うつせみのうちに宿りしは3
冥之上はプキと名乗る女の後に続いて暫く歩いた。
小さな尾根を越え、谷を見下ろすとそこには天幕のような粗末な家が疎らに点在していた。
辺りに人の姿は見えないが空には無数の大きな黒い鳥たちが悠然と舞っている。
それらは青い空に溶け込んで小さく見えるものの、おそらく冥之上を拐った鳥と同じ類であることは判別でき、かなりの高所を飛んでいることが分かった。
「年寄りが隠れたので、今は皆で弔うております。悪霊は亡骸に憑き、或いは童を拐かします。故に葬るまでは、何人も外に出でぬが、鴉繰人の仕来りなのです」
聞いていないのに語るので一瞥するとプキは冥之上の反応を待たずに再び歩き出した。
二人は一つの天幕へと至り着き、中へ声をかけると返事があった。
天幕の中は雑多な呪具と、腰を下ろす所にのみ敷かれた毛皮があるだけの粗末な空間で、冥之上は座する枯れ枝のような老人が特に異能を持たないことをすぐに見抜いた。
プキ曰く老人が鴉繰人の長とのことであったが、人の世は不思議なもので、巫主のように優れた異能を持つ者が長となる所もあれば武に秀でた勇士が人どもを率いる一方で、スオウの鄙やこれのように異能なく飯を食うのもやっとの弱き者が敬われていたりするのであった。
冥之上をじっと見つめる古老の瞳は白く濁っているが見えてはいるようだった。
おおよその精隷のように話しかけても応える事はないだろうと端から諦めているのか、老人は冥之上に話しかけることなくプキに対して何かを語った。
その言葉は北の大地で独自に育まれた上代詞から派生した方言である。
故に、冥之上にさえ何を言っているのか分からなかった。
「なんと言っている」
冥之上の反応に古老はゆっくりと目を見開いた。
他者の言動に興味を持つという事そのものが、冥之上が他の精隷とは違うという事を雄弁に語ったからである。
諸々の合点がいった翁は憐れむように女を見た。
その視線に気づいていたプキであったが、敢えて気づかぬふりをして冥之上に語った。
「気になりますか? 精隷は問いません。己が定めに従うのみだからです」
「どういうことだ。黙っていろ、と言っているのか」
「否。貴方様は先ほど、ご自身を大君の現身と仰せになられていました。では、虚像と伝わりし数多の土の精隷もそうなのですか」
「他の奴ばらのことは知らん」
「なれば、定めて貴方様のみが然なる定めにあるとして、貴方様は珠を集い、何を成さんとなされているのですか?」
「今の世の巫女は正しく珠の力の使い方を知らん。故に闇女上は珠の力が徒らになることを憂いた。珠は闇女上の四肢。今再び集えば闇女上は現世に蘇り能う。それを成すが冥之上の務めだ」
「政を上に返すと?」
「知らん」
「……然にあらば、役成様はなんと仰られておいででしょうか」
「ん?」
「役成様とお話になりましたでしょう」
「いや?」
「いや、とは?」
「話した事はない。そもそも、会ったことがない」
「会うたことがない?」
「ない。なぜ今ヤクナスの名が出た」
「……先ほど、貴方様は役成様が昊之上の封印を解こうとしているとお話しになられました。それに抗わんとなされていると。されど昊之上は大君を殺めし仇なる者。我らには役成様が主の仇を解き放たんとなされているなど、信じ難きことなのです。されど其れが真なれば、貴方様も役成様も互いに珠の力を求める者として縁がありましょう。故に私は貴方様が、既に役成様とも幾度か相まみえておられるのではと思うたのです」
「ない」
僅かな沈黙の後に老人
に会話を訳するプキ。
そして再び冥之上に質問する。
プキは冥之上に、今までいくつの珠を集めたのかと尋ねた。
闇女上が人に与えた己の四肢の結晶は全部で八つ、首元には女上の遺髪で括られた三つの珠が揺れる。
「……会うた巫女は五人。私で六人ですか。定めて長き旅をなされたのでしょう」
「おお。あと少しか」
「されど貴方様は何もお見えになられていないのですね」
「何のことだ」
「闇女上を現世に戻してはならないということです」
「どういうことだ」
「後は私が語ろう」
いつの間に外で聞いていたのか、入って来た者を見て冥之上は既視感を覚えた。
しかし冥之上の記憶は導祖によって中途半端に洗われてしまっていたので、その時はその男がスオウの故郷の風吹く鄙で会った旅人だと気づくことはなかった。
「誰だお前は」
「ふむ、忘れたとな? 忘れる事が能うのか。それはそれで面白いが、今はまあよい。私が役成だ、メイ……」
瞬時に刃へと変形した冥之上の腕が男に襲い掛かり男の胴体を貫いて天幕にも穴を開けた。
しかし急な曲事であったにも関わらずそこにいる誰もが驚いたり悲鳴をあげたりすることはなかった。
男の顔は外套の風よけ頭巾に隠れて口元しか見えていなかったがその唇には余裕の笑みが浮かべられていた。
その笑みを見て、冥之上に新たな感情が生まれた。




