潮見津原の巌比売8
スオウたちと別れたミミは御闇山の参道を登っていた。
あらましを巫主に伝えるために別行動となったがその足取りは何故か重い。
道は理解出来ており異能により卓越した聴力が視覚を補っているので前へ踏み出すことへの恐れはない。
それなのにそこはかとなく気分が沈んでいるのは、きっと、潮見津原へ向かったメイが何かとんでもないことをしでかさないか心配だからなのだろうとミミは自身の心境を考察していた。
ふと異音が聞こえた。
警戒し立ち止まるミミの正面から足音が降りて来る。
御闇山の頂にある大社の裏手側のこの参道は陰族と決別してから久しく使われたことがない。
取り立てて閉鎖しておくような事はしていなかったが放置されている事は明白であり、なのに降りて来るとは一体何者であろうか。
「おやこれは。女の一人旅なりや?」
先に向こうが声をかけてきた。
どうやら男が一人、そこにいるようだ。
獣や妖の類ではないようだが人が一体何用か。
用心を重ねて身構え無言でいると相手は困ったように笑った。
「心安かれ給う。私は山立ちに非ず、徒の老いたる商人なり」
「商人だと? 去ね。此れより後に鄙はない」
「ふうむ……? 然らば汝は何処より来たる」
「下郎め。我が何者か知らぬか。まあよい。良いか商人よ、この下の初めの辻を左に行かば潮見津原には行けよう。然れどもその辻は隠族の縄張りの中にある。隠族の奴ばらは余所者を嫌う。己が行かば囚われん」
「隠族。陰族は噂に聞きけり。定めて我の商物は心に敵わん」
「何を替う」
「心や留まらん」
ミミは理解した。
どうやら商人は呪いの道具などを売り歩いている者のようだ。
締綱日子が入山を許したのだからきっと良質な呪具なのだろう。
しかし欲深い男は品物を全て御闇山で卸さず新天地を求めて来たというわけだ。
「其れは?」
「此れは……土面と言いき。着けたれば真の吾を解き放かん」
「なに?」
「願い満ちたらんとて、締綱日子様にも奉れり」
「シメツナが? 貰うたと?」
商売が出来るとみたか、老人は嬉々として商品を広げ始めたようだがミミには見えないのでなんだか分からない。
だが土面というからには聞いたままの物だろう。
それは霊的なものを体に憑依させようとする時に自身を別の何かだと思い込ませるために着ける仮面であり、古くから呪いで使われて来た一般的な装飾である。
しかし今では辺境の鄙などでしか使われておらず、なるほど締綱日子が面白がって門を通しても殆ど売れずに別の商場を探すわけであった。
「ふん、シメツナも無下なることをするものだな。田舎人を弄ずるとは、いとむつかしきものぞかし」
「へへえ?」
「然て然て、土面とは古体だな。誰も替わなんだであろう。ふっ……陰族な。正に、奴ばらなれば替うやものう」
「汝も一つ、如何に。その指輪と替わん」
「いらぬわ」
「素直ならざる己が心地、解き放きたくならざるや」
「煩わしい。我は行くぞ。降りたくば降るがよい。止めはしたからな」
「なれば一つ、奉る。諫めの御礼なり」
「心得た心得た。全く執念しき奴だ。然れども、これで御闇山との縁、易く得たと思うなよ。次に訪ねた時、我を頼みても応えぬからな」
「元より。名も知らねば」
「ふん」
ミミはしゃがみ込み適当に一つ土面を拾うと、無料だとは言われたが商人の最初の望み通り指輪を投げてやった。
このような田舎臭いものを貰って喜ぶのはシメツナのような美的感覚のない醜男くらいなものでそれと同等だと思われたくなかったのだ。
土面は確かによくこねられた手触りの良い品ではあったが造形も淡泊で辛うじて顔と分かる程度のものだった。
今は懐にしまってやるが、見えなくなったら捨ててしまおうと思いミミは立ち上がると何も言わずに山を登り出した。
「……好いた男に想い告ぐに及ばざれば、それに頼めばよろしかろう。心地、解き放き、定めて事行けり」
「……なにぃ?」
余計な一言が放たれる。
表現できる限りの不愉快を眉根に寄せて振り返ったが商人は笑いながらゆっくりと麓へ降りていってしまった。
若く見える女に最後に一つ、女が気にしそうな呪具の効能を説明しただけだとは思ったがミミは腹を立てていた。
老人の言葉でスオウの顔を思い浮かべてしまった自分に一番腹が立ったのだ。
故に追いかけて商人を叱っても理不尽であり無駄なことであろう。
土面はその場で叩き割ってやろうかと思ったが懐に伸ばした手は何度か空を切って太ももを叩いて終わった。
「ああもう!」
力いっぱい足を踏みつけて鬱憤を紛らわし、再び大社への道を登る。
道中で捨ててやろうと誓った土面は終ぞ捨てることが出来なかった。




