潮見津原の巌比売4
陰族は上代の昔に御闇山と決別した浦闇の民である。
かつて闇女上はこの地で政を執り仕切り、やがて外国より現れた輝大君の船を迎え入れた。
時代が下り祭政の中心が御闇山へと移ると浦闇は廃れ、闇女上の隠世への旅立ちをもって後継を巡る対立が勃発した。
その政争に負けた浦闇は以後、不本意ながら裏闇と呼ばれるに甘んじなくてはならなくなった。
陰族を率いる男の名乗りである上舎人とは闇女上を支える役職のそれである。
代々族長が継いでおり、つまり真名ではなく仮名であった。
族長ながら主を名乗らないのは最高位を空位とすることで永久の臣従を表しているからだ。
まるで巫主への当てつけのようだがこれが示唆する通り友好は冷え切っており何百年も関係が途絶えたままとなっていた。
文明の中心たる誇りも影響力も失い、人の流出を防ぐ為に厳しい戒律で僅かな血脈を保ってきた彼らであったが唯一御闇山に勝る闇女上との絆があった。
それが聖域・新珠の泉である。
新珠の泉は魂が死後に行き着く場といわれ闇女上はそこにいる。
いつか女上が戻るその日まで、女上が愛した現世を当時の姿のまま守り続けるのが彼らの存在意義だった。
御闇山の浦闇側の麓は苔むした原生林が広がる密林地帯となっている。
しかし土壌は軽石や火山岩が主であり地面には至るところに空洞が生じていた。
中には遥か深淵まで続く深さの穴もあり迂闊に迷い落ちた者は容赦なく命を奪われることになるだろう。
この穴は星の脈動が大気に溢れやがて還る終着点であり虚空と呼ばれていた。
虚空は世界に三箇所あり、反対に脈動が湧き出る地を慈有と言う。
葦原の虚空は慈有から最も遠く最も気脈が薄い場所だった。
元は不毛の地であった葦原は、そこを終の棲家と定めた人々の創造によって美しい自然が溢れる国となった。
この創造の力を異能、あるいは魔法と人々は呼んだ。
当代の上舎人は異能を持っていないようだったがスオウの語ったメイの使命をすぐに理解し昊之上の復活を信じた。
土の精隷が人間の嘘に加担するわけがないし、御闇山がミミを遣わせたということが彼の決断を後押しした。
嫌いな相手でも異能においてはその能力を高く評価しているのだ。
土地に縛られず動き回る土の精隷など聞いたことがないが危機に瀕して闇女上がそのような変わり種を生み出したのだと考えれば納得は出来た。
深い森を抜け、四人は新珠の泉へと辿り着く。
道中に虚空の話を聞いたスオウはまるで大地が口を開けているような大穴があるかと思いきや意外にもこじんまりとした縦穴がそこにあったので拍子抜けした。
道理で御闇山から下山してくる時に見えなかったわけである。
しかしミミは異能者ならではの直感で肩を抱きかかえ震えていた。
「泉というが水はないのだな。……ミミ、如何にした?」
「なんと恐ろしき穴ぞ。精気が吸い込まれ、底が見えぬ」
「私の鄙にも似たような穴があり聖域とされていた。メイとはそこで会うた」
「葦原の大地は闇女上そのものなれば、穴の先は虚空の底で交わっておるのだろう」
「そして深淵に最も近き穴がここ、か。メイ」
「ああ。闇女上の気配がする。行ってくる」
そう言うとメイは何の躊躇もなく穴の中に身を投げて行った。
ミミは途中までメイが落ちていく音を聞いたが、ふと聞こえなくなった。
前も後ろも、上も下もない所だ。
足に伝わる地面の感覚はないが自身が落ち続けているのかと思えばそうとも言えない。
奇妙な空間は初めてメイが自身を認識した場所であった。
つまりここはスオウたちが言っていた新珠の泉なのだろう。
「どうしたのです?」
声が聞こえる。
闇女上の、純粋に疑問に思う声であった。
珠の力を全て集めていないことは明白だ。
今は来るべき時ではなかったのだろうがメイは気にせず言葉を返す。
「珠の力を二つ手に入れた」
「よく励みましたね。残りは五つですよ」
「すると、やはり全て集めねばならないのか」
「……どういう、ことですか?」
「巫主という者にあった。珠の巫女だ。その者が言うには珠の力は鍵のようなもの、一つでも欠ければ昊之上の封印を解くことは出来ない。故に一つでも闇女上に返せば昊之上が甦ることはない。ヤクナスとやらの望みは潰える」
「巫主……。そう……そうですか。ヤクナスが……。なるほど、よく解りました。そういう事だったのですね」
「答えろ。メイの役目はもう終わりか」
「メイ? メイとは? 私が与えた名が気に入らなかったのですか?」
「スオウが、冥之上はメイと名乗るほうが良いと言った。上を名乗れば人に疎まれるからだ」
「……そう、知り人が出来たのですね。その者の忠言ですか。良き者に巡り合えたのですね。……答えましょう。珠の力は全て集めなさい。勾玉は我が化身、体を全て集める事が出来れば私が甦ることが出来るからです」
「闇女上が甦るため?」
「そうです。珠の力を奪いし者がヤクナスであったと聞いて確信しました。今の現世の人々ではあれに挑んでも敵いません。上と人ではそれだけ力に差があるのです。確かに一つ、珠の力が欠ければ昊之上の封印を解くことは能いませんが、大いなる力は他にもあります。例えば半人半馬の巨人、荒馬人。例えば眠りを司る毒婦、癒女人……。かの者らも眠りについているに過ぎず、昊之上の力を諦めればヤクナスはそれに手を出すでしょう。彼の者らの封印は我が珠の封印ほど単純ではありませんが、いずれ解き明かすはずです。その機会を与えてはいけません。今、昊之上の力にのみ目を向けている今、斃しておかねばならないのです。私にはそれが出来ます。私が創りしこの豊国を護ることが出来るのは私だけなのです」
「かみならいる。うくぴんすりのマヌイ」
「起火主吏? ああ……宇室旦の眷属が未だ現世に生きているのですか。されど敵わないでしょう。ヤクナスはその慎重さ故に見誤られがちですが輝大君の近侍であることを忘れてはなりません」
「そうか。分かった。ではそのように伝えよう」
「冥之上、貴方は私の創りし土の精隷。主を忘れてはなりませんよ」
「集めた珠の力は如何にすればいい?」
「持っていてください。ここに置いても導祖が持って行ってしまいますから」
「わかった」
それだけ聞くとメイの意識が遠のいていった。
元の場所に戻ろうと考えたメイの意志か、闇女上の不興を買ったのかは分からないが最初の時のように気穴の入口へと返されるようだ。
「全ての珠を集める事……それは貴方の為でもあるのですよ……」
最後に闇女上が呟いた気がしたがメイには聞こえなかった。
気が付くとメイは驚いた顔のスオウたちに覗き込まれていた。
 




