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酔生夢死

作者: 匿名

大好きな彼に、「好きだから付き合っているのか、付き合っているから好きなのか、分からなくなった」と言われたあの日、言葉に絶対なんてものはないと知った。彼は私の交友関係に疑問を持って、彼の前の私と、友達の前の私のギャップについていけず、どれが本当の私なのか分からなくなってしまった様だった。


それから約1ヶ月の間、私は自分について考え、友達について考えた。

考えすぎて考えすぎて、何が本当か分からなくなって、友達が何か分からなくなった。


彼の前の私と、友達の前の私。

あまり意識したことは無かったけど、あまりにも違うことは容易に想像できた。大学に入ってから、話してみたらインスタのイメージと全然違う!と言われることが多々あり、言われる度にまぁそうだろうなと思っていた。

「〇〇と付き合ってるらしいよ。」だとか、「結構遊んでんの?笑」だとか、「ぶっちゃけどんだけやってんの?」だとか、くだらない。ワンチャン狙いが見えすぎているよお前、てか〇〇って誰だよ。私を知らない人には勝手にそう言わせておけばいい。そうやって適当にやり過ごすうちに知らない所で知らない誰かと付き合う私や遊ぶ私がちらほら出来上がっている様だった。


意識して人の前で態度を変えているわけでは決してない。対人関係に合わせて自然に変わるのは誰しもあるだろう。それが人付き合いというものだ。そうやって皆世の中を上手く渡っていく。少なくとも私はそう思っている。


学科の友達とは一緒にいると楽しい。

話しやすいのは大前提として、私は基本サバサバしていたり意見をハッキリ言うような人と気が合うように思う。あと、〇〇ちゃんがこうでさ、とか、自分のつるんでいる友達の悪口を言わない人。女子特有の、そういうのがダルかった。私の相談事にも真剣にのってくれるし、皆自分をきちんと持っている人達。気を遣わないで居られる人達。派手な見た目をしている割には恋にも勉強にも真面目でまっすぐな人達。

けれどこの友達の前で私が本当の私を出した事はあまり無かった気がする。ここでいう本当の私は、前いつか書いた友達の話でなんとなく触れている。

人よりもきっと感受性が強い私は、自分の感じ方を理解してくれる人をずっと探していた。けれどこの自分の感じ方を話した所で、多くの人は「大変そうだね」とか、「なんかすごいね」と言うだけで、悪気は無いその言葉たちが私の心を抉っていた。毎回この人なら分かってくれるかなと期待をして、期待をした分だけ裏切られた。結局裏切られたとか言っているけれど、勝手に期待をして理想を押し付けていたのは私の方で、それなら私が悪いよと、もう期待をしないようにしようと、私の本質的な部分に蓋をして人付き合いをすることに決めた。そうすれば、もう傷つくこともないし、全てが上手くいく。そうやって生きてきた。

彼が見て違和感を感じた私はきっとこの蓋をした私の事なんだろうなと思う。


それなのに、彼は出逢ってすぐに私のこの蓋を簡単にあけてしまった。全てを見透かされている様だった。

私が写真を撮ることに対しても、私の写真というよりもそれを残す私を好きだと言ってくれた。自分の感じた事や思いを何でもいいから何か自分なりの表現として形に残せる人って凄く良いと思う、と。自分なりに表現をする事で初めて気づくこともあるよ、例えば曲を作っていて無意識によく使うコード進行があったとして、出来上がった後に聞き返して見るとこれって小さい頃よく聞いていたあの曲と同じ進行だな、とか、知らないうちに自分を形作っていたものに気づくこともある、と。こんな人は初めてだった。色々なものの見方が人とは違って、それを話してくれるのがとても好きだった。

写真を見ると、その時の温度や声や匂いや色々なことを思い出すのがいいとサラッと言った彼に、こんなに同じ感じ方をする人が居たんだと運命的なものさえ感じていた。それが嬉しくて、ある日学科のなかでも特に仲が良い友達にこの話をすると、「へ〜2人で毎回その感じ方をするの、大変そうだね笑」と言われ、「2人で何か思い出の写真を見たら、あの時の〜あの木のあの匂いが〜って毎回言うんでしょ」と彼女は笑っていた。それを感じて何が悪いんだ、と悲しくなってもうやっぱり話すのはやめようと決めた。

後日この話をした時に、「そんなことも感じれないの、つまらないよ、可哀想だ」と若干怒り気味に言ってくれた彼を見て、この人だけが分かってくれれば良いと思った。別に友達に分かって貰えなくても、他の人が大変そうだと感じる事を彼と一緒に感じることが出来ればそれで良いと。

彼の前の私は蓋を開けっ放しにした私だった。


彼は人見知りもしないし、色々な人とすぐに打ち解ける位話し上手だったが、自分に蓋をして人付き合いをするタイプでは無さそうだった。自分に合わない人とは初めから深く付き合わず、本当に仲の良い人と関係を深める人だった。(違ったらごめん)

