不眠症
「ステライド無しで我々とここまで近付いて起きていられるとは……俄には信じ難いな」
「だろう?だからとりあえず君の見解を聞こうと思ってね」
こちらに興味津々の様子であるオルヴァ様にアレクシス様もこちらへ視線を向ける。超絶美形の視線二つは人嫌いにはそこそこしんどいものがある。
「私自身は全く思い当たる節はないんですけど……」
「最近生活習慣を変えたりなどは?」
「全く。普段通りの生活をしていました」
「ふむ……」
自分でもまるで原因がわからないものだから、回答のしようがないのが若干心苦しい。
「このような症例は、俺の記憶の限り我がルーナリア王国の中でも史上初であるはずだ。記念すべき第一号だ、誇っていい」
「誇れるようなことではなくないですか……?」
「まあ当人からすれば深刻な困り事だろうしな」
「はい。本当に」
深刻過ぎて今ここにいますからね。本当に。
「そうだな……。一先ず眠らずの病ということで、仮に不眠症とでも名付けよう」
「良かったねセレネちゃん。かなりの確率でこの国の歴史に名を刻むよ」
「全くもって嬉しくないですし本当にご勘弁願いたいんですが」
「それは無理な相談だな」
「それはかなり無理があるね」
アレクシス様とオルヴァ様から同時に言われ、なんだか泣きたくなってきた。ただ眠れないだけだと思っていたのに、本格的に大事になってきた。
「色々と調査したいことはあるが、そのためにもとりあえず国王様に彼女の城での滞在許可を取るのが先決だな」
「ああ。僕もそう思ってたところ」
「あの、ちなみに私の滞在期間というのは……」
「もちろん、君がある程度眠れるようになるまでだろう」
「ですよねー……」
わかってはいたが聞かずにはいられなかった。覚悟はしていたものの、いざ言われるとかなり困る。だって私、着の身着のままで来ちゃったよここまで。そもそもが考えなしだったから。
「一旦自宅に帰ったりは……」
「構わないけれど、よっぽどの物がなければこちらで身の回りのものは一通り揃えるよ」
「いえいえいえそんな恐れ多いです」
「いや、キミにとって相応のもてなしだ。なんせキミはこれからこの城に軟禁されるのだからな」
「オルヴァ」
「取り繕っても仕方がない。事実だろう」
窘めるようなアレクシス様をものともせず、オルヴァ様ははっきりと言い捨てる。実際ここまではっきり言ってもらえたほうが有難い。
「そうですよね、わかってはいましたけど」
「というと?」
「私のこの症状って、突き詰めれば王族の権威にも関わりますよね?」
「……キミは俺が思っていた以上に賢い女性のようだ。キミへの認識を改めよう」
「ありがとうございます……?」
こういう時ってお礼が正しいのか……?まあお礼なんて言って言いすぎることないから。これはこの世の真理。
「ふふん。あまりセレネちゃんを見くびらないで欲しいね」
「アレクシス様は私のなんなんですか?」
「うーん……保護者?」
「私とアレクシス様でだいぶ認識のズレがありますね」
「つれないなぁ、セレネちゃんは」
つれないも何も、さっき出会ったばかりですが。まあ許可を貰ったといえどその状態でこんな不遜な態度になってる私も私ですが。
「俺は賢い女性は好きだぞ」
「ちょっと、オルヴァやめてよ。先に粉かけたのは僕だよ」
「どちらからも粉はかけられていませんが……」
ルーナリア王族、息をするようにこちらを惑わせてくるな。オルヴァ様はそんなふうに見えなかったから余計怖い。常に構えよう。
「さて、それでは」
「行こうか」
「というのはつまり」
「ああ。王の御前に」
こんな唐突かつさっくり王様と謁見が決まったことってありますか?私はないです。
「もしかしなくても今からですか?」
「うん。善は急げって言うでしょ」
「こういうことは早ければ早いほどいいからな。さ、セレネ嬢。御手をどうぞ」
「駄目だよ。セレネちゃんの手はこっち」
「あの、今までアレクシス様のされるがままになってはいましたけど、一人で歩けますのでどうぞお気遣いなく、むしろお二人でどうぞ」
そりゃお二人は王族なのだから女性のエスコートは慣れっこだとは思いますけれども、エスコートされる側の私は何の変哲もない一般庶民ですからね。王族お二人にエスコートなんてされた日には恐れ多すぎてその場で立って気絶しますからね。美形は美形といた方が絵になるし。
「…………」
「…………」
そんな私のお断りに対し、もはや何度目かもわからない肩の震えを抑えられなくなっているアレクシス様と、こちらに手を差し伸べたまま固まっているオルヴァ様。
急に時止まったけどなんで?沈黙が怖いから何か言って欲しい。特に笑ってるだけのアレクシス様。
「………………っふ」
不意にオルヴァ様の目尻がふわりと緩んだ。と思ったら。
「ふっ………ははははっ!」
物凄く豪快に笑い始めた。それにつられたのか、アレクシス様も声を上げて笑い始める。えっ私なんか恥知らずみたいなことした!?怖い!笑いものになってる!
