うつせみのうちに宿りしは6
「これを渡す。既に私には不用なり」
「何も成さずにか」
「後は己が成す。然にあろう? 私が珠を集めんとせしは現世に生くる者として然るべき事なり。晃之上の目覚むる兆しを思い及べば、如何でかは防くべき。晃之上とは共に上代より在りたれば、煩わしきはいと見知れる。然れど既に大君は無く、然てまた女上の蘇らんとしていた事も知らざれば、私が立たねばなるまいぞ」
「…………」
「初めは巫主に会うたのだ」
「なに?」
「闇御山の巫主だ。己も会うたであろう。あれもまた珠の巫女。然して上代人ぞ──」
曰く、ヤクナスは昊之上の脈動を感じるとすぐさま隠遁をやめ真っ先に巫主に会いに行ったという。
かつての闇女上の腹心にして自身も宿命を背負った珠の巫女ならば、何か対策を施そうとしているのではないかと思ったからだ。
だが巫主は何もしようとしていなかった。
生きる事に疲れ果てていた巫主は潮見津原の地で自身の後継者となり得る命が育まれていることを察知し、後の問題は全てその者に任せたいという無気力さで共闘を求めたヤクナスの提言に全く聞く耳を持たなかったというのだ。
しかしその時に巫主はこうも言ったという。
どうしても何か行動していたいのであれば、珠を全て集める事が出来れば闇女上に匹敵する力を手に入れる事が出来るだろう、と。
舞内という荒振神が小賢しいが腕っぷしはないと評していた通り、特異な異能は持ち合わせていても身体的能力は人のそれと変わらないヤクナスであったが、対して闇女上は輝大君に匹敵する強力な異能を以てこの地を治めていた上である。
集めればその能力を得られるとあらばヤクナスが取るべき行動は一つだった。
ただ、死を望んでいる巫主を前にしてもヤクナスはその場で巫主を殺すことは出来なかった。
巫主の死去から昊之上を封じ直すまでの時間が開けば開くほど、長を失い混乱した闇の民が巻き起こす醜態が取り返しのつかない状況になるのが上代の戦いを経験したヤクナスには火を見るより明らかだったからだ。
それに、思慮ある者なら巫主の殺害が世界を救うためには仕方がないことだと理解してくれるかもしれないが、万が一にも仇討ちなどが行われた場合、御闇山最強の衛士である締綱日子や舞内といった単細胞の武闘派には当然ながらヤクナスでは敵うわけがない。
ならば公に影響力を持たないところでひっそりと生きている巫女たちから先に珠を回収し、ある程度の力を得てから巫主の元に再訪するのが最適であり、巫主もその計画を了承したというのだった。
冥之上はなんとなく納得した。
そういえば巫主は冥之上にも、まだ自身の珠の力は渡せないが全ての珠を集めたら最後に渡すと言っていた。
すぐに珠を差し出さなかったのは生に執着していたからではない。
順番的に恐らく珠の巫女の中で最も影響力のある巫主が最後に回ったほうが、世の混乱を最小限に抑えられるだろうからという最低限の責務から出た考えだったのだ。
そうしてヤクナスは手始めに名もなき断崖の鄙に暮らす巫女の珠を奪った。
その巫女は珠の巫女に選ばれたことによって半ば供物のような扱いを受けており、ヤクナスに気付き言葉を交わして真意を知ると、この苦しみから解放してくれと頼み喜んで死んでいったという。
なんとなく理解出来る話だ、と冥之上は思った。
どこかで聞いたことがあるような話なので、おそらく人どもが珠の巫女になった女をどうするかは大体同じなのだろう。
一つ目の珠を手に入れたヤクナスはそのまま次を得ようとした。
だが思わぬ事態が発生した。
風吹きすさぶ名もなき鄙に着いた時、そこには会話をし歩き回る土の精隷──即ち冥之上がいたのである。
しかもそれが闇女上の命を受けて珠を回収しているというのだから驚きだった。
闇女上が生きていたのか。
異質な土の精隷がそれを裏付ける何よりの証拠だったがヤクナスはひとまず様子を見る事にした。
そして今、ようやくその目の前に現れる決心をしたのは冥之上の存在が本当に闇女上の使者なのだと納得したからだ。
ならば得た珠は使者に渡すのが正しい選択といえるだろう。
冥之上が珠を受け取るとそれは発光し、闇女上の遺髪で練られた首紐へと結ばれた。
これで珠は四つ。
近くにはプキもいるし巫主の珠も得るのは確定している。
残る珠は未だ転生を果たしていない巌比売のものと、比較的近い西のほうにあるもののみとなった。
誰かがヤクナスこそが敵だと言っていた気がするがそれは取り越し苦労に終わったようだ。
むしろ協力的であり、我欲のために屁理屈をこねる闇女上や巫主、磐裸須人といった力ある上代人と比べてなんと利他的なことか。
それ故に冥之上の腑の底には言いようのない不快感が生じる。
それはヤクナスに会っていたことを隠し、まるでヤクナスが昊之上復活を企んでいるかのように話した巫主への不信感と、同じく何も語らずに自分を翻弄する闇女上への失望であった。
ただし冥之上はその感情を表現出来なかった。
人ならば人生の中で言葉を学び、言葉を経験に当てはめていく作業が出来るが、生まれたばかりの冥之上ではそうもいかなかったのだ。
旅をする中でいくつかの思考に触れ学んでいるとはいえ、それはまだ未熟であり、半端な無意識が拙い知識に解をしきりに催促して停滞を招く。
眉根を寄せて黙りこんだ冥之上であったが、その表情に気付いたヤクナスは声をかけることもなく、深く被った風除け頭巾に隠れた目を静かに細めるのだった。