彼の蓋を開けっ放しにして生きている姿に強いなと思うこともあった。私は蓋をして人付き合いをしないと生きていけない人間だから。

おまけに蓋をして生きてはいるものの、どこかで期待することをやめられず、ちょいちょい開けては閉じるを繰り返す厄介者だと思う。元々人見知りをしない性格と蓋をした中身を分かってもらえる人をずっと無意識に探している行動が相まって浅くて広い交友関係が出来上がってしまった。彼が疑問を持った学科の友達といる私やサークルでの私は、私ではないわけではないけれど、無意識にどこかで周りに合わせている私で、そういう事がない彼にとっては理解出来ないものだったのだろうと今になって思う。


どの私も私であることに違いは無いけれど、間違いなく彼の前の私が蓋を開けっ放しにした、本質的な自分に1番近い私だったと思っている。


そう考えるようになってから、じゃあ私が蓋をして付き合っている友達はもしかして友達じゃなかった?と友達が本当の友達なのか疑うようになってしまった。彼は蓋を開けっ放しにしているから、彼の友達は彼にとって本当の友達だけど私はもしかして違うのかな、と。

いくら考えても分からなかった。

苦しくなって、ある日遂にこの気持ちを吐き出した。

考え方や感じ方が似ている彼にいとも簡単に私は自分の蓋を開けられ、彼が本当の理解者であると、もはや信仰に近い感覚だった。恋は盲目というのはこの事だと思う。

これを聞いた友達は、「その気持ちを私達に理解されないと分かっていながらわかって欲しいとどこかで期待をして話してくれている時点で友達ってものなんじゃないの」と言った。

自分の全部を分かってくれる人なんてこの世にそうそういないし、分かってもらおうだなんて思ってもないけど、やっぱり心のどこかで期待をしてしまう。

それも全部引っ括めて話すことが出来るのは、私が打ち明けた2人のことを友達だと思っているからこそできる事だと思うと2人は話してくれた。

まっすぐに受け止めてくれたのが嬉しくて、LINEをうちながら私は泣いていた。

私は私なりの友達の付き合い方があって、それは人と比べるものでは無いと本当の意味で分かったような気がした日だった。


2人で飲んだある日、「綺麗なものって綺麗だから消えるのが早いんだと思う?それとも消えるのが早いから綺麗なんだと思う?」と聞いた私にナルシストだねという意味を込めた目線も何それといった言葉もなく答えてくれたあの時間がすごく良かった。いつか終わりがあるからこそ綺麗なんだよね、分かる。

「何のために生きてるんだと思う」と聞いてきた彼に「死ぬために生きてる」と答えた私と「生きる意味を見つける為に生きてる、それが30までに見つからないのであれば死んでもいい」と話した彼。

こういう話が出来る人とやっと出逢えた気がしてこの日は本当に嬉しかった。

私は元々こういう考え方をぶつけ合うのが好きで、そこにどちらが正解とかいうゴールを見つけることを目的にはしていなかった。ただ色んな人の考え方を聞くのが面白くて楽しかったから、初めから理解されないだろうとか理解出来ないから無駄だとかいう理由で話すことを放棄する人があまり好きでは無かった。

もっとお互いをぶつけたかった。


こんな話ができていた日々が綺麗すぎて、

あの夜が綺麗すぎて、

あの日の帰りコンビニで私は突然泣いてしまった。

困らせてごめんね。

綺麗なものには終わりがあるからきっとこの日々にも終わりがくるのだろうと思って涙が止まらなかった。


家に帰っても終わりがくることを思って泣いていた私に、そういう思いをnoteに残すといいよって彼は言ったけど、上手く言葉に残せなかった。

なんとなく今なら書けるような気がして書いている。


泣いている私に、

「その終わりは死ぬ時にすればいいよ」

と言ってキスしてくれた彼の煙草の味はきっと一生忘れられないし、終わりは死ぬ時にって貴方言ったじゃん!!!ってその言葉が呪いみたいになっている。

この呪い、責任を持って解いて貰えませんかね。


映画たくさん見ようね、って言ったけど、結局見たのはCall me by your nameとタイタニックの2本じゃん。小さい映画館にフラッと入ってその日その時間にたまたまやっていた映画を見ようねって約束はどこに消えた。


あのずっと飛んでいる蝿は何を意味してたんだろうか。


あの時主人公は何で泣いていたんだろうね。

隠して出かけていることに叶わない恋を思ったからじゃない?

