第5話 迷宮にて初めまして
額に滲む汗を拭う。霊の声も、扉を叩く音も、今は聞こえない。先程とは打って変わって辺りは静まり返っている。まるで最初に入ってきた時のようだ。
「はぁ、はぁ、とりあえず、ここまで来れば一応大丈夫か?」
「そ、そうですね。おそらく」
現在三階の廊下にて、二人して上がった息を整えていた。
「しっかし、悪霊っていうのはあんなにわんさか居るもんなのか?」
「いえ、あの方達の殆どは浮遊霊だったと思われます。以前説明をした、悪霊は多くの魂を取り込むという話しを覚えていますか?」
清珠や颯太と初めて会った時に説明してくれたことだろう、勿論覚えている。俺はあの時の清珠の言葉を思い起こす。
『悪霊は多くの魂を取り込もうとします。それは死者の魂だけではなく、時に生者の魂までも取り込みます。そして強力になった悪霊は根源へ、根源は呪いを生み出し、その呪いを侵蝕させていきます』
「悪霊や根源、呪いについて説明してくれた時のことだろ?」
「はい、それです!」
清珠は嬉しそうに頷く。
「大元となる悪霊が多くの魂、つまり浮遊霊などを取り込むんです。取り込まれた浮遊霊は、その悪霊が放つ悪い気によって、やがて侵食されていきます」
「侵食、同じ悪霊のようになるってことか?」
「その通りです。だから、あの方達も被害者だと言えます」
「そうか……」
死してなお、この言葉が強く頭に浮かんだ。正直この仕事に就いてから、何度も思い浮かべている言葉だ。死してなお苦しみに囚われ続ける。この事実に、どうしようもない虚しさに襲われるのだ。きっとこの感情は、この仕事を続ける限り、何度となく味わうことになるのだろう。
「だからこそ、私達浄化師がいるんです。あの人達を救うためにも、頑張りましょうね、桔平さん!」
清珠の明るく真っ直ぐな言葉が、心にじんわりと滲む。そうだ、清珠の言う通り、俺達は救うために此処に来ているのだから。俺自身が沈んでなどいられない。
「そうだな」
沈みかけた気持ちを引き上げ、気を引き締める。しかし、とある大問題が一つ。
「ただ、このおかしな空間をどうするかねぇ……」
「そうなんですよね……」
この建物の中が、既に正常な状態ではないということだ。
ここへ逃げてくる前、最初はホールに戻ろうとしたのだが、いくら走っても廊下が延々と続くばかりで、ホールへ辿り着くことが叶わなかった。
別のルートでホールへ向かおうとするも、無いはずの壁や通路が出現していたり、あり得ない場所に扉があったり……。ホールへの道は完全に無くなっていた。
そのため俺達は、別の場所にあるはずの階段を見つけた時、一旦上の階まで逃げようと決め、こうして今に至る。
この状況は、あの時の会社とよく似ている。根源の呪いによって、この空間に閉じ込められているのだろう。
「スマホも電波が繋がらないな」
完全に外との繋がりを絶たれている。
「空間の歪み方が酷いですからね。でも、このままこうしている訳にもいきませんし……。桔平さんは大丈夫ですか?」
心配そうな瞳が俺を見る。
「俺か? 正直狼狽えてはいるけど、前にも体験したことがあるから、まだ大丈夫だな」
「それは心強いです。では早速、このフロアを探索していきましょうか。私が先を歩きますね」
「悪いな、ずっと」
「気にしないでください。この仕事においては私の方が先輩なんですから、先輩が先陣を切るのは当たり前です!」
えへんと得意げに胸を張る清珠、頼もしくもあり、微笑ましくもあり。この状況下でも気持ちが折れずにいられるのは、清珠のこの明るさのおかげだろう。
しかし、だんだんとその表情に翳りがさす。
「清珠? どうかしたか?」
「あの、今更ながら、申し訳ありませんでした」
「……何がだ?」
何故謝っているのだろうか? 特に謝られることなどされていない。清珠は、星掴みのエレーヌと大きく題名が書かれている本をきつく抱きしめる。
「あの時、私が迂闊にこの台本を取りに行かなければ、こんな状況になっていなかったかもしれません。何より、桔平さんを危険な目に合わせてしまいました。守るどころか全く反対の行動を取ってしまって、本当に申し訳ありません!」
