魂の再生9
気が付くとメイは暗闇の中にいた。
シメツナという男に丸められ、投げられたところまでは覚えている。
風を切る衝撃で身動きが取れず、そのままの勢いで地面に叩きつけられたせいで意識を失っていたのか。
痛みと言う概念が存在しないはずの土の精隷は状況が呑み込めずにぼんやりとしていた。
「冥之上──」
慈しみの籠った美しい女性の声がどこからともなく響いた。
つい最近聞いたばかりの声だがメイはこの場所へ辿り着くための手順を踏んだ覚えがなかった。
「ここは……何故メイがまたここにいる」
姿が見えない声の主は闇女上という女性だ。
彼女は現世から身を隠した今もなお人どもに崇められている母なる上であり、メイを創った存在である。
「ふふふ……導祖が汝を新珠の泉へと運ばんとしていたのですよ。現世には届かぬ私が声もこの気脈の道では届きますから、導祖に囁き、ここへ運ばせたのです」
「新珠の泉に……メイが?」
「そうなのです。ああ、如何にめでたきことでしょう……!」
声は弾んでいた。
旅を経てメイは、このような調子の声の時は嬉しいという感情であることを学んでいた。
だが何が喜ばしいというのか。
確かスオウは導祖が新珠の泉へと人どもを運ぶ様を見て悲し気な顔をしていたというのに。
「泉は魂の器の洗い場。次の世に出で来る魂が為、先世の穢れ──即ち労、覚えを洗い清め、器を新にする所。……いいですか冥之上、導祖は汝の器を洗うべきと考えたのです。汝に魂ありと!」
導祖は闇女上が創り出した精隷だが思考は持たず、最初に闇女上が与えた条件に沿ってのみ動いている。
彼女らの使命は導きであり、魂を持つ死者が現世にあれば幽世へ、もしも生者が幽世に迷い込んでしまっていた時は現世へ案内することにある。
つまり彼女たちは魂に魅かれ動いており、魂とは人や一部の賢しき獣にしか宿らないというのが一般的な価値観の今生では死ねば何もかもが導かれるというわけではない。
だが魂を持たないはずの土の精隷であるメイが新珠の泉に運ばれそうになったということは、つまりそういうことなのだ。
「数多の精隷を創りました。獣を媒とし、器に魂の宿る精隷もありました。されど土の精隷に魂が宿るのはこれが初めてです。ですが、元より汝は他の土の精隷とは異なります。現世にて人どもと交わり、多くのものを見聞きし、学んだのでしょう。故にこれは必然といえます」
「必然?」
「いいですか冥之上、この何もなき幽世の狭間にて私は私の古物語を媒として汝を創りました。汝の貌は私が夫の若き日の貌──」
「夫?」
メイはぽかんとした。
人の世を見て、母と呼ばれるものが子と呼ばれるものを創り、育むということを知った。
だが夫が母によって創られるとは聞いたことがなかった。
しかしメイの疑問を余所に闇女上は弾んだ声で続ける。
「はい、現世にて学びませんでしたか? この葦原国は私と輝大君という男上により国生みが成されました。その輝大君こそ私が夫です。されど輝大君は不義を成し、私は幽世の闇へと追いやられました。この愚かなる行いにより人の世は乱れ、それが昊之上という荒振神を現じさせたのです。今までは珠の巫女に人の世の安寧を任せていましたがその働きも今の世においては綻びが生じています。人どもの私を求むる声は、魂を運ぶ最中の導祖を時折この地に召させ、魂の覚えを見聞くことで知り得ていました。つまり、今こそ今生を私が代に戻す時なのです。されどそれには一つの憂いがありました……」
「……憂いとは、なんだ」
「葦原には未だ大君を慕うもの、大君により創られし精隷が在ることです。大君はすでにいずれの世にも居らぬというのに……。冥之上、汝には大君となり、それらの者どもを治めてもらいます」
「メイが、輝大君に?」
「それをやめなさい、冥之上。冥之上の名は私が与えし汝の仮名。仮名なれども与えし私を前にしてみだりに略すものではありません」
「…………」
慈しみを帯びた声色が変わり流石のメイも口を閉ざした。
前も後ろも、天地さえない暗闇の空間ではあったが張りつめる気配を感じたからだ。
しかしメイが黙るとそれを反省とみたのか空気はすぐに元通りの柔和なものに変わった。
それはまるで子の間違いを叱る母の優しさのようであった。
「ふふふ、なんて賢しいのでしょう。さあ、今一度現世に戻り、珠を集めて参りなさい。そして旅を経て更に多くの心を学ぶのです。心の礎さえ出来れば大君の心は私が教えましょう。いいですか冥之上。汝は六合の頂に立ち冠を頂く日輪の大王が化身。ゆめゆめ此れを忘れてはいけませんよ。ふふふ……ああ、その時は近いのですね……。愛しき夫……私を愛し、私を敬び、私に従う愛しの……」
「夫にはなり得んと思うが」
一瞬だけ、時間という概念さえ曖昧な暗闇の中で時が止まったような感覚がした。




