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反異世界転生論  作者: 九式


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第3話

「……さて。諸君らがその『異世界』という名の、無菌状態の培養液に浸り、そこで手に入れようとしている、あの虚ろな、あまりに虚ろな『他者』について述べよう。

 君たちがこの現実世界において、最も憎み、最も忌避し、最も病的に恐れているもの。それは、魔法が使えないことでも、金がないことでもない。それは、『他者』という名の、予測不能で、理不尽で、あまりに煩わしい、肉体を持った人間たちの存在そのものだ!

 本来、この地上において、いかなる小さな『成功』であろうとも、それは必ず『人間関係』という名の過酷な関門を通過せねばならぬものだった。商売であれ、芸術であれ、あるいは愛であれ。己が何かを成し遂げようとする時、そこには必ず、自分を理解しない者、自分を軽蔑する者、自分を出し抜こうとする者たちが、巨大な壁となって立ちはだかる。

 その他者という名の荒波に揉まれ、言葉を尽くし、時には頭を下げ、時には激しく衝突し、自らの自尊心をボロボロに擦り減らしながら、ようやく一歩を刻む。その『摩耗』。その『失敗』。その『拒絶』。

 これらこそが、人間という存在に、厚みと、陰影と、そして揺るぎない説得力を与える。

 いいか。成功とは、単なる結果の集積ではない。成功とは、他者との摩擦によって、己という名の石くれが、どれほど鋭く、あるいはどれほど滑らかに研磨されたかという、その『加工のプロセス』そのものを指すのだ!

 しかし、諸君らはどうだ。

 人間関係という名の、この世で最も難解なパズルを解くことを放棄した。自らの周りに、自分を傷つけない『安全な無菌室』を築き上げ、その中で、他者との接触を最小限に抑えながら、孤独な王として君臨しようとしている。

 異世界転生。

 ああ、なんと卑怯で、なんと滑稽な解決策か!

そこでは、人間関係という名の摩擦係数は、あらかじめゼロに設定されている。何を言おうと、どれほど無愛想であろうと、どれほど他者理解に欠けていようと、世界は自動的に諸君を称賛し、諸君を理解し、諸君を愛するようにプログラミングされている。

 世界は諸兄らの親ではない。無償の愛は貰えない。君たちは人間関係を経由せずに、結果だけを横取りしようとしている。自分という人間を、誰とも交わらせることなく、ただ『全能の神』として、一方的に世界に君臨させようとしている。

 他者との衝突を恐れ、他者からの軽蔑を恐れ、自らの醜さを他者の眼差しに晒されることを恐れる者が、なぜ、あちら側の世界へ行けば、英雄になれると信じられるのか。

 耳ある者は聞け。諸君らは、自分自身を鍛え上げるための唯一の砥石である『他者』を、自ら破壊したのだ。

 磨かれることを拒絶した石に、一体何の輝きがある。他者という鏡に映し出されることを拒絶した魂に、一体何の輪郭がある。

 諸君。かつて我々の祖先は、言葉を交わすたびに、血を流し、肉を削ぎ、自らの存在を他者に刻み込んできた。その言葉には、相手の心を動かし、世界を変えるだけの、圧倒的な『重み』があった。

だが、君たちの言葉はどうだ。

 それは、他者の反応をあらかじめ設定された範囲内に限定するための、ただの『コマンド』に過ぎない。それ会話をしているのではない。自分という名のOSの上で、他者という名のアプリケーションを起動させているだけだ。

 ここは、諸君を無条件に理解する者も、沈黙を美化してくれる者もいない、冷たく、硬く、他者の冷笑に晒される、現実だけだ。」

(話者は机を叩く。)

「諸君。あの主人公たちは、君たち自身が、この現実の対人関係において積み重ねてきた『無数の死骸』のなれの果てではないか。

 他人の目を見て話すことができない、会話の『空気』とやらを読み違え、場の中心から静かに排斥される。他者の心の機微を察する繊細さもなければ、自らの意志を、衝突を恐れずに伝える蛮勇もない。現実で成し遂げられなかった理想が遊離して投影されたのがあいつらだ。

会話能力?

空気?

他者理解?