あー俺は本当の自分を世間に合わせてかき消してるからだと思ったよ、


世間では許されない恋を、感情を、アレンジした旋律で表現していたんじゃないかな。

型に嵌った物だけが美しい訳では無いことを隠喩していたんだと思ったけど。

なるほどね。


多分英語じゃ無かったよね。

イタリア語とか、フランス語混ざってた。

あそこの喧嘩するシーンはイタリア語だったかな。

よくそんなの分かるね、すごい。


全部が綺麗だったね。

綺麗だった。


私があげた最果タヒさんの「君の言い訳は最高の芸術」

あれ、いいよね。

人生で本をあげたいと思った人、幼なじみの次に2人目だった。

ただの本好きの人にあげたいとは思わない、読んで欲しいと思った人に本をプレゼントするっていう私のモットーみたいなものがあって選ばれし2人目だった。


東京のお土産に栞があったこと、あれが実は結構私のツボだったりしたの。

お土産に私は読んで欲しい本を、彼からは栞を。


振り返ってるうちに朝になってしまった。

私が話し合いで話そうと思っていたのは友達付き合いの蓋の話。

この蓋の開閉の仕方が許せるか許せないかは人それぞれだと思うけれど、蓋を閉じた私も開けた私も受け入れて欲しかったというのが本音。


あとはそうだな、

彼はあの日「初めからこの交友関係だと知っていたら付き合っていなかったかもしれない、これを考えてしまっている時点で別れた方が良いと思った」と言ったけれど、お互いの好きが100.100で持続する恋愛なんて私はこの世にないと思っているから、好きが60.90とか75.30とか、変動してもそれを受け入れながら上手く付き合っていけばいいと思っていた。私たちはただでさえ、付き合うのが早すぎたから、減点方式になるのは当たり前のことで、それでも減点と加点を繰り返しながら付き合っていきたいと思っていた。

きっと完璧主義の彼だから、それは彼の恋愛の仕方に当てはまらないのかもしれない。憶測だけど。


もしも同じコミュニティにいたら。

彼が言った通り、私と彼は関わっていなかったかもしれない。正直私も彼とバンドメンバーのノリは分からない部分があるから、同じ教室にいたとしても怖いな〜とか、関わらないでおこう、といった気持ちが生まれ、恒例の蓋をした人付き合いをしていたと思う。

けどね、何らかのきっかけがあって彼自身と関わる機会があって、彼個人と私個人の交流があったのだとしたら私は彼のことをきちんと好きになっていた、と思っている。だって、どんな形で出逢っていたとしても彼は私の蓋を、スポンと開けていただろうから。

人は多少なりとも環境に影響されるものであるし、好きになった相手の交友関係次第では、この人とは関わって欲しくないな、だとかあの人といる時の貴方はあまり好きじゃないな、とか思うのも当たり前だと思っているから、この交友関係を持つ私を良く思わない気持ちも理解は出来た。私はある意味楽観的だから、彼の交友関係がどうであれ、彼が楽しそうに友達の話をしていれば、それだけで良かった。ただ彼はそうじゃなかった、というそれだけの違い。仕方ないよ。

私が知っている彼の交友関係やそのノリは一部でしかなくて、その一部だけで彼自身を推量ることはしたくなかった。彼が心を開いている大好きな人達なのであれば、私がどうこう言うことでは無い、というのが私の考え方だった。犯罪とかを犯していたらさすがに無理だけど、笑

でもきっと、彼が好きになってくれた私は友達の前の私と違いすぎて、お互いをよく知らないまま好きになった分その落差が大きかったのだと思う。交友関係の一部を知っただけで全てを見てしまった気になって、個人の全部を推量ることはしたくないと言ったけれど、その一部を許容できるかできないかでさえ人それぞれだ。許容できなくても、それは仕方の無いこと。


これも私がこの1ヶ月ずっと考えて出た答えだった。

けれどここまで考えても、相手の考えていることなんて私の憶測でしかなくて、だから彼が考えていることをきちんと知りたかった。

知って傷つくとか傷つかないとかどうでも良かった。

知ることにリスクが伴う事なんてとっくの昔に学んでいるよ、私。ただ日頃話していたみたいにお互いどう考えているのかをぶつけたいだけだった。

もしかしたら本当はあまり何も深く考えていなくて、私がこう言っているのさえ重荷になっているのかもしれないけど、それはそれで言って欲しかった。

彼がどうであれ、ここまで考えた私のこの時間は私にとっては間違いなく財産だから。


言葉で伝えるというのは思った以上に難しいからここに残しておこうと思う。

ここまで自分について考えた1ヶ月は後にも先にもなさそうだ。


私達は考え方や感じ方が同じで生き方が正反対だった、そして未熟だった。


この思い出はここで綺麗にさっぱり終わらせる事で、

美しい思い出として残す事が出来ると思う。

まさに、綺麗なものは終わりがあるからこそ

綺麗である、の集大成。


言い残したことはそうね、

一緒に桜が見たかった、くらいかな。


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