というかルーナリア王族の方々ってみんな笑いのツボ浅いの?しかもツボよくわかんない感じなの?
人間怖いモードに突入し怯えまくる私を置いてけぼりにして、二人が爆笑することしばし。
「ははっ……は……はぁ……」
「ふふふっ……ふふっ……」
「………今後の参考に恥を忍んでお伺いするんですけれども、私の何が悪かったでしょうか……」
「いや、すまない。キミは何も悪くない」
「はー、笑った。じゃなかった、セレネちゃんは本当に悪くないよ、なんにも。悪いのは僕たち」
「優しい嘘って時に更に刃になるんですよ」
「嘘じゃないって!ほんとにほんと。ごめんね、セレネちゃん」
声音こそ真摯だが、目尻に涙を浮かべながら言われても全くもって説得力がないです、アレクシス様。
「成程な。アレクシスが懐くのも頷ける」
「頷くのはいいけど、君にはあげないからね」
「私はアレクシス様のものではありませんが……」
いつの間に私はアレクシス様の所有物になったのでしょうか。嘘はやめていただきたい。
「それで、セレネちゃん?」
「はい」
「御手を、どうぞ?」
やっぱり誤魔化されてくれなかったか。この人相手になあなあにするのは難しいことを実感した。なあなあにさせて欲しい時もあるのですよ、人には。
「……」
「……」
「…………はい」
またしても無言の圧に負け、私は渋々差し出された手に自分の手を重ねたのだった。
「不眠症」
「はい。それ故、症例の研究がてら彼女の城への滞在許可をいただきたく御前に参った次第です」
「そうか……」
オルヴァ様のお言葉に、国王様──威厳がある中にアレクシス様と似た面影もある──は難しい顔をされている。
やっぱり急に一庶民が城に滞在なんて無理ですよねそうですよね。寧ろそうだと言ってください。私にも荷が重いです。
気まずさで下を向きそうになる顔を無理やり固定して、国王様のお言葉を粛々と待つ。
「人より寝付きにくいというのは見たことがあるが、全く寝付けないというのは初めてだ。そなたも苦労しただろう」
「いえっ!恐縮です……」
まさか国王様から直接お言葉を賜るとは思わず、再び声が裏返りそうになった。危ない。というか返しはこれで合っているのか?不敬罪にあたらないよね?
「国民の憂いは我が憂い。オルヴァもこう言っていることだ、きちんと眠れるようになるまで城にいるといい」
「あっ……ありがとうございます。国王様の寛大なお心に感謝いたします」
いいんだ!?と喉元まで出かけたのを危うく飲み込んだ。そんなこと言ったら本当に不敬罪になる。こんな所で死にたくない。
それから私以外の三人であれよあれよという間に話が進み、気づいたら城の中に自分の部屋ができていた。何を言っているかわからないと思いますが、私にもわかりません。超展開過ぎる。ちなみにオルヴァ様はまだやることがあると言って自室に戻っていった。
「ここがセレネちゃんの部屋ね。侍女を一人付けるから、何かあれば彼女に言って」
いつの間にかいた侍女の方に頭を下げられ、慌ててこちらも頭を下げる。本当は全部自分でやりたいけれど、どれを触って良くてどれを触ってはいけないのかもわからないし、郷に入っては郷に従えというやつだ。
「とりあえず今日は……たぶんあんまり眠れないとは思うけど、身体を休めて。オルヴァからの聞き取りとかは明日以降になるから」
「はい。あの、お手数をお掛けして本当にすみません」
「全然。寧ろ迷惑をかけているのはこっちだからね。仕方がなかったとはいえ、急にこんな所に連れてきちゃって」
「とんでもないです。今日からお世話になります、よろしくお願いします」
アレクシス様にも頭を下げると、彼は「こちらこそ。それじゃあ、おやすみ」と去っていった──。
「あ。一つ言い忘れてたけど、合間を縫って今後も君の様子を見に来るから」
「えっ」
「そりゃそうだよ。僕が連れてきた以上、僕が面倒見なきゃね」
「いやいやいやアレクシス様にそんなお手数をお掛けする訳には」
「全然『お手数』じゃないから大丈夫。じゃ、またね」
ひらひらと手を振って今度こそ去っていく背中。全然話聞かないよあの人。
それにしても、本当に大事になったな。と半ば他人事のような感想を抱いてしまう。人って現実味のない出来事に立ち会うと自分のことですら他人事のようになるんだな。一つ勉強になりました。というか。
「王子様って、もしかして暇なのか……?」
絶対にそんなことはないであろう私の呟きだけが、広い廊下にぽとりと落ちたのだった。
アレクシスを見たらわかると思いますが、国王様も割とライトなノリです。この親にしてこの子あり。