庶民と王子の攻防
あれからとんとん拍子に話しが進み──というか王子様の言うことなので誰も口を挟めなかったというのが恐らく正しい──私は今、恐れ多くも王子様の後ろに跨り、馬上で揺られていた。
いやなんでだよ。いやいやいやなんでだよ。
動揺しすぎて二回言ってしまった。頭がおかしい時って頭がおかしい時間と頭が冷えて冷静になってる時間があるじゃないですか。今後者なんですけど、何がどうなったら今の状況になるの?我ながら訳わからん。
「申し訳ないんだけど、もっとしっかり腕を回してくれると有難いな」
と、仰いますけども。
普通に考えて王族と何の縁もゆかりも無い一般庶民が、一国の王子様の後ろに座らせていただいているのに、貴方は更に腕を回せと。
とは内心思いつつ、馬上で不安定な体勢が危ないのは揺るぎない事実。どう考えても王子様の方が正しいので、大人しく腕を回す。回すけども。
そもそも私は人が嫌いなんですよ。パーソナルスペースがかなり広いです。こちらの男性は本日(お互いに相手を認識したという意味で)初対面。ましてや異性。ましてや王族。
こちらとしては、かなり厳しい要求をされていますよ。
そんな私とは裏腹に王子様は全く気にしていなさそうで、やっぱりこの人女慣れしてるんだなー、怖すぎるなー、となっている。
「ああ、そういえば自己紹介がまだだったね。重ね重ねの非礼を詫びよう」
「いえ!全くもってお構いなく!」
「それはちょっと難しいなぁ」
君とは向こうしばらくお付き合いがありそうだし、とのんびりした口調で私をばっさり切った王子様は、「正面を向いたままでごめんね」と更に謝罪を差し出してきた。
さっきから思っていたけど、一般庶民相手にかなり律儀な人だ。もしかして、王族・貴族の中ではかなり珍しいタイプなんじゃなかろうか。
今まで直接接したことはないけれど、所謂お貴族様というのは何かと偉そうなイメージがある。まあこれ読んできた本からの偏った知識でしかないですが。
ルーナリアにも勿論貴族は存在するものの、貴族街から出てくることはあまりないため、平民街の私たちと顔を合わせることは基本的にないのである。なので貴族の皆々様も、私たち平民から言わせればステライドと同じで『実存するのはわかっているが、いまいち現実味のない存在』なのであった。
「君ならもうとっくに予想がついてるとは思うけど──僕はアレクシス・ド・ルーナリア。この国の王子だよ」
「ですよね」
「これでわからないって方が無理あるよねぇ。とはいえ、言わなくてもわかるだろ、ってふんぞり返るのも違うから」
やはり我が国の王子様(本物)はかなり律儀な性格のようだ。最初に受けた印象とは裏腹に。
「それで、君は?」
「えっ」
「君は?なんていう名前なの?」
「いえいえいえ王子様に名乗る程の者では」
「アレクシス」
「えっ」
「ふふっ、この短時間で同じ反応。……ね、僕のことはアレクシスって呼んでよ」
「いや無理ですけど」
「即答」
「即答ですよ。恐れ多すぎます」
「その割には僕と普通に会話できてるけどなぁ」
「正直今冷や汗かきすぎて脱水になりそうです」
「そんな冗談が言えるなら僕のこと名前で呼ぶくらい簡単でしょ」
「冗談ではないですし簡単な訳がないですね」
くつくつと王子様が笑っているが、こちらとしては全く笑い事ではない。この人さっきからなんで私が困ってる場面で笑うんだ?人を困らせるのが趣味なんですか?嫌な王子様過ぎませんかそれは?
「ね、呼んでよ。僕の名前」
「ですから無理です」
「まあまあ、そんなこと言わずに。城の中でも外でも僕の名前を呼んでくれる人ってあんまりいないんだ。こうして出会ったのも何かの縁だしさ。ね?」
なんでこんなに初対面の王子様に名前云々で食い下がられるんだ、と思わなくもないが、ここまで本人が言うならもういいか。もう知らないですよ、私は最初にお断りしたんですからね。
「……これで何か不利益が起きたら王子様が責任とって下さいね」
「勿論。仰せのままに」
「あっそれやめてください恐れ多いので……いやちょっと待ってください、ここまでの私の態度ってもしかしなくても全部不敬過ぎますよね……?あの、申し訳ございません、処分は如何様にも」
超寝不足頭で気が動転しまくった末に会話をしていたので、一国の王子様に対して他人が見ていたら最早ドン引きするくらい失礼な物言いをしていたことに今更気づいた。一気に血の気が引いていくのがわかる。やばいさっきの比じゃなく冷や汗が、私ってもしかしてここで死ぬのかも、皆様応援ありがとうございました、私の来世にご期待ください。
「ストップストップ。今更畏まらないで。今まで通りの遠慮がない感じの方が僕は好きだし、別に僕はこれっぽっちも気分を害していないよ。そもそも無茶ぶりしてるのはこっちだし」
あ、無茶ぶりの自覚あったんだ。とは思ったものの、これ以上不敬の上塗りはできない。沈黙は金。
それはそれとしてやっぱり遠慮がないと思われてたー!これだから人と関わりがないやつは!恥ずかしすぎる!情けなさすぎる!本当にごめんなさい!おうちに帰してください!人が怖い!人と関わりたくない!
