らない。

信頼は、言葉じゃなく時間で積み上がる。

それでも鈴木は、今この瞬間、俺たちを信じる側に立ってくれた。

その上での「ありがとう」だと俺は思う・・


俺は椀の中を見たまま答える。


「俺たちも助かってるよ」


佐藤も頷く。

それは本音だった。

人が増えるのはリスクだ。

食料も減る。

守る対象も増える。

でも、こうやって三人で飯を食うと、拠点があると思える。

ここは、ただこの世界を生き延びるための場所じゃなくて、生きて繋げていくための場所になる。


しみじみと考えていると、佐藤が言う。


「田中さんと二人だと、むさ苦しかったからちょうどいいしな」


「おい!それはこっちのセリフだ」


その返しに、三人で一気に笑いが吹き出した。

地下空間に、久しぶりの笑い声が響く。


奴らと戦い、逃げ、疑い、生き延びることだけを考えていると、普通の人間の生活や考えではなくなる。

でも今は違う。

味噌汁をすすり、魚をほぐし、苦い山菜に顔をしかめ、しょうもない話をして笑い合う。

ちゃんと、人間の生活をしている。

それが拠点を作り、その場で安心して生きるということなのだろう。


椀の底が見える。

少し寂しい。

だが、不思議と心は満ちている。

俺は最後の一口を飲み干し、小さく息を吐いた。


「……うまかったな」


みんなも頷く。

それだけで十分だった。


そして俺は思う。

もし明日、あの特殊個体が来たとしてもまたこうやって、暖かい食べ物をみんなで食べるために、俺は本気でこの拠点を作り守る。

そして危険は排除する。

そのために、やることはまだまだある。



そんな時、佐藤が言った。


「田中さん、少し提案なんだが」


「どうした?」


「一度、町に行かないか?

畑や拠点を安定させるためにも、少し資材が足りない。

街にあるホームセンターに行って、野菜の種や農具や工具を調達したい。

正直、このままでは食糧問題でジリ貧になるし、春になる前に畑を早く動かしたい」


確かに。

畑はある。

だが、それを使って育てる苗や種がない。

農具もボロボロのものが多く、新しくした方が効率はいいだろう。


「この近くに町はあるのか?」


俺が聞く。


「ああ。車で二時間のところに、小さいが町がある。

ホームセンターや色々揃っている場所だ。

普通に歩けば二日ほどだが、警戒しながらだと三日は見たほうがいいな」


この標高1300メートルの村から二時間というのは、なかなかの道のりだ。

往復で六日。

一年歩き続けた俺からすれば、大したことない距離かもしれない。

だが、一度腰を据えた今となっては、その六日が重い。


正直、街には行きたくない。

人が多くいた場所には、奴らが多くいる。

これは奴らの習性だ。

感染した場所に戻る。

獲物を捉えた場所に戻る。

本能か、何かの残滓かは分からないが、奴らは記憶しているように見える。


バイオハザードが始まり、避難所から退避して以降、俺は街を極力避けて生きてきた。

あの場所で襲われたら、生きて帰れる自信はない。

だが山菜や魚、非常食だけでは、いずれジリ貧になる。

ジリ貧になってから行くのと、今行くのでは変わらない。

いや、焦りが出てからの方が危険だ。


「……よし。行くしかないか」


「体は大丈夫なのか?」


まだ痛みはある。

だが、クラッシュ当日ほどではない。

やっとまともに動けるようになってきている。


「ああ、問題ない」


「なら準備して、明日から行こう」


「鈴木さんはどうするんだ?」


佐藤は一瞬考え込む。


「できるなら一緒に来てくれれば助かる。

持って帰るものも多いし、ここに一人でいて特殊個体が来ることを想定すると助けられない。

……いや、無理はしなくていい。やつが来ない可能性も高いし、ここにいてくれてもいい」


鈴木は最初から決めていたように、二人の目を見る。


「私も行きます。役に立ちます!」


迷いのない声だった。

地下貯蔵庫の灯りの下で、

三人の視線が交わる。

そして――

町へ向かうことになった。



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