人ならざるもの9
珠の力は強力だ。
なにせあれは闇女上の身体そのものなのだから。
かつて闇女上は人を援く時にその身を七つの部位に分けた。
体は珠の形となりて人の子に授けられ、珠の巫女となりし人の子らはその力を以て昊之上を封じることが出来た。
昊之上は荒振神だ。
激しい怒りでその身を蛇の姿に変え、消えない黒炎で人々を苦しめた。
あれは災いそのもの。
されど今の世においては唯一、古の上の力をその身に宿し続けた貴重な存在だと言えよう。
今、珠を奪わんとする者があるならばそれは珠そのものを欲しているのではなく昊之上の力を欲しているに違いない。
なにせ珠は強力なれどその力は昊之上を封ずることにのみ効果を発するものゆえな。
そしてあれを欲する者など限られておる。
ヤクナス……そう、在奴が生きておったのだ。
在奴は輝大君と共に外なる海からやって来た。
大君に使えし双子の側近の兄であり、兄弟ともに話術に長け相手に理の枷を嵌めることを得意とする上であった。
弟のアザナナスは大君と連なり昊之上と戦いて敗けその骸を晒したが、奴の生死は終ぞ分からず仕舞いであった。
だが、死したる証なくば上などは大概生きておるものだ。
今の世に、在奴の他に昊之上の力を得んとする動機と実力を備えた者を探すほうが難しい。
死を司る蛇の力を用いて在奴は己の望むままにこの世の理を変えるつもりなのだろう。
既に珠の力を奪われたという巫女は奴の手にかかったのだ。
ただし在奴はどうやらその時に大きな過失を致したようだがな。
珠の巫女を殺めた時、在奴は現れた導祖までも殺めてしまったらしい。
既にこの世にその身なきとはいえ、己の半身たる導祖を失って流石の闇女上も異変に気付いたというわけだ。
故に闇女上は冥之上を現世に遣わした。
身体無き闇女上が如何にしてその者を生み出したのかは分からぬが、今遣わした理由は我にはよく解る。
流石は闇女上とでもいうべきか、隠世におわしながら今もなお我らを見守っていてくださったことが分かり我は嬉しい。
我が今暫しの時を経て死ぬることに……闇女上はお気づきになられたのだろう。
狼狽えるな耳よ。
吾日子、舞内も他言いたすでないぞ。
これはもう致し方のないことだ。
その訳を今から話す。
我は生き続けてきた。
他の巫女どもは代替わりを繰り返しその力は人のそれと変わらぬほどに衰えたが我は昔のままに在った。
これが闇女上の傍仕えをしていた我と他の者の覚悟の違いよ。
巫女の息災は即ちこの世の安寧と同義であったのだ。
其方らは疑問に思わなんだか。
巫女の命が尽きし時、次の巫女に渡る間に珠が現世から欠ける事になろうとも封印が綻ぶ事がなかったことに。
珠は七重の鍵なれば、同時に全てが欠けぬ限り効力は保たれ続ける。
故に一つがヤクナスの手に渡ったとて、八百の陰業衆と共にある我の珠さえ無事なれば和は保たれるのだ。
だが、だがな……今少し前、ここより北の潮見津原にて赤子が産まれた。
それは五十の時を母胎にありて産まれながらにして我をも凌ぐ異能を持つ赤子であった。
その異能は全てのものに通ずる大いなる精気の脈動、すなわち気脈をも震わせるほどであり……。
……我はそれを感じた瞬間、安心してしまったのだ。
おそらく我が死さば珠の力は彼の赤子に託されるであろう。
せめて赤子が大きくなるまでとは思うたが、赤子には彼が付いていると知りいよいよ我の気力は尽きてしまった。
我はもう生くるのに疲れた。
決して我儘と申してくれるなよ。
あるいはヤクナスはこれを好機と見たのやも知れぬが、なに、後の事は盤石であろう。
冥之上は心がなく、故に不死なれば既に託された二つの珠の力があれに奪われることはあるまい。
そして我の後継も決まった。
これで何を不安に思う事があろうか。
語り終えた巫主は大きく嘆息すると眠そうに眼を閉ざした。
スオウは納得がいかなかった。
巫主は盤石とは言ったが、ならば闇女上がメイを遣わしたことは杜撰であり、妹の死にも意味がなかった事になるではないか。
だが問いただそうにも小さな小さな老人の語り疲れた姿は酷く哀れで、スオウは何度か無言の口を動かすことしか出来なかった。




