庶民と研究者
「悪いな、足元に気をつけてくれ」
「いえ……」
物珍しさからついあちこちに視線が行ってしまう。
なんだかよくわからないオブジェのようなものや、複数の大きな本棚、紙束の塔といったものが所狭しと並び、確かにお世辞にも綺麗な部屋とは言えなかったが、同時になんだか居心地のいい部屋でもあった。というのも恐らく──。
「このお部屋、窓がないんですね」
「ああ。ここには貴重な書籍も多くある。自然光でそれらが傷むのは避けたかったからな、元々物置だったらしいここを敢えて割り当てて貰ったんだ」
「なるほど」
道理で、幾分か気持ちが落ち着いているはずだ。
他の部屋って、それこそ今私に割り当てられているものもそうだが、窓が大きすぎて若干落ち着かない時がある。窓自体が云々というより、一般的な民家ではまずお見かけすることがない大きさ然り、天窓然りで、強烈な『他人の居住空間に放り込まれた』感覚が拭い切れないのだ。
「窓がないって……落ち着きますね!」
「キミ、正直だな。この城全体が落ち着かないと言っているのと同じだぞ」
「落ち着かないのは事実なので……」
こんな煌びやかな城、一般庶民が落ち着ける訳ないでしょうが。なんなら落ち着いてる方が怖い。
「落ち着かない中悪いが、早速幾つか質問させてもらうぞ」
とりあえず空けてありますといった区画に案内され、小さなテーブルを挟んで向かい合って座る。
すごい、ふかふかの椅子だ。やはり研究云々で長時間座ったりするからだろうか。
「まず眠れなくなったのはいつからだ?」
「具体的には覚えてないんですけど……二週間くらい前だったように思います」
「しかし生活習慣は特に変わったところはないと」
「はい。眠れていた時と同じように生活していました」
「普段はどのような仕事を?」
「国境寄りのレストランで……あっ」
そうだ、女将さんに連絡!オルヴァ様に頼んでいいのかはわからないが、聞くだけ聞いてみないと。
「あの、オルヴァ様にお願いしていいのかわからないのですが、私、女将さんに無断でこちらに来てしまいまして……」
「ああ、その辺はアレックス……ああいや、アレクシスが上手くやっているはずだ。あいつは抜かりないからな」
流石完璧王子、そんな所にまで気が回るとは恐れ入る。そこまで入念にされるともはや怖いまである。私の入城って計画とかされてた?そんなわけは無い。どちらかというと押しかけたのはこちらです。お客様、ご着席ください。
というか今のって多分アレクシス様の愛称かな?親しい間柄なんだろうなとは見ててわかったけれど、本当に仲が良いんだなぁ。じゃなくて。
「それを聞いて安心しま……安心していいのかはわからないですけど、ありがとうございます」
「ははは。安心だけしておきたまえ」
うーん少々不穏な相槌。まあ、突っ込むのはやめておきます。私も自分の命が惜しいので。
「あ、そういえば昨日久しぶりに寝れました」
「なに!?それをもっと早く言いたまえ、どんな状況だったのか事細かに聞かせなさい、嫌とは言わせないぞ」
すごいすごい勢いがすごい。急に食い付きが良くなったオルヴァ様に内心びくつきつつ、なるべく仔細を──かなり気まずかったが、意識的に淡々と──話すと、オルヴァ様は何事か考え込んでいる。
「ふむ。そうか……」
何言われるんだろう、変な汗かいてきた気がする。知り合い程度の人とのこういう沈黙苦手だー、気まずいから。とりあえず早くなんか言って欲しい。
「結論から言おう。思い当たる節はあるが、キミに話していいのかまだわからない。こればっかりはアレクシスの判断待ちだな。といっても、あいつにも目星がついているだろうが」
「……この城の造りや立地に関して、みたいなアレですかね?」
「おや。アレクシスはそこまで話したのか。全く、困った王子だな」
「いえあの私も聞くつもりは毛頭無かったのですが、アレクシス様が」
「そう焦らなくていい。どうせあいつがそうとは言わずに押し売りしたんだろう。キミに聞かずともわかる」
眉間を押さえながら溜め息を吐くオルヴァ様に、なんとなく二人の関係が垣間見えたような気がする。多分日頃からアレクシス様がオルヴァ様を振り回しているんだろうな。いつもお疲れ様です。
「キミが言っている『アレ』で正しいのだが、そこまで話しているということだし、キミの生活に関わることでもあるし、なにより……アレクシスのあの様子なら、折を見てあいつが話すだろう」
ここで教えてやれず悪いな、と申し訳無さそうなオルヴァ様にぶんぶんと首を振る。王家関連のことなら仕方ないし、この反応が普通だ。あんな軽い感じで教えてくるアレクシス様の方がおかしい。一般庶民に重荷を背負わせないでください。
それから幾つか聞き取りをされて、しばらくかりかりと紙に書き付ける音だけが響く。
それから更にしばらくして、オルヴァ様がふう、と一息ついて顔を上げた。
「今日のところはこれくらいでいいだろう。これ以上はまた明日以降にしよう」
「わかりました。ありがとうございました」
「礼を言うのはこちらの方だ。今後も付き合わせることになるだろうが、よろしく頼む」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げる。なんていうか、お医者さんと話すのに似てるな。そう考えると無駄に身構えず済む気がするから、今後もそのように考えよう。
「この後は何処かに行くのか?もしそうなら送って行こう」
「いえいえいえ恐れ多いですジゼル……侍女の方を呼びますので」
「おや、もう親しくなったのか。少々妬けるな」
「はひぇ」
急にぶち込まれた右ストレートに構えなどあるはずもなく、漏れなく変な声が出た。
「フフ」
「あの、オルヴァ様。私のような庶民を貴族のご令嬢方と同じように扱われずともよろしいのですよ」
「何を言う。キミは素晴らしい女性だし、俺がしたいようにしているだけだとも。それよりも、だ」
突然すっと距離を詰められ、こちらが距離をとる前に顔に影がかかって──。
「言葉遣い」
「ひゃ!」
今度こそばっと離れる。ついでに左耳も押さえる。なんか息当たった。なんか息当たった!急速に耳が熱を持つのがわかる。そこからじわじわと顔全体が熱を持ち始めるのがわかった。
「なっ、何を……」
「また硬くなってるぞ。もっと気を楽に。さ、何処へ行く?」
そのまま固まっている私を他所に、ご機嫌な様子でさっさと扉へ歩いていくオルヴァ様の背中を見ながら、思わず呟きが漏れたのだった。
「そういうことされるから構えるんですよ……!」
意外とそういうところあるよねー、というオルヴァ。