 あちらの世界では、そんなものは一切不要だ。なぜなら、彼には『設定』という名の、暴力的なまでの全能感が備わっているからだ。

 彼がボソリと呟いた一言が、なぜか『深遠な知恵』として賢者に称賛される。彼が他人の顔色を伺わずに放った無礼な言動が、なぜか『高潔な精神』として王族に敬愛される。彼の、この現実ではただの『コミュ障』と断じられるはずの挙動不審な振る舞いさえもが、あちらでは『底知れぬ強者の余裕』として、他者を虜にする。

 笑わせるな! 片腹痛いとは、まさにこのことだ!

 諸君、私は問いたい。なぜ、この現実で誰一人として説得できなかった諸君らの言葉が、あちらへ行けば世界を動かす金言に変わると信じられるのか。

 それは、他者の否定だ。それは、人格の否定だ。

諸君らが求めているのは、『自分が変わること』ではない。『自分に都合が良いように、世界の方が変わってくれること』だ。

 会話とは、本来、互いの魂を削り合い、譲歩し、傷つきながらも一筋の共通理解を見出す、血生臭いまでの『格闘』であったはずだ。

 諸君らを軽蔑する。その、他者理解という名の、最も高貴な義務を放棄したことを。その、自分という不完全な人間をそのまま受け入れろと、世界に向かって幼児のように駄々をこねる、その甘ったれた根性を。

 諸君らは、この現実世界において『他者との摩擦』を病的に恐れ、人間関係という名の、この地上で最も苛烈な戦場から敵前逃亡した敗残兵たちだ。嫌われたくない、傷つきたくない、自分の領域を侵されたくない。その、あまりに矮小で、あまりに軟弱な自意識を保護するために、貴摩擦のない世界を夢想し、物語の中に逃げ込んだ。これこそが、精神の近親相姦であり、論理の自殺である!

 諸君、よく聴け。摩擦のない社会は、社会ではない。それは、ただの『自慰の延長』だ。

 人間を避けた者が、人間に囲まれる。

 この喜劇的な矛盾の裏側にあるのは、諸君らの『傲慢な独裁欲』だ。貴様らは人間関係を拒絶しているのではない。貴様らは『自分にとって都合の悪い人間』を拒絶し、代わりに『自分を全肯定するだけの部品』としての人間を、無限に欲しているだけなのだ。

 それは他者への愛ではない。それは他者への究極の支配、他者の尊厳に対する、最も卑劣な略奪行為である。

 その人形たちの声は、すべて自分の脳内で響く『設定の反響音』に過ぎない。そこには、諸君を真に驚かせる他者はいない。諸君を心底から怒らせる他者もいない。絶望させる他者もいない。ゆえに、そこには『君自身』もいないのだ。

 社会とは、摩擦によって生まれる地獄であり、同時に唯一の救済である。その他者という名の地獄から逃げ出し、自分を全肯定する偽りの天国を築いた貴様らは、もはや人間としての形を保ててはいない。

 さあ、その『摩擦のない楽園』という名の、不潔な幻想を今すぐ焼き捨てろ。

 ここにあるのは、貴様を否定し、貴様を蔑み、貴様を無視しうる、本物の他者たちがひしめき合う、この現実だけだ。

 諸君らは、人間が人間として生きるために不可欠な、ある一つの神聖なる『覚悟』を、ゴミ箱の中に投げ捨てた。

 それは、『嫌われる』という覚悟だ。

 他者の眼差しに晒され、拒絶され、蔑まれ、それでもなお、自分という存在の正当性をこの地上に刻み込もうとする意志。その、摩擦と恥辱を伴うプロセスこそが、自意識という名の荒野に唯一の杭を打つ行為であった。

 再度言おう。

 これまで、この現実世界において、一人の他者とも真摯に向き合わず、一人の異性の瞳を真っ直ぐに見つめることもできず、ただ、スマートフォンの画面の裏側で、匿名という名の泥の中に身を潜めてきた諸君らが……なぜ、世界が変われば、急に認められると信じられるのだ。

 なぜ、言語も、文化も、価値観も異なる異邦の地へ行けば、急に他者を導く英雄になれると、本気で、正気で、そう確信できるのだ。

 変われるなら、今、この瞬間、この現実で変われるはずではないか!

 もし諸君らに、他者の心を揺さぶるだけの熱があるならば。もし諸君らに、世界を屈服させるだけの知恵があるならば。もし諸君らに、他者を愛し、愛されるだけの資格があるならば。

 異世界の空に憧れている暇があるならば、今、この瞬間、隣に座っている見ず知らずの他者の眼を、死ぬ気で覗き込んでみろ。その摩擦に、その拒絶に、その恥辱に、耐えてみろ。」

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