眠らず庶民と王子様
ルーナリア王国は、大陸の左下辺りに位置する小国だ。
大陸の端の方にあるため、政治的に重要な位置に立つこともほぼなく、周辺諸国とも良好な付き合いを続け、細々と穏やかに暮らしてきた国民たちは、ポジティブな言い方をするならば只管気のいい人々が大半を占めていた。
そんなわけで、ルーナリア王国の治安はすこぶる良いものだった。まあこれにはこの国の特異な面──今から遠からず目にすることになり、今回の外出の目的でもある──も大きく関わっているのだが。
家を出てから、ワクワクとした気持ちも一旦落ち着き、いや私ってこんな夜中に一体全体何をやっているんだろうな、と思いながらも淡々と歩き続けること数十分。
周囲も随分と明るさが増し、足下の小石まで見えるくらいにはなってきた。その正体は木々の隙間を縫って届く人工的な光だ。
そのまま歩き続けて、とうとう街灯が見えてきたところでようやっと足を止める。
「……着いた」
街灯の向こうに聳え立つは、我が国が誇る建造物のひとつ、ルーナリア城だ。
前述の通りできうる限りの争いを避けて強かに生き残ってきたこの国は、周辺諸国と比較しても長い歴史を持つ。加えてこの国では自然災害もほぼないと言っていい。そのため、戦火や災害と言った自分に仇なす者たちを知らぬまま現存している数々の建造物は、歴史的価値を大いに発揮してルーナリア王国の観光資源にもなってくれているのであった。
当然その中の一つに名を連ねているルーナリア城は、城と言うにはかなり繊細な装飾が随所に施されており、溜め息が出そうな意匠の数々は見る者の感嘆を誘う。大抵は歴史の中で失われるそれらの技術も、先程のような背景からこの国では現代に至るまで連綿と受け継がれており、同様の技術を用いた手鏡、ジュエリーケースと言ったようなお土産もかなりの人気を誇っている。
閑話休題。ここまで来てしまえば、後は"その時"を待つだけだ。少々お行儀は悪いが、街道沿いの茂みに潜みながら待つことしばし。
──きた。
街道の奥に"お目当て"の一行が見えて、かなりの嬉しさに包まれる。
ようやくだ。欲を言うならベッドでこんこんと眠りたかったが、ようやく眠れる!そのためにこんな茂みに身を委ねているのだから……!
ここで説明させていただきたいのだが、この私の喜びようには勿論理由がある。というのも、先述したこの国の特異な面というのがこれなのだ。
ルーナリア王国の国民は、何故かは未だに解明されていないのだが、周辺諸国に比べかなり眠りに落ちづらい体質になってしまう。具体的に言うなら、基本的に自力では寝付けなくなってしまうのだ。
不思議なことに、どこで生まれようがどんな人種だろうが、この国に住むと老若男女問わずこういった体質になってしまうのだった。その代わりというかなんというか、この国から出てしまえばこの体質は掻き消える。このなんとも困った体質のことを、『眠らずの呪い』なんて嘯く者もいる。
さらに不思議なことに、ここまで歴史が長い国でありながら、この体質に関する資料というのもあまり作られていないらしい。いくら王族がなんとかしてくれるからって、流石に平和ボケし過ぎなんじゃないかなー、なんて個人的には思っているものの、じゃあ私が諸手を挙げて調べます!となるかと言われれば、答えはノーだ。
そう、不幸中の幸いというべきか、この厄介な体質の解決策──というより対処法は既に確立されている。それも、かなりお誂え向きのやつが。だから『呪い』に関する資料が少ないというのも少なからずある気がする。
それがこの国の王族だ。この国の王族は、その力の大きさに多少の差異はあれど全員、そして必ず、代々人々の眠気を誘う力を持って産まれる。この力を人々は【ルナ】と呼んでいる。
そしてこの国の人々のために、この国の王子または王女が決まった順路を歩き、人々が眠りに落ちる手助けをする、というのがここルーナリア王国の昔からの習わしなのである。人々はそんな王族に感謝を込め、いつしかこれを【月の祝福】──ルナベーネと呼ぶようになった。
他の国の人間に言わせてみれば、普通であれば王族自らが、しかも夜中に出歩くなど言語道断、らしいのだがここは治安がすこぶる良い平和ボケ、おっと失礼、気のいい人々しかいない。だからこそ出来ることなのだろう。余談ではあるが、外部からルーナリア王国へ移住する時の審査はかなり厳しいらしい。
それを抜きにしても、ルーナリア王族に近づけば大抵の人間は眠気に抗えない。治安の良さと王族の権能、この二つがあって初めてルナベーネは実現するのだ。
しかしそのように眠気を振り撒いていては外交に支障が出るのでは、という疑問が出るのも尤もではある。が、これに関しても既に対処法がある。
