魂の再生4
肉は瞬く間に結合し体勢を立て直したスオウを執拗に狙う。
ミミの攻撃は直接的な怪我を負うようなものではないようだったが捕らわれ続ければ体力が尽きるまで貪られてしまうだろう。
メイの一撃には痛みを感じていた様子なのに矛を拾ったスオウの斬撃では享楽するその違いが分からず倒すのもままならない。
こんな事をしている場合ではないのに背を向けることも出来ず、ただただ時間だけが過ぎていく。
今、御闇山の頂では謀反を起こしたシメツナから生き残った人々を守るために巫主が力を使っている。
巫主は今の世に生きる数少ない上と同位の異能者の一人でありその力はきっと比類ないものだ。
ミミは巫主の力を鼓舞の力といいそれは周囲の人々の能力を活性化させるものだと言っていた。
当人は小さな小さな老婆であり動けはしないが幾人かの陰業衆も共にいたというからそれらの者どもに力を付与させて門を守っているのだろう。
一方で締綱日子もまた強力な異能者だ。
スオウは他の異能者たちを見たことがないが恐らくあれに勝てる者はいないと考えている。
そんな者がいつ最後の門を破るか分からない状況では巫主はより多くの戦える者たちに常に鼓舞の力を使い続けなくてはならないはずだ。
既に生きる気力をなくし日毎に著しく衰えている巫主がいつまで諦めずにいられるかは未知数だった。
だから急がなくては。
メイのいないところで珠の巫女が殺されるわけにはいかない。
スオウは覚悟を決めた。
もう、色々と充分だろう。
あの醜悪な妖はミミが何かに憑かれているわけではない。
そうだとするとミミ本人か妖そのものということになるがメイは妖であることも否定した。
何かが化けているのであればどんなに良かったことだろう。
事情は知らないが例え元に戻っても思い返して死にたくなるような恥辱を背負ってしまった彼女に未来はもうないのだ。
「メイ……やれ!」
「やれ?」
「……ミミを殺せ!」
「何故だ」
「何故だと!? ならば、かように狂れたる奴を、己は元に戻せるか!」
「戻す?」
「……あああ! 倦んざりだ! 己の問いは! 倦んざりだ! いいからやれ! 私が、思い移ろう前に!」
「わかった」
「嗚呼っスオ──」
メイの右手の五本の指が大きく鋭く伸びて斜め下からの大振りで赤黒い異形を殴り千切った。
悲鳴も途絶えないうちに手が返され肉塊の根本にあるミミの四肢を砕く。
肉体の上に降り注いだ蚯蚓のような肉片が粘液を伴って断面を併せ繋げようとするがそうはさせない。
転がった生首の髪を掴んで持ち上げ、スオウは冷たい眼差しで一言呟いた。
「化生に身を堕とし、己の得手を捨て、時も務めも弁えず、聞く耳も持たずに我欲のみを求むる。然なる者を……どうして私が好もうか」
スオウを見つめていたミミは傍らに転がる自身の身体をゆっくりと見て、もう一度スオウを見た。
己の過ちに気付いたのか口が微かに動いたが既に声を発することは叶わない。
ただ大粒の涙が流れ、瞳は光を失った。
最期まで意思を持っているかのように微かに動いていた瞼の上下の糸が垂れ涙で湿った頬に血を滲ませた。
「やはり……言霊か」
もう再生はしない。
スオウはミミが自身の言葉を全て好意として受け止めていたことを思い出していた。
利己的に孤立した観念が理不尽にも概念に影響を及ぼした結果、ミミは無敵の異形となった。
だからスオウは意を決して彼女の精神的支柱となっていたスオウからの好意を否定したのだ。
異形となった事との因果関係に確証は得られず、もっと我欲の沼に沈むのではないかという懸念があったが一瞬の客観性を取り戻したミミは自身の独りよがりの暴走に気付き後悔と羞恥を抱えて死んだ。
何百年と巫主を支え葦原の安寧を見守って来た女がどうしてこのような最期を迎えなければならないのか。
自分が勘違いさせてしまったのか。
スオウは強く目を瞑って自責の念を腹の奥に抑え込みながらミミの目も閉じさせてやった。
せめて弔ってやりたいがそのような時間はない。
メイに埋葬を命じて自身は先に山に登ることにする。
御闇山は葦原一の霊峰であり登るには何日も要する。
全ての選択が間違っていないと自身を納得させ、スオウは後ろを振り向かずに踏み出していった。
幾日か経つと山頂から落雷のような音が連続して聞こえるようになった。
メイに訊ねてみたが素っ気なく知らんと言われるだけで正体は分からず、スオウは一層急ぐことにした。
大社の裏まで戻ると憔悴しきった顔の下女たちが二人を見つけ涙を流して喜んだ。
ミミが足音を聞いて援けを求めに降りて行ってからはまだ日は浅く、二人が危機を知って急いで来てくれたことを理解したからだ。
ミミは一緒ではないのかと尋ねられたがスオウは音の正体は何かと聞き返して誤魔化した。
音の正体は最後の門を破壊しようとする締綱日子の張り手だった。
今は協力して門を抑え続けているとのことだがシメツナの行動は不規則で夜に襲撃してくることもあり常に気の許せない状況であったという。
それを聞いてスオウはシメツナが楽しんでいることを感じた。
あの男の張り手を見たことがあるがいくら巫主の異能によって強化させているとはいえ普通の異能者ならば何人束になっても抑えることなど出来ないはずだ。
それに人は強化されても門が強化されているわけではないので門自体が保たれたままでいることもおかしい。
第一、門が駄目なら塀を壊せばよいものをそれをしないということはいつでも蹂躙出来ることに酔いしれている証拠だ。
一度会っただけだがシメツナの行動は性格をそのまま表しているように思えた。
だが一体何がしたいのか。
本来ならば巫主に先に会うべきかもしれないが異能を使っている最中の巫主に話しかけにいくのも憚られる気がするし、この僅かな増援で緊張の糸を切られても困るのでスオウはメイを連れて門に行った。
見れば門には閂が増やされ門自体を何人もの人々が必死で抑えていた。
いつ張り手が来るか分からない状況であれを続けていれば体力的にも精神的にも消耗は凄まじいだろう。
「皆ども、良く耐えた! メイ、代われ」
「おー」
人々と代わったメイの腕全体が門扉を包み、足が地面と同化する。
次の張り手の衝撃でメイの頭ががくんと跳ねたが大勢で抑えていた時よりも門は軋まなかった。
不安そうに見守っていた陰業衆の生き残りたちはその様子を見て安堵して膝をつくとその場から動けなくなった。
交替で守っていたとはいえ疲労はとっくに限界を超えていたのだろう。
「……おおお? 此のあたりは如何に?」
門の向こうから陰湿な含み笑いを伴った声が聞こえてきた。
傍の物見台に上ったスオウはあっと声を上げた。
そこにいたのは確かにシメツナであった。
だがその姿は以前会った時とは明らかに別のものとなり果てていたのである。
 