深く頭を下げる清珠。あぁ、これじゃあまるで、あの時の俺のようじゃないか。
「俺は全然大丈夫だって。それに、こうなったのは清珠のせいじゃない。遅かれ早かれ、こうなるのは時間の問題だったはずだ。たまたまそうなった瞬間が、あの時だっただけで、ただそれだけのことだよ。だから大丈夫、な?」
「それって……」
何だか少し気恥ずかしくなってきて、曖昧な笑みを浮かべる。
「あぁ、あの時俺が颯太に言われたことだ。でも、今まさにそう思うんだよ」
あの時の言葉が、今に続いていく。
「それに、この仕事をするにあたって、こうなることだって覚悟の上だからな。初めて会った時とは違って、今は俺も浄化師だ。だから、清珠一人がそんなに責任を負うことはない」
「……桔平さん、ありがとうございます」
清珠の表情が元の明るさを取り戻していく。肩の荷も下りたようで、俺も一安心だ。
「それじゃ、気を取り直して探索としますか」
「はい!」
俺達は歪んだ空間の中を歩き始めた。
♢
扉を開けた先には、劇場の通路が続いていた。
「また通路か」
「どの扉を開けても、通路ばっかりですね」
あれからずっと劇場内を彷徨い続けている。行く先々に見つかる扉を、片っ端から開けていくも、扉の先にあるのは通路ばかり。
ホールへ辿り着くこともなければ、舞台に辿り着くこともない、かと言って他の部屋に辿り着くわけでもない。出口も無ければ入口も無い。雁字搦めに延々と続く、似たような通路を歩むばかり。
「頭がおかしくなりそうだ」
「私もです……」
会社の時と似たような状況だが、こうも同じ風景ばかりが続くと、あの時よりも、大きな不安と恐怖が心を蝕んでいくようで。
その不安と恐怖が表面に出ないよう、何とか取り繕うが、この状況が非常に不味いということは、お互い感じているだろう。何か打開策を見つけなければ、この延々と続く通路から、脱するための手段を……。
「清珠?」
気がつけば、隣にいる清珠は腕時計を見つめていた。時間の確認をしていると言うのには、余りに真剣な表情だった。俺の呼び掛けに、清珠は顔を上げる。
「桔平さん」
「お、おう」
「ちょっとそのまま前を向いていて貰ってもいいでしょうか!」
「はい?」
予想外の返答に俺の頭はフリーズを起こす。
「え、どういうこと?」
「え、えーと、その、良いと言うまで前を向いていて下さると非常に助かると言いますか、ありがたいと言いますか……!」
必死に慌てふためく清珠の様子を見るに、今はこれ以上問い詰めない方が良いだろう。俺は素直に従うことにした。
「分かったよ。じゃあこのまま前を向いてれば良いんだな?」
「ありがとうございます!」
しかし、いったい何だ? 背後からは、清珠が動いてる音が微かに聞こえてくるが、何をしているのか皆目検討もつかない。
やがて、その微かな音も聞こえなくなる。俺は「清珠?」と呼び掛ける。その声に応えるように、背中をトントンと叩かれた。
これは、もう振り返っても良いということだろうか。俺は、恐る恐る後ろを振り返る。
「?」
そこには清珠が立っていた。しかし、いつも二つに結ばれている長い髪は、一つに結ばれている。髪型を変える為だけに? いや、そうは思えない。
何より、目の前の清珠は先程までと違って、何か違和感があった。髪型以外は何も変わっていないはずなのに、何かが違う、ような……。
そう言えば、前にも同じような違和感を清珠に抱いたことがあった。俺の初仕事が終わって、事務所に戻った時、阿李屋さんに背負われていた時の清珠にだ。
奇妙な感覚に包まれる。今目の前に立っている清珠は、本当にいつもの清珠なのか?
「やっぱり、その様子だと何となく気がついてはいたんだ」
「え」
清珠と思われる人物から発せられた声に、俺は驚愕する。だって、この声は──。
「こんばんは、いや、違うな。こうしてちゃんと対面するのは、桔平さんにとっては初めてか。初めまして、僕は善城院 凛」
目の前の人物は、少女の声ではなく、少年の声で、淡々とそう言った。
「清珠の双子の弟さ、一応ね」




