風吹く鄙の珠の巫女4
空は未だ暗いものの鳥の声が聞こえ始めるとスオウは目を覚ました。
火の番をさせていた冥之上は言いつけ通りに火が消えないようにずっと同じ動作を繰り返していたらしい。
珠の巫女からその力の源である勾玉を回収するために創り出された冥之上は自力ででも行動出来るはずであったがこの時ばかりは何故か人の命に従っていた。
昨夜スオウからの告白があった通り、彼が巫女を知る人物ならばついて行ったほうが得策だと考えたのだろうか。
いや、そもそも土の精隷に思考など存在するわけがない。
スオウは見たことがないが話に聞くところによると土の精隷は数多の精隷の中でも比較的頻繁に人の前に姿を現すことがあるという。
ただその時はぼんやりと立ちつくしているだけで人との対話に応じる気配は全くないというのだ。
これは闇女上が土を守護させる精隷を創った際に命のない土そのものを依り代にしたことが要因と言われている。
「本当にずっとやっていたんだな」
「何をだ」
「苦にもならんか。流石は悠久を生きる精隷だ。次があればまた番を頼むとしようか」
「ことわる」
「戯言だ。鄙に参るぞ。今から下れば皆が起きる頃に着く」
ただしこの冥之上は名前があるうえにこうやって会話が出来る。
応答は無機質で時間や人の世の常識に欠けてはいるがそれ故に口を発する言葉は全て裏表がないことが分かった。
そしてスオウは一晩中寝ているふりをしていて最後の確認を行っていた。
無防備に見えるスオウを前にしても冥之上は危害を加えて来るどころか一切の関心を示さず、これにて人を化かす怪異でもないことが証明されたのである。
スオウは冥之上を連れて山を下りた。
道中は牙狼たちが隙あらば襲い掛かってきて大変だった。
獣たちにとってはこの現実味の薄い人型が無防備に晒されている巨大な肉に見えるのだろう。
最初のうちは慌てて追い払っていたスオウだったが牙で散々喉元を振り回されたとて外見も反応も全く変わらない冥之上を見ているとそれも馬鹿馬鹿しくなり、しまいには冥之上ごと牙狼を叩き切って死骸を冥之上に持たせるのだった。
かくして少し予定よりも遅くなったが二人はスオウの故郷である鄙に辿り着いた。
大きな山の扇状地の麓にあるその集落では谷間を抜けてくる風が、広く円状に掘られた溝に囲まれたいくつかの茅葺屋根の向こうに立ち昇る炊事の煙を吹き散らしていた。
川から採って来た貝を大きな土の器で煮ていた女たちはスオウが戻って来たことを知ると喜んで駆け寄った。
もともと容姿が良く狩りも得意であったうえに信仰する上の力を親族が得たことによって彼は他の若い男たちが嫉妬をする元気も失うほどに人気を博していたのであった。
「スオウ様! お戻りなさいませ!」
「スオウ様! 良い所にいらっしゃいました! ちょうど朝食が出来ております、お一人での狩りは大変だったでしょう? さあさあ!」
「こちらにお寄りになって!」
「あの……そちらの御方は?」
「すまない、先に長様の元へ行かせてくれ。話は後でしよう。あと、これは皆で分けてくれ」
人気者が美形を連れてやって来たのだから女たちは朝から大興奮だ。
スオウは我も我もと密着してくる女たちを苦笑しながら丁寧に引き離していくと冥之上に持たせていた牙狼を女たちに贈った。
狼肉は目当ての肉より味は劣るものの毛皮は衣類に、骨や牙は装飾に使える良い獲物である。
歓声を上げて熱い視線を送ってくる女たちに興味を示したのかまじまじと顔を近づけて女たちを興奮させる冥之上だったがスオウは腰ひもを掴むと鄙の奥へと無理やり引っ張っていくのだった。
「ふうむ……確かにこの見た目、土の精隷のものよのう。しかし言葉を話し歩き回るとは……儂も聞いたことがない」
鄙の中心に住まう長老の家でスオウは昨夜の出来事を語って聞かせた。
長老は刺青の柄が判別不明なほど皺枯れた手で豊かな髭を撫でながら難しい顔をしていた。
闇女上によって創られたといわれる土の精隷がその遣いを名乗ったのであれば本来は吉兆である気もするが変化を嫌う年寄りには外からやってくる新たな風は全て災いにしか見えないのだ。
瞳の奥底に敵意にも似た怪訝な色を覚えつつスオウは長の判断を緊張の面持ちで見守っていたが、当の本人である冥之上は部屋の中にある呪いの道具に関心があるのか話を聞かずうろうろと物色を続けていた。