うつせみのうちに宿りしは7
やはり冥之上は精隷にあるまじきものを有している。
ヤクナスは冥之上と対話したことでそこに魂の存在を確信していた。
記憶という極めて特殊なものを媒体とし、本来の精隷が持ち合わせていないはずの思考を与えられたことによる偶然の産物だろう。
ただしそれはまるで童のように無垢で脆く、移ろいやすさを孕んでいた。
闇女上も軽々なことをしたものである。
忠実に任務をこなす不死の僕たる精隷に自身の理想を押し付ける虚像の役目を与えたのは過ちに他ならなかった。
発達途上の冥之上の思考能力では、最初に与えられた使命と闇女上の我欲を垣間見た後のそれとではまるで別物に思えるらしく、原初の使命が即ち存在意義となっている精隷にとっては耐え難い拒絶反応が起きてしまうものらしい。
否、あるいは母に本当に必要とされていたものが自分自身ではなかったと知った子の悲しみであろうか。
「惑うておるな」
「惑う? プキにも言われたが、何だそれは」
「今、己が思うている心地のことよ。然れど、其れでよい」
「なにがよいのだ」
「めでたきことぞ。精隷は定めに生まれ、定めのままに永らえるもの。なれど我らは惑いに生まれ、惑うて生きる。精隷と、上や人とが違う故は其れなり。即ち、己は既に精隷の生き様を違えたのだ。己で考え、己で生きることが能う。生まれに括られぬものに、己は成れり」
「其れの何がよい」
「己は冥之上なる名を与えられ、現世に生まれた。珠を集めることを定めとして。然れど、集めた後は如何とする。闇女上の言うように大君の形代として闇女上に仕えるか。否、幾年を経ようとも己は冥之上ぞ。其は悲しき事なり。己は誰の代わりでもなく、大君にはなれぬ。ならぬでよい」
「…………」
「子が健気に母を愛するは、母が子を愛する故なり。子を愛さぬ母は母に非ず、仍て己が闇女上の下知に従う道理もなし」
「……そういうものなのか?」
「冥之上よ。己は何を成す。何に生きる」
「…………」
ヤクナスは大きく溜め息をつき、黙ってしまった冥之上の肩に手を置いた。
その手は冷たくまるで生気を感じられなかったが確かな慈しみを宿していた。
冥之上が問いに対して頑なとなり珠を集める己の宿命を語らなかったのはヤクナスにとって嬉しい展開だった。
やはりこの精隷は──使える。
「それでよい。惑え。惑うて生きるが我らぞ。私もこの幾百年、惑うてきた。正しき生き様は未だ分からぬ。然れども……」
「なんだ」
「惑いつつも、一つだけ始終思い続けたることがある。心とは何か、ということぞ。在るのは解る。数多の欲も、異能も、其れより生まれる。そこまでは辿り着いておる。然れど分からぬ。心が何処にもないのだ。臓腑か、はては詞に宿りたるか。いづれも正しいようで正しからじ。……冥之上よ、私が心を求むる故が分るか? 煩わしきことに、私が異能はその心に効あるものにて、使わば使うほど異能が私の無知を苛むのだ」
「心?」
「然なり。其れは己にもあるものぞ。然れば、己も探りてはくれまいか。我ら上も、人も、生まれし時に与えられたる定めなど覚えず、精隷は其れに生き、己は其れを知る。その心はいつ成りたるか。何処にあるか。己ならば定めて辿り着けるであろう」
「冥之上が……?」
「睦ましいのですね」
やってきたプキが微かに笑みをこぼしながら並び立つ二人を見て呟いた。
背後の鳥たちは既に殆どが地面を離れ、あとにはいくらかの老婆だったものの痕跡が残っているのみとなっていた。
ヤクナスとは会話をしていただけで別に仲が良いわけではないのだが否定する必要もないので冥之上は黙っていた。
しかしそれを肯定と捉えたのか、プキは安心したようにヤクナスを見て小さく頷いた。
「何をお話しされていたのですか?」
「心なるものの在処を聞かれていた」
「ああ。役成様は私にも其れをお聞きになられました。なんでも、其れを心得れば全ての心ある者を導き能うようになれるとか」
「これ。余り事を言うな」
「心ある者を導く?」
「……上とは優れたる異能を持つ者のことなれば、只でさえ力無き人どもには畏れらるるものぞ。たとえ従えようとも、本意では何を思うて頭を垂れておるのか分からぬ。なればこそ、真に人どもが何を思い、何に悲しみ、何に憤むのか、私どもは知らねばならなんだ。然れども、かつての私どもは其れを怠り、故に今、上は滅びかけておる。人よりも優れたる筈の私どもがぞ。私らは人どもを導くが為にこの異能を得たのではないのか? 違うのであらば、何の為に私どもは在る。否、違わぬ。違う筈がないのだ。私はこの異能を用いて惑いなき世を創らねばならぬ。それが私どもの成すべきことなのだ」
「なんだお前。巫主や大王のようなものになりたいのか」
「まあ、今は其の覚えで良い」
「否。違います。人の政に例えるべきではありません」
「冥之上に分かりやすく例うるも大事ぞ」
「人は惑うて生きるもの。導かれねば己の過ちにも気づけぬ弱き獣です。然様な私どもを役成様は導いてくださろうとしている。御自身も惑うてあらせられることを明かして。斯様にまで人に添わんとする上がおりましょうや。否、おりませぬ。御覧なれ、空言のはばかる現世を。私どもが免れぬ行く末を」
眼前の都を指すプキ。
真秀ろば宮は皇を名乗る人の王が統べる葦原随一の都である。
それが一体なんの関係があるのか。
プキは悲しげに目を細め、滅びゆく鴉繰人の運命を語った。




