うつせみのうちに宿りしは8
鴉繰人の教えでは人は死後に鳥を介して空へと昇り、再び人に戻って来る。
その死生観は葦原国を大きく二分する輝と闇の教えの、どちらかと言えば泉を経て輪廻するという闇のそれに近かった。
他方、人の魂は必ずしも人へと還るわけではなく大半は一つの大いなる意思へと集約されるという輝の教えとは少々異っている。
そしてその相違は輝の指導者である皇には全ての土地の一統を果たす上での妨げとして映っていた。
支配は先ず攻め易いところから攻めるのが定石だ。
皇は都へ交物にくる鴉繰人の青年たちを優遇した。
青年たちは豊かさを覚えると都での生活を夢見て山を下りていくようになった。
結果、今では山に残っている者はかつての半分以下となり、鴉繰人は民族としての存続が危ぶまれるほどにまで衰退してしまったのであった。
すると次第に鳥の数も減っていった。
世話をする人間がいなくなったのだから当然かもしれないが、鴉繰人はこれを輪廻が途絶えたのだと考えた。
魂が巡らねば新しい命も誕生しない。
それを裏付けてしまうかのように鴉繰人の間に生まれる赤子は年々減少の一途を辿っていった。
プキは山に残った数少ない女の一人であり、容姿良く教養もあり、将来を期待されていた。
多くを学び、様々な価値観に触れてはいたが、伝統に対して敬意を持ち、自分も一族の運命を全うするのだと思っていた。
しかしそんな中、夢枕に導祖が立つ。
闇女上を信仰していない筈の鴉繰人の中から珠の巫女が選出されるという珍事は、落ちぶれて綻びかけていた鴉繰人たちの絆を完全に断ち切りかねないほどの異常事態であった。
そこへ役成は現れた。
役成の仲裁によりプキは許されたが、それからというものの彼女は忌み事を率先して引き受けるようになった。
その献身は人々には禊として映ったが彼女の思いはそれだけではなかった。
プキは死ぬ前にどうしても知りたいことがあったのだ。
「命とは如何なるものにありましょうや──」
──命は巡り廻るもの、それが鴉繰人の教え。
然れば、増えたる命は何処より来たのでしょうか。
御覧なれ、あの真秀ろば宮を。
私が童の頃よりも益々栄えしあの都は、今も人が増え続けています。
無下なる思いなれど、初め、私どもの魂が向こうに移ろうているのかと思いました。
然れど数が合いません。
此処で百の命が隠れたれば、向こうでは千の命が生まれています。
ならば闇の民もまた移ろうているのでしょうか。
然なりとさば、何故私どもは減り、彼らは増えているのでしょう。
弥栄が人の本意なれば、栄えし輝は正しく、滅びゆく私どもは違うのでしょうか。
然らば、私どもは何故生まれたのでしょうか。
何か分かるかと思い、死と具して、幾度も隠れし年寄りどもを送れど未だ答えを得ず──。
「──私には分からないのです」
今日、自分は死ぬ。
珠を取られるということは、即ち珠と同化している自身の魂も肉体から離れるということだとヤクナスは言っていた。
しかし純粋に一族の教えを信じていた頃とは違うため、死んだとしても鳥になれるかは分からない。
闇の教えを信じているわけでもないので恐らく導祖の迎えもないだろう。
すると自分は何処へ行くのか。
輝の教えが唱えるように、大いなる意思にまとめられてしまうなら、個として生きてきた意味はあるのだろうか。
今生で成してきたことに意味はあるのか。
それも分からずに今、時が来ている。
誰にも理解されない感情であった。
どの教えを信じる者にとっても現世と幽世は表裏であり、功なくして次の世へと移ることを嘆くことはあっても死を消失と捉えて恐れる者はいなかったからだ。
凛として佇み、しかしその瞳を震わせながら、プキは自らを死の先へと誘う者に期待えを寄せていた。
まるで、生と死の概念のない精隷ならば自分の求める答えを投げかけてくれるのではないかとでも願うかのように。
冥之上は黙っていた。
自身もまさにその疑問に直面していたからである。
使命の後には自分は輝大君として生きるのだと言われているが、すると冥之上として歩んできたこの記憶はどうなってしまうのか。
自分が一度洗われたことを知っている冥之上は、来たる時に闇女上がこの記憶をそのままにしておくとは思っていなかった。
「冥之上は……前にもいた」
何か言いたげな唇を察したプキが促し、暫く経った後に冥之上が口を開く。
それは初めてのことだった。
今まで聞かれたことにのみ返事をしていた冥之上は、このとき初めて聞かれたこと以外の事から語り始めた。
ヤクナスの僅かに見える顎が上がる。
精隷が何を言い出すのか、その答えは至って簡素なものであった。
「前の冥之上は……要無しとして洗われた。巫主も然もやと言うていた。其れとお前が重なった。冥之上も、前の冥之上の事を思うと……ここが奇異になる」
胸を押さえる冥之上。
無論、大いなる力の塊である精隷に中身などはない。
そこに何かがあると教えたのは誰なのだろうか。
分からないが、冥之上は確かに死を意識して、不安という名の不快感を覚えていた。
これにはヤクナスも驚いたがプキも驚いていた。
人に理解されなかった感情が精隷に共感されるとは誰が想像できただろう。
言いたいことを上手く言葉に出来なくて首を傾げながら眉根に皺を寄せる精隷など見たことも聞いたこともなかった。
その初めての拙い感情が却って雄弁にプキに語り掛けて来るのであった。
「何かを成さずに消ゆることは……冥之上も厭わしく思う。今まで冥之上が珠を賜うた巫女たちも、昊之上を封ずるために力を返したと言えば聞こえは良いが、巫女たちが何かを成したわけではなく、ただ、死したのみであった」
「かれ、冥之上は彼の者どもを……覚えておらん。冥之上が、定めの為に殺したというに、覚えておらん。者どもにも等しく定めがあったであろうに。猶し、あの時は何も思わなんだ、で、あろう」
「然れど今になり思う。其れは──恐ろしいことだ。前の冥之上は、冥之上の知らんうちに消えていた。然らば、冥之上も、いつ知らんうちに消えるとも知れん。考えると冥之上の内に湯のように何かが湧いてくる。然れど湯のように心地よきものではない。この奇異なる心地。これが恐ろしいという心地なのだな。これが──」
「──心悲しい、という心地なのだな」
冥之上は語るうちに気づいてしまっていた。
自分にそのような心地があるのなら、対話している目の前の存在にも自分と同等の感情があるのではないかと。
そしてようやく使命の在り方を理解した。
自分は今から闇女上に代わり、目の前の冥之上を洗うのだと。