「あの、本当に申し訳ございません、もう黙ります」
「本当に気にしてないから、謝らないで。寧ろそんな他人行儀な態度取られる方が傷ついちゃうよ」
「他人行儀も何も他人では……あっ」
「ふっ……そう、その調子……くくっ……」
「全然堪えきれてないですよ……」
笑いたきゃ笑えよ……なんなんだよもう……人間ってなんなんだよ……。
「それで?僕の名前は呼んでくれないの?期待させておいてやっぱり呼ばないなんて、そっちの方が不敬なんじゃないの?」
人間不信になりかけの私を他所に、王子様はめちゃくちゃなことを言い始めた。
「ええー……?」
難癖までつけられ始めてる?
思わず声が漏れてしまったが、意に介した様子も見せず、王子様は今度は堂々とけらけら笑っている。どうせ笑うなら最初からそのように笑ってください。
まあルーナリアの例によって例に漏れず、随分気のいい方のようだ。今も首が胴体と繋がっていることに大いに感謝しなければならない。
「……わかりました。責任の所在も言質を取りましたし」
「そんな厳戒態勢?」
「そりゃそうですよ。本来私はこんなことをしていい身分じゃありませんからね」
「僕から頼んでるんだからそんなの無効だよ」
「……もう」
ああ言えばこう言う。とは思ったが、沈黙は金その二。
「それじゃあ、失礼しまして……。アレクシス様」
「惜しい。呼び捨てがいいな」
「何も惜しくないですし何を仰ってるんですか」
「口調も砕けて欲しい」
「ほんとにめちゃくちゃ言いますね」
「そうそうそんな感じで」
「はっ」
いけない、釣られたというか流されたというか、とにかくいけない。相手は本来、こうして言葉を交わすことすらない雲上人なのだから。
そのはずなんだけど、この人と喋ってるとなんか気が抜けるんだよなー。
というか、喋ってる。こんなに人が嫌いな私が、普通に会話してしまっている。いやまあ、私も人並みの社交性はある(はず)なので無言になるとかはないが、ここまでこう、自然に遠慮なく喋れているというのは珍しい。
この人、他人の懐に潜り込むのが存外上手いのかもしれないな、と内心警戒度を高める。こういうタイプは警戒しておいて損は無い。私は実質捕虜みたいなものだからだ。
……とか言ってみたしそう思ってるのは事実だけど、正直警戒は無意味だったりするのもわかっている。気づかずにここまで心の障壁を突破されている時点で。
なんというか、諸々ひっくるめて厄介なことになってきたなぁ。などと思いながら、とりあえず口を開く。
「…………呼び捨ては無理です。口調に関してはここまでで」
「えー」
「『えー』じゃないです。これでもかなり譲歩してるんですよ」
「君ならまだ上を目指せそうじゃない」
「この場合下では?じゃなくて、無理なものは無理です。今この瞬間もいつお付きの方々に首を飛ばされるのか冷や冷やしているので」
「こういう言い方はあまりしたくないけど、これでも僕がこの中では一番偉いんだよ?」
「はい。かなりの職権濫用ですね」
「あはは!それは本当にその通り」
しがみついている身体が小刻みに揺れる。本当に、さっきから何がそんなに面白いんですか?
「笑いすぎですよ、アレクシス様」
「はー……。そうは言ってもね……。それで」
「はい」
「君の名前は?」
「……今の流れ、完全に誤魔化せたと思ったんですけど」
「誤魔化せてないね。というかここで誤魔化せたとして、城に着いたらいずれにせよ名前は聞くんだけど」
そりゃそうだ。そりゃそうだけれど、ひょっとしたら王子様──アレクシス様には知られずに済むかもしれないじゃないか。私の存在なんか薄ければ薄いほどいい、人間社会においては。こんな人間社会の頂点みたいな人に覚えられてしまっては、生活に何らかの支障が出そうでならない。
「君のことを連れていってるのが僕なんだから、名前を僕に知られないってのは難しいよ」
それは確かに。というか、まるで私の脳内を読んだかのような返答。やはりこの人、一筋縄ではいかない。怖。
「私の脳内読まないでください」
「あれ、当たった?」
「当てに来てましたよね」
「当てずっぽうだよ」
白々しい返答に溜め息を吐きたくなりつつ、先程とは打って変わって重たい口を開いた。
「……………………セレネです。セレネ・リーネル」
「セレネちゃんか。可愛らしい名だね」
「…………」
ちゃん付け。一般庶民に、王族が。こちらに呼び捨てを強請っておきながら、そちらはちゃん付けですか。ちゃん付けなんですか。
「……ありがとうございます」
という想いを抱えつつ、大人しく御礼を言うに留めた。沈黙は金その三。
「さて。ようやく君の名前も聞けたところで」
見えてきたよ、と言われ前方を覗き込めば、何のことかは言われずともわかった。
月光に照らされ静かに佇むのは、この国の巨大なゆりかご──ルーナリア城だ。
確定申告を無事倒し、久々に更新できました。
また更新頻度あげていきたいです。