ルーナリア王国の特産品の一つに、ステライドという鉱石がある。微細な輝きを放ち『夜空の欠片』とも呼ばれているこの宝石は、数百年前にひょんなことから王族のルナを弾くことができる、という事実が発見されてからというもの、王家の間ではいたく重宝されてきた。入城する者や城勤めの者には、ステライドを使用したブレスレットやネックレスといったようなアクセサリーを貸与して、事なきを得てきたのである。
ちなみにステライドに関するあれこれを一般国民が知れる環境でいいのか、という点に関しては心配はいらない。何故か?答えは簡単だ。ステライドはそのあれこれも相俟って超がつくほどの高級品であり、また国内では流通も厳しく管理されていることから、一般国民ではまず手に入れることが出来ない代物だからである。ちなみに先述の貸し出しステライドも、一つ一つに管理番号が付与されている。そういうところはやたらしっかりしているんだよなぁ、と思わなくもない。
なので大半の国民は『ステライドの効果については知っているが、使う機会も縁もないもの』だと思っている。そもそも眠れないことに悩んでいるというのに、なんだって眠れなくなる宝石なんか欲しがるというのだ、という話だ。
ここでようやく答え合わせをすると、こちらに向かってきている"お目当て"こそが、そのルナベーネなのだった。
ルナベーネを目にするのはかなり久々だ。そもそもルナベーネが訪れるまでにベッドに潜り込むのがこの国の常識だったし、王都の外れに住んでからは目にできる機会は物理的に更に減った。ここまで追い詰められるまでは普通に眠れていたので、たとえ王都の外れでもルナの力が及んでいるのは間違いない。そうでなければ眠れないはずだからだ。
この国の子どもは、七歳の誕生日に初めてルナベーネを親と見つめるという風習がある。何故『見つめる』という言い方になるのかというと、ルナは基本的に王族に近づけば近づくほど強くなるものだからだ。なので、ルナの範囲外から見つめる、という意味である。
それまで自分が穏やかに眠りにつけていたのは、我らが王族のおかげであることに気づき、それに感謝するというお題目ではあるのだが、大半の子どもたちにとっては、初めて両親から夜更かしを許される日、という印象が強いだろう。
それは私にとっても例外ではなく、普段は早くベッドに入るように言ってくる両親が、逆に「今日はずっと起きているんだよ」なんて言うものだから、大興奮で家の外に出たのを覚えている。
それからしばらくして両親が私を抱き上げ、言われるがまま顔を向けた先に生まれて初めてのルナベーネが見えた、と思ったらじんわり瞼が重たくなり始めて、馬車の開け放たれた窓から王様──他の国の人間に言わせてみれば、またもや信じられないことに、王子がある程度の年齢になるまで、王または王妃が同伴するのだ──と、自分より少し年上だろう王子様の姿が見えて、二人とも子どもにもわかるほど整った顔立ちで、並んだ二人はまるで夢みたいな光景で……。
いけない、思考の淵に沈んでいたようだ。ついつい自分の世界に入ってしまうクセはなんとかしないとなぁ。
次いでハッとして茂みから顔を出して周囲を窺えば、ルナベーネの一行がかなり近くまで来ていた。
かなり近くまで来ている?
何かおかしいと思ったが、超がつくほどの寝不足の頭では上手く考えられない。
幼い頃見た時は馬車だったが、今は全員が馬に跨っているあたり、基本は馬での巡回なのだろう。
そして、皆一様に気品ある格好ではあるが、真ん中にいる特にきらきらしい様子の青年が多分、王子様なんだろうな。というのも、なんていうのか、上手くは言えないがこう、オーラがあるのだ。とにかく。言語化が絶望的に下手くそすぎる。
ある種圧倒的なそれに気圧されたのか、ぼーっと一行を見つめてしまう。すると───。
ばちり、と幻聴が聞こえるくらい、くっきりはっきり、(推定)王子様と目が合ってしまった。
寝不足の処理落ち脳でもわかった。なんかよくわかんないけどまずい。ていうかこんな夜更けにこんな茂みにいる女、どっからどう見ても不審者で地下牢確定だ。かなり、絶体絶命。
とりあえず、走る。
くるりと一行に背を向ける。
その時、パニクりまくって余計怪しまれそうな挙動をしそうになっている私の手首を別の体温が拘束して、私は走るタイミングを完全に逃した。次いでにこの状況から逃げるタイミングも。
ぎぎぎ、と音がなりそうな様子で振り返る(向こうからすれば推定)不審者に、(推定)王子様はにっこり、と音がなりそうな笑みで微笑みかけたのだった。
やっと出会ってくれました。一安心。




