第12章 軽トラは世紀末でも走っている
雨は、朝から本降りになった。
明け方の空を覆う黒い雲が、山全体を叩き潰すような雨を降らせている。
……この雨なら、いける。
俺は村の家から拝借したレインコートを羽織り、まずは集落の入口へ向かった。
体に雨が当たる音が響くが、強い風や地面を叩く雨音、そして増水した川の轟音にすべて掻き消される。
正直、横に人がいて話しかけられても、聞こえないほどだ。
この雨の中なら、比較的安心して作業ができる。
だが同時に、もし奴らがふらっと近づいてきても、こちらが気づけない可能性もある。
こればかりは、周辺の感染者がこの大雨の中で動いていないことを祈るしかない。
早速作業に移るが、バリケード自体は、地獄のような準備作業を経て、すでに完成している。
足場板は二枚重ねで横方向に連結し、あとは土台となる車に固定すれば完成だ。
車は村の内側に設置する。
こうすれば、外から押されたとしても動くのは足場板だけで、車体そのものが重りとして力を受け止める。
重量のある車が内側にある限り、十体くらいで一斉にタックルされない限り、簡単には動かないはずだ。
足場板も二枚重ね構造なので、拳程度では突き破れないだろう。
……すべて憶測だが、これもやってみるしかない。
そもそも、こんな状況で建築構造計算なんてできるわけがないのだ。
あとは、車を所定の位置に持ってくるだけ。
村に残っている車は、昨日までに調べた限り、ざっと十二台ほど。
さらに、村の外にも何台か放置されている。
そのうち、村の中には農作物を運ぶための軽トラが三台あった。
一台は以前、エンジンがかかることを確認済みだ。
軽トラって、どんなにボロくても走るイメージがある。
だから一年経った今でも、他の二台も動くはずだと踏んでいた。
一台目。
鍵あり。エンジン始動。これは前回試したので問題なし。
二台目。
鍵あり。問題なし。
三台目。
……こいつも、普通にかかる。
思わず鼻で笑った。
やっぱり軽トラ、強すぎないか?
物理キー、最低限の電子制御、無駄に丈夫なエンジン。
電気が死んでも、世界が終わっても、ガソリンさえあれば最後まで走るのは、軽トラかもしれない。
もしかしたらサウザーの乗っていたあの車の元は軽トラかもしれないなんて思えてきた。
入口側には、この軽トラを二台使う。
内側に向けて配置し、その外側に足場板を立てる。
ホロを固定する金属部分と、足場板に開けた穴を針金で何十重にも締め上げていく。
そして、完成。
軽く揺すってみる。
……動かない。
よし。
だが、ここで終わりじゃない。
出口側にも、同じ構造のバリケードを作る必要がある。
軽トラは三台。
入口で二台。
出口で一台。
……分かってはいたが、足りない。
土台になる車が、もう一台必要だ。
他の車を当たる。
鍵がない。
これはスマートキーだな。
……最悪だ。
この手の現代車は、鍵がなければドアすら開かない。
近くの家も探してみたが、キーらしきものは見当たらなかった。
次。
最新型らしい車のスマートキーが見つかった。
ボタンを押しても反応なし。
内蔵されている物理キーを取り出し、ドアを開けてみる。
一度乗ってみたかった車種で、少しテンションが上がるが――スイッチを押しても、エンジンはかからない。
バッテリー上がりだ。
新しそうな車ほど電子制御が多く、
一度死ぬと、どうにもならない。
皮肉な話だ。
最新の車ほど、この世界では役に立たない。
結局、シンプルな作りのものが最後まで生き残るんだろう。
俺は村の出口まで歩き、その奥を望遠鏡で覗く。
出口から坂を下った先、約一キロほどの場所に、車が数台放置されているのが見える。
入口側とは違い、出口側は道が曲がりくねっていて見通しが悪い。
木々が視界を遮るが、下り坂の先でわずかに開けた場所があり、そこに車があるのが分かった。
……少し遠いが、行くしかない。
雨は強いが、音も匂いも、ほぼ消えている。
