潮見津原の巌比売6
潮見津原は葦原中央西の大きな湾口の最奥に位置し、かつて外国より輝大君を迎え入れた由緒ある地である。
古くは都と呼べるほどに栄えたが今は鄙と都の中間ほどの都市だ。
町割は港を中心とした東の浜郷と稲畑を営む南の中郷、そして西の山郷から成る広範囲の集落群となっている。
その一つ、中郷にはひときわ穏やかな時間が流れており夕暮れ時という事も相まって郷愁に駆られる様相を帯びていた。
茅の穂が揺れる畦道にて、赤子をおぶる老人の子守唄──
御寝りや サァサァ およりや
とぅりぬわらはび かかとぅなぐぬ
いがにゃ サァサァ ひむくれぬ
ゆーさり うするし サァ およりゃ
赤子は老人の孫ではなく従姉弟である。
潮見津原の重立・豊砂禰を祖父に持つこの男があやしているのは母の姉の子だ。
本来ならば赤ん坊は老人よりも年上なはずだが全くそうは見えない。
この何処にでもいるような赤ん坊が、実は生まれる前に五十年もの年月を母の胎に留まった異端であるなど誰が信じられようか。
母は赤ん坊を産むや否や体力を使い果たして死に、女子衆は縁起を気にしてこの子を抱かない。
なので老人は進んで子守を買って出ていた。
女たちの行動は薄情かもしれないが石女と揶揄された者の子を抱けば自身にもその呪いが伝染るのではないかと考えるのは当然のことと言えよう。
ただし人の一生ほどの月日に渡る懐妊は原因不明のことかと言えばそういうわけでもなかった。
この赤ん坊の父である磐裸須人という男は異能者だ。
黙して語らず、よく人を援け、諍いとなれば真っ先に折れて頭を垂れるような軟弱だが何年経っても年を取らない赤銅色の顔を見れば誰だって解るだろう。
石女の理由は確実に男のほうにあったがその得体の知れなさから怖くて誰も深く関わろうとしなかった。
一族の中で既に隠居の身であり、無為徒食と眉をひそめられていたこの老人以外は。
「巌や、寝やんか。ほれ見や、星いでたるぞ。星起けば我ら寝やんど。サァサ御寝りや……」
赤ん坊の名は巌非売。
長く強く生きて欲しいというただそれだけの意味の名だ。
だが女たちはこれを自分達への当てつけではないかと考え怖れていた。
曰く、この子の母を石女と蔑んできた自分達に対する恨みが込められているのではないかと。
さても憐れな父娘である。
人は堪える者に甘え、更に荷を背負わようとする生き物だ。
だからこそ老人はせめて自分だけは理解者であろうと努めていた。
男が誰よりも他者を想っていることを老人は知っていたから。
見上げた先にあるのは一番星。
きっと明日も良い天気になるだろう。
いつもと変わらぬ一日が唐突に終わりを告げた。
星が煌めき、落ちて来た。
轟音と共に抉れ爆ぜ舞い上がる地面。
一瞬のうちに老人の姿は消えていた。
空に立ち見下ろしていた男が降りてくる。
抉れた大地の底からは泣き声が聞こえる。
「ほう? あれを受けてまだ生きているのか?」
土埃で底の様子は見えないが泣き声は巌非売のものであった。
非力な赤ん坊に光弾を無力化出来る異能があるとは思えないが一方の老人はただの人だったようでこちらは肉片も残らずに死んだ。
では何が赤ん坊を守ったのかと襲撃者が思案した僅かな時が命運を分けた。
空気を震わせる気配に気づき横を見ると少し離れたところに農具を手にした赤銅色の男が立っていた。
腰まで届く白髪に人の頭二つ高い引き締まった長躯の壮年である。
全身に血管の浮き出た赤い肉体は明らかに只人ではない事が伺えた。
男は穴を見下ろし跡形もなく消えた老人を想うと顔を顰めて歯を食いしばりなから震える息を吸い込んだ。
そして目を開け眼力だけで人を殺せそうな形相で睨みつけた。
「……おのれの……仕業か……」
「然なり。我が名は冥之上。珠の巫女の珠なる力、賜りに参った」
黒髪の男は飄々と言ってのける。
人の世に隠れ自らの異能を封じてきた戦いの上、磐裸須人の怒気が暮れの空を突いて気脈を揺るがした。




