うつせみのうちに宿りしは9
昊之上の厄災から現世の人どもを救うために、同じ現世にいる者を殺めるという不条理。
数人を犠牲にするだけで多くの命を救うことが出来ると言えばそれまでなのかもしれないが、冥之上はもう我が身を以て知ってしまっていた。
例え多くの命がこの世に在ろうとも己という存在はただの一つである。
つまり己のいない世界など存在していないものと同義なのだ。
それに気づいておきながら、自分のいない世界のために自分を差し出せなどとどうして言えようか。
輪廻の教えに疑問を懐いているプキには導祖の働きを説いても響くはずがない。
ならば今までのように問答無用で珠を奪い取れば良いのか。
問答無用で洗われた恐ろしさが身に染みている冥之上には最早それすらも出来ず、ただただ黙ったままの時間が過ぎていった。
しかし、以前から無言で佇むことの多かった冥之上ではあるが、その顔は以前のように霧の中で遠くを見つめているような表情ではなかった。
狼狽して揺らぐ目と、なにより何かを言わんとして言葉にならないその口元が雄弁に苦悩を語っていた。
精隷にあるまじきその人臭い様に感嘆していたのはヤクナスだけではなかった。
プキもまた、運命から逃れられない定めを持つ同士として冥之上の思いを酌み、そして満足していた。
輪廻とは無常である。
今在る者も、過去に在った者も、どちらの存在も明らめず、何者でもない何かの生を今に伝える罪深き教えだ。
だが、自分はその流れから断ち切られることで死後も自分として在り続けることが出来るかもしれない。
ただしそれは、現世に残る者に負担を与える所業ではあるのだが。
「冥之上様、私が珠をお取りくださいませ」
「……なんだ、その心変わりは」
「有難き御言葉を賜りまして、心行きてございます」
「なにがだ。冥之上は己が心地を明かしたにすぎない」
「貴方様のその心地、私の思いを心得給いくだされたものなれば、これ以上何を欲しかりましょうや。貴方様のその定めもまた逃れられぬものなれば」
「…………」
「それに、珠の力を持ちながら昊之上の目覚めることあれば、あの時に死しておけばと悔やむことになりましょう?」
「…………」
「然れど一つ、乞い願わくは……」
「……なんだ」
「私の名、この姿、声、交わした言葉、それらを覚えていて欲しいのです」
「…………」
「…………」
「…………心得た。鴉繰人の女、プキよ。己から見知った全てを冥之上は覚えていよう。……必ず」
「あ。あともう一つ」
死そのものは怖くなかった。
多くの死を看取ったことで、呆けた死に顔や腐肉のこびりついた白骨に己の姿を重ねる事は容易に出来るようになっていた。
そして今、永劫の時を生きる精隷に自身を記憶させる事でプキは鴉繰人の死者が文字通り風化する定めを覆した。
数多の先人に悪い気もしたが、そこは勝手に珠の巫女に選ばれた者として遠慮なく特別扱いをしてもらおうではないか。
これにて自分の生は終わる。
鴉繰人もそう遠くない未来に滅びるだろう。
ただし、子を成して一族の繁栄を託すこともしなかった自分にそれを嘆く資格などない。
だから最期に一つだけ孝行を。
「鴉繰人をどうかよしなに」
「心残るものがありながら、何故死を受け入れることができる」
「我が身に余る人の世の為」
そう言うとプキは後ろを向いて座り目を閉じた。
表情を見せないのは冥之上への配慮だろうか。
冥之上がヤクナスを見るとヤクナスは小さく頭を振って手を合わせてみせた。
これ以上の躊躇はプキの覚悟を揺らがせることになりかねず、流されるままに右手を刃に変えた冥之上は震える切っ先に自分の顔が映っているのを今更ながら気づいたのだった。
暫くして──けたたましく鳴きながら餌付けを急かす大きな黒い鳥たちが一斉に空へと逃げていった。
どこからともなく現れた導祖はいつものようにその顔に微笑を湛えつつ、うつ伏せに斃れているそれから魂を拾った。
その様を無言で見送る冥之上の首には闇女上の遺髪で編まれた飾り紐に新たな勾玉が煌めいている。
風が短い草を揺らして青色を伴い、三人の間を軽やかに駆け抜けていった。