索敵には向かないが、こちらの存在も分かりにくい。
十五分ほど歩き、その場所に近づいた。
ここまで、奴らはいない。
ただ、初日の夜に現れた奴らが、必ず近くにいるはずだ。
奴らの習性上、最初に感染した場所、もしくは獲物を捉えた場所に戻る。
つまり、あの夜に来た奴らは、この集落が根城ではない。
どこか別の場所に固まっているはずだ。
あの日は八体を駆除した。
音も匂いも相当出たため、それをかぎつけて移動してきたのだろう。
ただ後続の奴らが現れたのは先にいた感染者を駆除して2時間後。
獲物を捉えてない普段の奴らはかなりの鈍足のため、普通の人が歩く2時間の三分の一程度の速度と見ていい。
なので半径5km圏内には確実にいる可能性は高い。
慎重に近づく。
開けた場所には、三台の車が止まっていた。
土砂崩れ防止工事の途中だったのだろう。
工事案内の看板と、大きなトラックも停まっている。
周囲に、人影はない。
一台目、トラック。
鍵がない。
仮にあっても、このサイズを運転する自信はない。
二台目、乗用車。
……やっぱり鍵なし。
最後の一台。
鍵が――刺さったままだ。
車種は……軽トラ。
思わず、笑ってしまった。
やっぱり、軽トラ様様だな。
すかさず、エンジンをかける。
……かかった。
よし、これで防御柵を完成させられる。
--------その瞬間だった。
雨音に紛れて、何か違う音が混じった。
最初は、気のせいだと思った。
だが、次の瞬間、背中が冷える。
それは――走る音だ。
顔を上げた時には、道の奥から感染者が一体、全力で走り込んできていた。
警備員の服を着ている。
この工事区画に、最初からいた感染者の可能性が高い。
完全に、俺の油断だ。
鍵があることに意識を持っていかれ、索敵を一瞬、怠った。
引き返す距離は、もうない。
ここから村に戻っても、確実に追いつかれる。
この道は川に隣接していないため、自然を使った撃退も不可能だ。
そして何より、今日はバットを持っていない。
作業の邪魔になるため、置いてきてしまった。
……詰んだかもしれない。
俺は車に飛び込み、ドアを閉める。
ドンッ!!
衝撃が車体を揺らす。
フロントガラスに、顔が張り付いた。
濁った目。
開いた口。
化け物のような歯。
次の瞬間――
バキィッ!!
フロントガラスに大きなヒビが入る。
感染者は何度も頭突きを繰り返す。
獲物を喰うことしか考えていない。
そして割れた隙間から、噛みつくために、
頭を無理やり突っ込んでくる。
頬、鼻、口が、そのまま車内にねじ込まれる。
唾液が飛ぶ。
距離、五十センチ。
俺は反射的に、全力で足を突き出した。
――顔面ッ!!
鈍い衝撃。
靴越しに伝わる骨と肉の感触。
渾身の蹴りで感染者の頭が外へ押し戻されるが、車体を掴んで離さず、完全には振り払えない。
だが、わずかに怯んだ。
しかし――終わらない。
側面から。
ドンッ!!
大きな衝撃音。
二体目。
……くそ。
一体いれば、複数いるのが常識だ。
考えている余裕はない。
俺はキーを回し、アクセルを踏み抜いた。
車が跳ねる。
前方にいた警備員の感染者がタイヤに巻き込まれ、下へ引きずり込まれる。
バキバキと嫌な音がしたが、そんなことを気にしている場合じゃない。
さらにアクセルを踏む。
だが、側面の感染者は荷台に上がり、後部の覗き窓を突き破ろうとしている。
車は全力で走り出したが、ハンドルが言うことをきかない。
感染者を巻き込んだことでタイヤが制御できなくなったのか、完全にコントロールを失い――
――ガンッ!!
凄まじい衝撃。
ガードレールにぶつかったのか。
車体が弾かれ、回転する。
まるで世界が崩壊するように、
天地が逆になり、重たい衝撃が前後左右すべてから襲ってくる。
車は、横転した。
その際、荷台にいた感染者も踏み潰されたのか、
鈍く、嫌な音がした。
……だが、俺の記憶は、ここまでだ。
意識が、闇に沈んでいく。
雨音だけが、遠くで、鳴り続けていた。




